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Article 9 永遠の愛 — それは福音なのか、呪文なのか PART I  作者: あみれん


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第五十六話 解個

1.依頼者の呼称


本作に登場する九条斎のビジネスは、

その性質上、外部には決して明かされない複数の“進行ステージ”を持つ。

クライアントは取引の進度に応じて、

九条とミナトの内部で、以下のように呼び分けられている。


サービスの具体的な内容は作中で徐々に明らかになる。

ここでは名称と、その段階が示す“抽象的な意味”のみ記す。


〈λ段階:ラムダ〉— 仲介直後の潜在顧客


仲介組織を通じて紹介された直後の段階。

動機は不明瞭で、価値も未定義。

ラムダ段階の者は、まず“ここに来た理由”そのものが精査の対象となる。

ミナトはこの段階のクライアントを特に厳しく見極める。


〈α段階:アルファ〉— 選別を通過した有資格者


九条のビジネスにおいて“一定の価値を持つ”と判断された段階。

依頼者の動機が純度を保ち、意図が明確であることが条件とされる。

アルファに至ったクライアントのみが、次の段階へ進むことを許される。


〈β段階:ベータ〉— 初期実行工程へ移行した者


具体的な作業に入り始める段階。

ベータへの移行は容易ではなく、アルファの中からさらに選別される。

この段階では、クライアント側にも一定の“覚悟”が求められる。


〈γ段階:ガンマ〉— 最終調整・仕上げに入った者


取引の核心に触れつつある段階。

ガンマに至るクライアントは極めて少なく、

慎重な監視と調整が行われる。

実行プロセスはほぼ最終局面にあるとされる。


〈Ω段階:オメガ〉— 特異案件(九条専権)


九条斎のみが扱う特別な分類。

一般のクライアントとは異なり、

ビジネス上の価値という枠を超えた“特別な意味”を持つ。

その詳細はミナトにも共有されず、

オメガに至った案件が何を意味するのかは作中で徐々に明かされる。


◆【補記】


この階層体系はあくまで九条斎の内的な分類であり、

外部には一切公開されない。


段階は技術的な進度だけでなく、

クライアントの動機・覚悟・倫理的負荷・

そして“取引を成立させるに値するか否か”を示している。


この分類は、

物語の根底に流れる「価値とは何か」「存在とは何か」

というテーマとも密接に結びついている。


2.仲介組織について

《ミトコンドリア》──

それは、九条のビジネスを外側で支える仲介組織である。


ただし、一般に想像される“組織”とは異なる。

上下関係も、拠点も、名簿も存在しない。

構成員同士は匿名化された端点どうしで結ばれ、

必要な時だけ一時的に接続される。


その姿は、階層を持たないアメーバ状のネットワーク。

部分を切り離されても全体は崩れず、

事故が起きれば“その部分だけ”を即座に切断し、痕跡を残さない。


情報はチェーン化された経路を通って流れ、

誰がどこにいるのかさえ、構成員同士ですら知ることがない。

あるのは“つながり”だけ。

誰もが断片であり、全体であり、そして代替可能である。


ミトコンドリアの役割はただ一つ。

九条のもとへ、条件を満たした候補者──ラムダを運ぶこと。


それがどれほど危険で、どれほどの代償を伴うかは、

候補者自身が最終的に知ることになる。

リサは、メッセージのリンクをタップする。


フレックス・シートのモニターが淡く明滅し、

次の瞬間、古民家の一室が現れた。


畳。障子。低い梁。


だが影がない。匂いもない。

情緒だけが、正確に再現されている。


部屋の中央に、発光する電球のアバター。

その横に、アニメ風に描かれたメイコの顔。

リサのアバターは、相変わらず貧相な鉛筆だ。


「立花さん、急に申し訳ない」


電球が喋った。


(村上……)


声の抑揚は穏やかだが、

その奥に“目的”しか感じない。


「カウンセリング・セッションのログ、読ませてもらいました。

フェイクにしては、よく出来た内容です」


リサの動悸が一気に上がる。


(めんどくさい……は、当たっていた)


村上は間を置かない。


「単刀直入に言います。

昨日のカウンセリングで実際に行われた、全ての記録を“譲って”下さい。

もちろん、無償とは言いません」


リサが驚いたのは、

村上がフェイクを見抜いたことではなかった。

“事実を買い取る”と言ったことだ。


それは、

問い詰めるでもなく、

脅すでもなく、

調査するでもなく――

直接、最終段階に踏み込んだということ。


無駄な駆け引きをすべて飛ばし、

“事実の売買”という終局に一気に持ち込む。


リサは理解する。

これは尋問ではない。

交渉でもない。

取引だ。


そして、自分に残されているのは、

Yesか、Noか。

その二択だけだ。



だが――

電球の横にいるメイコのアバターは、何だ?

これは本物のメイコなのか。 全てが露見し、彼女が白状したということなのか。


「ひょっとして、動揺しているのですか?」


電球が、柔らかく言う。

リサは無言のまま、鉛筆の先をわずかに揺らした。


「私の横にいるのはメイコではない。 メイコのデュプリカントです」


リサは、激しく息を吸い込もうとする口を右手で押さえた。


「こんばんは、立花栞さん―― いえ、リサ・モリヤマさん」


メイコのアバターが、静かに喋った。

リサの指が微かに震える。


「メイコが眠っている間に、彼女の脳神経と記憶を転写したのですよ。

最初はサンプル採取のつもりでした。

優秀なPMOの脳は、資産ですから」


「光栄です」


(声も...メイコそのものだ。)


リサの脳裏にメイコの言葉が蘇る。


ーー私、村上に体を許したのよ。


「そうそう、リサさん、あなたは面談の日に"PMOは必要悪だ"と言ってましたね。あれは、言い得て妙でした。まさに、人的なマネジメントの限界を言い当てていたのです。これからは、AIがマネジメントを行う時代になります」


(ああ...そんな事言ったっけ...)


「しかし...メイコのデュプリカントが、こんな形で役立つとはね。コイツから必要な情報は取得済みです。ただ、それを裏付けるエビデンスが欲しいのです。それが、リサさん、ジャーナリストである、あなたが書いた事実の記録なのです」


(ジャーナリストである私...メイコのデュプリカントがそう言ったのか...。だとしたら、全部バレている。)


メイコの鉛筆のアバターが揺れる。


「...カウンセリング・セッションの内容を事前にご存知だったのなら、何故、リリース判定でプロジェクトを中止にしなかったのですか?その方がリスクを低減できたはずです。井出耕造は今日、帰宅してしまいました」


「メイコの神経転写は二ヶ月前、つまり、コイツが話したのは、カウンセリング実施前の計画情報です。情報の確度という点において、二ヶ月という時間のギャップの方がはるかにリスクは大きい。ジャーナリストのあなたなら、当然認識していることかと思いますがね」


(あぁもう...詰んだかな...)


リサは自分自身に問いかける。


ーーーリサ、あなたを放置するわ。

あなたは自由よ。

さあ、どうする?


言葉がリサの口をついて出た。


「いくらで買ってくださいます?」


「そちらの言い値で買いますよ。但し、売買成立後に、この情報を他に漏らした場合、あなたに対して何らかの"処理”が実施されます」


("処理"......)


ーーーリサ、さあ、どうするの?


「七千万円です」


「分かりました。振込先をチャットボックスに」


リサは、チャットボックスに振込先口座をタイプした。


「担当の者に銀行窓口でこの口座に送金させます。これは、弊社のPMOである、あなたの労働に対する報酬としての送金になります。二十分ほどお待ちください」


七千万円という金額に確かな根拠は無かった。

Friendsには情報の半分を七千万円で売った。

だから、残りの半分も七千万円。

その程度の理由だった。


二十分後。


リサのスマホに入金通知が届く。


ーー七千万円


「入金を確認しました。カウンセリング・セッションのログは明日お持ちする、でよろしいですか?」


鉛筆のアバターがモゾモゾと動く。


「結構です。では……立花栞さん。明日を以て、あなたを解雇します。これまでご苦労様でした。明日、退職手続きを行いに来てください。ログを忘れずに」


VRルームが泡のように消えていく。

VRルームが消滅する寸前に、村上の声が聴こえた気がした。


「安い買い物でした」


リサは大きく息を吐いて立ち上がり、窓のガラスに両手と額を付ける。

繁華街の灯りはいつもと変わらない。


(終った......)


井出耕造はデュプリカントとの生活を公にするのか。

村上は私のログで何をしようとしているのか。

メイコはどうなるのか……


ーーもう…どうでもいい。


リサはテーブルの上のカギを手にし、玄関に向かう。

ドアの閉まる重たい音の余韻の中で、リサの靴音が遠ざかっていった。

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