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Article 9 永遠の愛 — それは福音なのか、呪文なのか PART I  作者: あみれん


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第五十一話 静完

1.依頼者の呼称


本作に登場する九条斎のビジネスは、

その性質上、外部には決して明かされない複数の“進行ステージ”を持つ。

クライアントは取引の進度に応じて、

九条とミナトの内部で、以下のように呼び分けられている。


サービスの具体的な内容は作中で徐々に明らかになる。

ここでは名称と、その段階が示す“抽象的な意味”のみ記す。


〈λ段階:ラムダ〉— 仲介直後の潜在顧客


仲介組織を通じて紹介された直後の段階。

動機は不明瞭で、価値も未定義。

ラムダ段階の者は、まず“ここに来た理由”そのものが精査の対象となる。

ミナトはこの段階のクライアントを特に厳しく見極める。


〈α段階:アルファ〉— 選別を通過した有資格者


九条のビジネスにおいて“一定の価値を持つ”と判断された段階。

依頼者の動機が純度を保ち、意図が明確であることが条件とされる。

アルファに至ったクライアントのみが、次の段階へ進むことを許される。


〈β段階:ベータ〉— 初期実行工程へ移行した者


具体的な作業に入り始める段階。

ベータへの移行は容易ではなく、アルファの中からさらに選別される。

この段階では、クライアント側にも一定の“覚悟”が求められる。


〈γ段階:ガンマ〉— 最終調整・仕上げに入った者


取引の核心に触れつつある段階。

ガンマに至るクライアントは極めて少なく、

慎重な監視と調整が行われる。

実行プロセスはほぼ最終局面にあるとされる。


〈Ω段階:オメガ〉— 特異案件(九条専権)


九条斎のみが扱う特別な分類。

一般のクライアントとは異なり、

ビジネス上の価値という枠を超えた“特別な意味”を持つ。

その詳細はミナトにも共有されず、

オメガに至った案件が何を意味するのかは作中で徐々に明かされる。


◆【補記】


この階層体系はあくまで九条斎の内的な分類であり、

外部には一切公開されない。


段階は技術的な進度だけでなく、

クライアントの動機・覚悟・倫理的負荷・

そして“取引を成立させるに値するか否か”を示している。


この分類は、

物語の根底に流れる「価値とは何か」「存在とは何か」

というテーマとも密接に結びついている。


2.仲介組織について

《ミトコンドリア》──

それは、九条のビジネスを外側で支える仲介組織である。


ただし、一般に想像される“組織”とは異なる。

上下関係も、拠点も、名簿も存在しない。

構成員同士は匿名化された端点どうしで結ばれ、

必要な時だけ一時的に接続される。


その姿は、階層を持たないアメーバ状のネットワーク。

部分を切り離されても全体は崩れず、

事故が起きれば“その部分だけ”を即座に切断し、痕跡を残さない。


情報はチェーン化された経路を通って流れ、

誰がどこにいるのかさえ、構成員同士ですら知ることがない。

あるのは“つながり”だけ。

誰もが断片であり、全体であり、そして代替可能である。


ミトコンドリアの役割はただ一つ。

九条のもとへ、条件を満たした候補者──ラムダを運ぶこと。


それがどれほど危険で、どれほどの代償を伴うかは、

候補者自身が最終的に知ることになる。

神経同調の日。

フリーランチャー地下三階の一室。


空調の音だけが、一定の風量で空間を満たしている。

簡易ベッドの横に、透明な機材ラック。

その上に、白いボックスが置かれていた。

表面のロゴはかすれ、

“N”と“T”だけが読み取れる。


リサはフレックス・シートのLogを起動し、クラウド同期を確認する。


Project Log: NT-Main

Recorder: Lisa Tachibana

Cloud Sync: Active


メイコが白いボックスに手を伸ばす。

蓋が開く。

内部から取り出されたのは、

あの金属片——神経同調キー。

光沢のない、無機質な塊。

メイコはそれを、装置側のカートリッジに静かに差し込んだ。


「認証します」


両手をセンサーに翳す。

微かな光。

短い電子音。


Key Authenticated

Next


モニター前に座っていた村上が立ち上がる。


同じく両手を翳す。


Key Authenticated

Completed


それだけ。

リサは思う。


(私の追ってきたモノが、いよいよ正体を明かす)


だが——何も起きない。

爆音も、閃光もない。

青いジャンプスーツ姿の井出耕造が、簡易ベッドの上に座っている。

リサは彼を見る。


(もし、この色がオレンジだったら——囚人だ)


指が、フレックス・シートの上で止まる。

メイコはヘッドホンを井出耕造に手渡す。


「事前心理テストの結果を基に、

 弊社のコンポーザーAI“Your Pieces”が作曲しました。

 あなたの脳を最も安定させる楽曲です。

 あなたの為だけに生成された曲です。

 横になって三十分間、聴いてください」


耕造は頷き、ヘッドホンを装着して横になる。

目を閉じる。


メイコは村上の隣に腰を下ろし、

モニターの「PLAY」をクリックした。

表示が “On Air” に変わる。


「無線……」


リサが小さく呟く。


音は室内に流れない。

ヘッドホンの内部だけで完結している。

モニターには数値と波形が立ち上がり、

連続的に変化を始める。


三十分。


波形が均されていく。

振幅が狭まる。

周波数が整う。

数値が静かに跳ねる。


Synchronization Rate

71%

83%

91%


村上は画面を見つめている。

メイコは腕を組んだまま動かない。

リサは記録を続ける。


Stability Index: Optimal

Emotional Variance: Suppressed


メイコが村上を見る。

村上は黙って頷く。


メイコは「Neural Synchronization」アイコンをタップする。


三分。


Neural Synchronization: Completed

Status: Irreversible


三十分の安定。

三分の転写。

——不可逆。


「終了です」


簡易ベッドのリクライニングがゆっくり上がる。

耕造は目を開ける。


「え……もう?」


達成感も、恐怖もない。

ただ、三十分の音楽が終わった顔。

それだけで、

不可逆は完了していた。


リサは追記する。


NT-Main: Completed

Subject Response: Neutral

Physiological Stability: Maintained


ペン先が止まる。

視線が、カートリッジの中の金属片へ向く。

そして、ヘッドホンに移る。


(ヘッドホンはスキャナーでもある……)


沈黙。


(脳の構造転写を、これほど単純な作業で成立させるモノ)


キーを挿す。

認証する。

三分。

それだけ。


(その単純さを可能にしたモノは——)


リサの脳裏に、あの爆破映像が浮かぶ。


爆風。

炎。

倉庫。

二人の人間の顔。

そして、今、あの無音。


(あの二人の命に値する何かが、

 この金属片の中にある)


神経同調は、驚くほどあっさりしている。

だが、

その“あっさり”を成立させているものは、

決して軽くない。

リサは静かに思う。


技術は、音を立てない。

だが——

その静けさは、暴力と紙一重だ。


村上は無言で立ち上がり、カートリッジから金属片を外すと、それを手に部屋を出ていく。


リサは視線を落とし、記録を続ける。

突然、言葉が噴出する様にリサの脳裏に湧き上がる。


ーーソレは、

二人の命を奪った。

そして今、見たこともない気色悪いモノを世に送り出そうとしている。

しかも、あっさりと。

確かに、その“あっさり”を成立させているものは、

決して軽くないだろう。

理屈では分かる。

だが、私の体がまだソレを受け入れない。

私は一年間と安定をソレに差し出してきた。


「差し出したモノと得たモノが釣り合わない」


私の体がそう言っている。


リサは記録を止めた。

記録者にとって、感情はノイズだ。

リサはログから視線を外すと、小さく息を吐いた。


ーーノイズの向こう側が見えるのを待とう。

そして見えたモノを、言語化しなければならない。


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