表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/7

第2話-4 体育祭

 晴人の高校の体育祭の開会は朝9時である。グラウンドの広さの関係もあって保護者は参加できず、教師の撮ったビデオを後日の懇親会で見せられるに留まる。

 8時半に間に合うように登校した生徒は出欠確認の後、それぞれの組の色の鉢巻きを受け取り、これを頭に巻いて校庭に整列する。全員が揃うと校長の話と選手宣誓が始まり、それが終わると生徒は各学年、組の待機場所へと移動する。

 ただし晴人をはじめとする体育祭実行委員の一部は、多くの競技で審判や記録に駆り出される。中でも委員幹部にはテントの下に長机とパイプ椅子が用意されており、放送委員と並んで体育祭の時間のほとんどをその日陰で過ごすことになる。

 晴人は午前の競技に用具準備として駆り出されているものの、待機場所は一般生徒と同じである。眞玄とは同じ組、同じクラスなので、待機場所では自然に話すことができた。女子と仲良く話していると目立つかと思ったが、ほとんどの生徒は男女関係なく数人のグループで話しており、晴人たちが浮くことは全くなかった。


「首尾はどうだ」


 近づいてきた眞玄が話しかけてくる。その声からは、心なしか疲労が滲み出ていた。見れば目の下にはくまがある。夜通し先輩の魔霊化を警戒していたのだろう。


「人事尽くして天命を待つ」

「あとは神頼み、か……」


 眞玄の恰好は見慣れた高校の体操着だったが、小さな体に不釣り合いな大型の水筒を手から下げている。サッカー部なんかがたまに持っている、何リットルも入る青い水筒だ。


「ん? これの中身は水ではないぞ。いざとなればこの中の短剣で彼に飛びかかる。ここからテントまでおよそ50メートル。全力を出して四歩、到達まで二秒半だ。危害を加えるまでには間に合う」

「今日は標は持ってないのか」

「持ってはいるが、これだけ開けた空間なら直に邪気の流れを読んだ方が早い」


 話しながらも、眞玄の注意は常にテントに向いていた。

 緊張する二人の空気とは裏腹に、校庭には放送委員の呑気な実況が響く。最初の種目である徒競走のために複数の委員が動く中、秋田先輩は変わらずテントの中で手を組んでいる。

 選手が整列し、いよいよ競技が始まろうという時。周囲の空気が嫌なものを帯びた気がした。眞玄を見ると、水筒に手をかけ、重心を落として真っ直ぐに先輩のテントを見据えている。先輩の魔霊化が進行して邪気が流れてきたのだろうということは、考えるまでもなく分かった。

 晴人にできることは何もない。やれることはすべてやった。あとは先輩が、自分でその悩みに向き合い受け止めてくれることを願うだけだ。どれだけ手を尽くしても、最後には本人の力が無ければ事態は解決の光を見ない。

 じり、と眞玄の靴が校庭の砂を擦る。瞬き一つせずに全注意を前方へ向けている眞玄が、水筒の蓋に手を掛けた。




 昔の話だ。

 父親の転勤でこの学校に転校してきたのは、一年生の二学期の初めだった。

 転校は初めてだったが、新しい高校にはすぐ馴染んだ。入る委員会に体育祭委員を選んだのは、ただ人数に空きがあったからというだけの理由だ。この高校の体育祭を知らない転校生にも、委員会は何ら特別扱いすることもなく受け入れてくれた。それはただ転校生に興味がなかったとか、気を遣う余力がなかったとかの理由だろうが、それでも特別に気を遣われずに済む組織は僕にとって心地が良かった。

 委員長と初めて会ったのは、入って最初の会合の時だ。ただはきはきと喋る好青年としか記憶していなかった彼が、委員会の中核を担っていることを知るのは年が明けてからだった。

 重責を伴う仕事から雑務まで、委員長はほとんどの仕事を要領よくこなした。肉体労働以外の委員の仕事は、彼が二人いれば全て済んだだろう。かつ人当たりもよくほとんどの委員から頼られていた彼が、自分に目をかけてくれたのは自分が事務的仕事をよく担当するポジションについたからだろう。

 気付けば同級生から弟子と揶揄されるほどの関係性に自分たちはなっていた。二年生で初めて迎える体育祭準備期間の終盤では、書類系の仕事の半分近くが自分の担当になっていた。

 多忙であった、ということが、挙げられる唯一の環境要因だろう。

 体育祭当日。参考資料用と配布用のルールブックを取り違えていたことに気づいた時には、事態はどうしようもない状況になっていた。あの日の校庭の砂のにおいを、僕は一生忘れられないかもしれない。

 その後の記憶はおぼろげだ。確かなのは第一に委員長にミスを報告したことと、その後の処理を全て委員長が取り仕切ったこと。失態の収拾は体育祭が完全に終わったあとも何日も続いた。

 辞めようと思っていた。今から考えれば卑怯なことだが、委員長の厚意を振り切ってでも自分のミスだと言い出せなかった自分にとって、できることはそれくらいしかなかった。いや、今さら犯人が変わったところで何になるというのだろう。もはや恩人にかけた負担が無かったことになるわけではない。僕は全てにおいて遅すぎたのだ。

 そしてそのせめてもの罪滅ぼしを止めたのも、委員長だった。

「来年も委員をやること」という委員長から与えられた唯一つの命に従って、僕は今、体育祭実行委員の副委員長の席に座っている。

 裏切り行為だ。昨年委員の顔に泥を塗った張本人が、今ものうのうとその幹部を務めている。そしてそれを咎めることは誰にもできない。何故なら自分が過去にしたことを、僕は今でも隠しているのだから。


「赤組、速いです! 白組も頑張ってください!」


 真横のスピーカーから聞こえる大音響で、現実に引き戻された。

 間を置かず、目の前を鉢巻きを巻いた生徒数人が駆け抜けていく。テント横のスピーカーからはノイズ交じりのアップテンポな音楽が流れ、選手がゴールラインを割ると次の選手が位置につく。

 目の前では、去年と寸分変わらぬ体育祭が行われていた。昨年の記憶がよみがえり、悪寒が全身に薄く広がる。

 なんで僕がこの席に座っているのか。座るべき人間じゃないのに、離れる勇気もないから座ったままでいる。

 責任に向き合えず、責任から逃げることもできない。ただただ自分が不甲斐ないせいで、こんな醜態を晒している。委員長が見たら幻滅するに違いない。いや、幻滅なんてものは、一年前にすでにさせているだろう。

 しかしその頭に浮かんだ言葉は、唐突に強く否定された。委員長は自分に幻滅してなどいないと、無根拠にも脳内に響く声があった。

 訂正しよう。僕が先輩に迷惑をかけたことは事実でも、そのことで委員長が自分に幻滅することはなかった。そんな人ではなかった。僕は彼から、少なくとも幻滅も失望もされてはいないだろう。

 幻滅するとすれば自分。自分に誇れる自分でないことに、僕自身が失望するだけだろう。

 いや、もしかして、それ自体がこの苦しみの本体なのではないのか。

 その時、自分の中でパズルのピースがカチリとはまったような気がした。今までずっと気がついていなかった大切なことに、今さら手が届いたような感覚。

 僕は自分が許せない。それは自分の許さない多くの人間がいるからだと思っていた。しかし今考えれば、そんな人間を一人として僕は知らない。許さないであろう人間が数多くいるだけで、その人間の心が僕を許さないと決めたのは僕だ。

 それは、もしかすれば実に卑怯なことではないのか。勝手に他人の心を代弁していた。人の心を知った気になっていた。そして、その他人の心から逃げていた。

 いっそ自分の心ではなく、他人の心に苦しめられたほうが、せめてもの罪滅ぼしになるのではなかろうか。

 今気が付いた。僕はそれが怖かったんだ。人に苦しめられることが恐ろしかった。自分で自分を責めるばかりで、他人に自分を責めさせなかった。

 他人に責められるのは今でも怖い。自分が自分にかけた言葉は翻せても、他人からかけられた言葉はなかったことにはできない。

 だが、その恐怖こそが、僕が本来受けるべき罰なんだ。

 顔を上げる。否、ずっと目を逸らしていたものに目を向ける。

 目の前でくり広げられているのは体育祭。滞りなく、委員一人一人の尽力によって進行していく体育祭だ。

 配置なんて粗方頭に入っている。透明な眼鏡のレンズを通して、委員一人一人を見ていく。

 その生徒が自分にどんな言葉をかけてくれただろう。自分に何をしてくれただろう。そうやって、一人一人、思い出していく。

 それで、最後に今朝委員室で顔を合わせた生徒に辿り着き、僕はふっと顔を綻ばせた。


「黒菱、お前の言うとおりだったよ」


 自分にかけられていた言葉は暖かい言葉ばかりだった。彼らに僕の過去が明かされた時、僕に向けられる目がどんなものかは分からない。しかし、だからと言って、今彼らが僕に向けてくれている目を、否定なんてするべきじゃない。


「今日は、良い日だな」


 晴天の下、滞りなく競技が進行していく。身体に広がっていた悪寒は、もう消えていた。




 徒競走の全組が走り終え、校庭に流れていたポップスがフェードアウトする。続く種目の用意のために、校庭に立てられていたフラッグや台が片付けられていく。

 校庭の熱気が一時的に引くのと時を同じくして、臨戦態勢をとっていた眞玄はふっと緊張を解いた。


「間一髪だ。喜べ。魔霊の気配が消えた」


 周囲の空気がわずかに変質したのは、晴人の気のせいではなかったらしい。

 眞玄は深く息をつくと全身の凝りをほぐすように体を動かし、体操着のポケットからコンパクトもとい標を取り出して開いた。その表情が変わらないところを見るに、魔霊化の兆候は間違いなく消えたのだろう。


「どうだ?」

「彼を中心とする邪気の渦が確認できない。あれが魔霊になることはもうないだろうよ」


 半ば分かり切ったことを聞いて、晴人は安心を得る。危機を乗り切ったことを実感すると、途端に全身に入っていた力が抜けた。


「彼に、何かしていたのだろう。後学のためにぜひ聞かせていただきたいな」

「大したことじゃないよ。僕は多少先輩の手助けをしただけで、実際何かの解決策を提示したわけじゃない。魔霊化阻止は先輩の力さ」

「頼もしい限りだ。君の働きは大いに役立った」

「どうも。眞玄のその道具の出番は結局来なかったな」


 晴人が言うと、眞玄は自分の手の大型水筒に目を落とした。


「なに。こんなもの、使い時がないに越したことはないさ」


 その優しい目に、晴人は眞玄が自分の頼みを聞いてくれた理由を見た気がした。多分、眞玄も同じ考えだったのだ。強硬策は、眞玄にとっても可能な限り避けたい手段だったのだろう。


「さ、私の仕事も終わったことだ。ささっと競技を終わらせて帰るとするか」

「相変わらずつれないなぁ。運動、そんなに苦手じゃないだろ」

「だから砂埃が苦手なのだよ。芝のグラウンドなら文句は言わん」


 公立高校には手の届かない代物だ。


「ま、そんなこと言わずに最大限楽しまないか? めでたく立ち直った秋田先輩の晴れ舞台なわけだし」

「……まあ、そうか」


 妙に納得したような顔をして、眞玄は水筒を地面に下ろす。放送では、次のクラス種目の招集が行われていた。


「二年生は全員、体育倉庫前に整列してください。続く種目は台風の目です」

「招集だ。行こう」


 わらわらと他のクラスメイトが動き出すのに合わせて、晴人と眞玄も校庭の端へと歩き出す。


「黒菱」

「ん?」

「……感謝する」


 そう言う眞玄の目は、どこか気恥ずかしそうだ。


「……ああ!」


 黒菱は破顔して、眞玄へと手を差し伸べた。

書き貯めた分が終わったので、次話まで長くお待たせすることになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ