第3話【冬】白い静寂、凍える指先
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アラームが鳴るよりずっと早く、僕は布団の中で目を開けた。
カーテンの隙間から差し込むのは、まだ色のない、薄暗い青。頭の中には、昨日学校で言われた鋭い言葉や、やり残した課題の山が、澱のように沈んでいる。考え始めると動けなくなる。僕は逃げ出すようにベッドを抜け出し、重いコートを羽織った。
玄関のドアを開けると、凍てつくような静寂が町を支配していた。
家の窓は結露で白く曇り、外の世界との境界を曖昧にしている。僕は深く息を吐き、坂道を登り始めた。
「寒いな……」
漏れた独り言さえ、冷気に切り裂かれるようだ。かじかんだ指先に、坂道を吹き抜ける風が容赦なく刺さる。けれど、その痛みはむしろ心地よかった。肌に刺さる寒さが、頭の中にこびりついた「嫌なこと」を、少しずつ外側へと押し出してくれるような気がしたからだ。
いくつもの坂を越え、ようやく視界が開ける高台に出た。
そこには、澄み渡る青い光があった。その光の真ん中に、真っ白に装った富士山が、凛としてそびえ立っている。昨日までの僕の悩みなど、まるで知らないと言わんばかりの、圧倒的な静けさ。僕は足を止め、その神々しい姿をただ見つめた。
静寂が、僕の刻む靴音とともに、ゆっくりと景色に溶け込んでいく。
さっきまでは耳を塞ぎたくなるような静けさだったのに、今は違う。
「……あ」
いつもの神社に着くと、そこには先客がいた。
秋の日から、この場所で時折見かけるようになったあの子だ。彼女は耳当てをして、マフラーに顔を半分埋めるようにして立っていた。
「……おはよう」
どちらからともなく、小さな声が重なった。
白く弾ける吐息。それが混ざり合うのを見て、僕の心の澱が少しだけ軽くなった。
「富士山、綺麗だね」
彼女が静かに言った。学校で見せる、誰とも関わろうとしない彼女とは違う、穏やかな声だった。
アスファルトを規則正しく刻んでいくタイヤの乾いた音。ふと鼻をくすぐる、どこかの家庭から漏れてきた朝食の温かな湯気の匂い。
川のせせらぎは氷のように冷ややかな音を立て、どこかで誰かが焚き火をしているのか、微かな煙の匂いが風に乗って届く。
ふと真上の電線を見ると、冬毛で丸くなった雀たちが、お互いの体温を分け合うように身を寄せ合って鳴いていた。
「……生きてるな」
そんな当たり前のことが、不意に胸に落ちてきた。
世界は僕の悩みに関係なく、こうして美しく、淡々と、営みを続けている。そのリズムに身を任せているうちに、肩の力が少しだけ抜けていくのがわかった。
「……うん。生きてるね」
彼女も僕の独り言に合わせるように、小さく頷いた。
気づけば、太陽が坂道を黄金色に染め始めていた。冬の朝が光に溶け出し、新しい一日が動き出す。
自販機で温かいココアを二つ買った。
一つを彼女に手渡すと、かじかんだ指先が缶の熱に触れ、じわりと温もりが広がっていく。
「ありがとう」
逃げてきたわけじゃない。僕は、今日という日を新しく始めるために、この景色と、彼女に会いに来たのだ。
二人の足音が、冬の朝の静寂の中に並んで刻まれていく。
坂を下りる僕たちの背中に、冬の柔らかな光が寄り添っていた。
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