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Article 9 永遠の愛 — それは福音なのか、呪文なのか PART I  作者: あみれん


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第四十二話 表裏

1.依頼者の呼称


本作に登場する九条斎のビジネスは、

その性質上、外部には決して明かされない複数の“進行ステージ”を持つ。

クライアントは取引の進度に応じて、

九条とミナトの内部で、以下のように呼び分けられている。


サービスの具体的な内容は作中で徐々に明らかになる。

ここでは名称と、その段階が示す“抽象的な意味”のみ記す。


〈λ段階:ラムダ〉— 仲介直後の潜在顧客


仲介組織を通じて紹介された直後の段階。

動機は不明瞭で、価値も未定義。

ラムダ段階の者は、まず“ここに来た理由”そのものが精査の対象となる。

ミナトはこの段階のクライアントを特に厳しく見極める。


〈α段階:アルファ〉— 選別を通過した有資格者


九条のビジネスにおいて“一定の価値を持つ”と判断された段階。

依頼者の動機が純度を保ち、意図が明確であることが条件とされる。

アルファに至ったクライアントのみが、次の段階へ進むことを許される。


〈β段階:ベータ〉— 初期実行工程へ移行した者


具体的な作業に入り始める段階。

ベータへの移行は容易ではなく、アルファの中からさらに選別される。

この段階では、クライアント側にも一定の“覚悟”が求められる。


〈γ段階:ガンマ〉— 最終調整・仕上げに入った者


取引の核心に触れつつある段階。

ガンマに至るクライアントは極めて少なく、

慎重な監視と調整が行われる。

実行プロセスはほぼ最終局面にあるとされる。


〈Ω段階:オメガ〉— 特異案件(九条専権)


九条斎のみが扱う特別な分類。

一般のクライアントとは異なり、

ビジネス上の価値という枠を超えた“特別な意味”を持つ。

その詳細はミナトにも共有されず、

オメガに至った案件が何を意味するのかは作中で徐々に明かされる。


◆【補記】


この階層体系はあくまで九条斎の内的な分類であり、

外部には一切公開されない。


段階は技術的な進度だけでなく、

クライアントの動機・覚悟・倫理的負荷・

そして“取引を成立させるに値するか否か”を示している。


この分類は、

物語の根底に流れる「価値とは何か」「存在とは何か」

というテーマとも密接に結びついている。


2.仲介組織について

《ミトコンドリア》──

それは、九条のビジネスを外側で支える仲介組織である。


ただし、一般に想像される“組織”とは異なる。

上下関係も、拠点も、名簿も存在しない。

構成員同士は匿名化された端点どうしで結ばれ、

必要な時だけ一時的に接続される。


その姿は、階層を持たないアメーバ状のネットワーク。

部分を切り離されても全体は崩れず、

事故が起きれば“その部分だけ”を即座に切断し、痕跡を残さない。


情報はチェーン化された経路を通って流れ、

誰がどこにいるのかさえ、構成員同士ですら知ることがない。

あるのは“つながり”だけ。

誰もが断片であり、全体であり、そして代替可能である。


ミトコンドリアの役割はただ一つ。

九条のもとへ、条件を満たした候補者──ラムダを運ぶこと。


それがどれほど危険で、どれほどの代償を伴うかは、

候補者自身が最終的に知ることになる。

ノマドアーズVRのスイートルームに、

透明な薄い縦長の長方形パネルが、音もなく宙に現れた。


ガラスでも、スクリーンでもない。

ただ“そこにある”という存在感だけを持った板状の何か。

その表面に、スプレッドシートが浮かび上がる。


《β-E9-0005 WBS》


フェーズ0:契約・前提定義

+00 契約締結


フェーズ1:事前準備(Preparation)

+11 NDA Contract

+12 Subject Consent


フェーズ2:ベースデータ取得(Acquisition)

+21 Mental Exam

+22 Physical Exam


フェーズ3:人格構築(Construction)

+31 Look & Feel Design

+32 Look & Feel Mock-up

+33 Look & Feel Prototype


フェーズ4:Neural Transcription(不可逆工程)

+41 Neural Transcription(Pre-Test)

+42 Neural Transcription(Main)

+43 Stabilization


フェーズ5:検証(Test)

+51 Unit Test

+52 Integrated Test & Counseling

+53 User Acceptance Test & Counseling


フェーズ6:リリース判定(Release Decision)

+61 Final Report

+62 Approval / Decision


カブトムシの幼虫の姿をしたメイコが、説明を始めた。


「フリーランチャーには、公式プロジェクトと非公式プロジェクトがある」


淡々とした声だった。


「ここに映っているのは、ある非公式プロジェクトの工程表。

あなたは今日から、このプロジェクトのPMOメンバーよ」


リサの視線は、無意識のうちに上から下へ工程をなぞっていた。

そして、ある行で止まる。


フェーズ4:Neural Transcription(不可逆工程)


(Neural Transcription……N…T…)


喉の奥で、言葉にならない引っかかりが生まれる。


メイコは続けた。


「“デュプリカント”の生成プロジェクトなの」


鉛筆のような細いアバターが、わずかに揺れた。


「……デュプリカント」


リサの声は、ほとんど独り言だった。


「簡単に言えば、人間の脳のコピーよ」

「将来的には、バイオAI事業の柱になるサービス」

「ただし——公にはできない」


一拍。


「さっきの抗議行動を見れば、理由は分かるでしょう?」


――人間の脳のコピー。

――バイオAI事業の柱。


言葉だけなら、理解はできる。


リサの脳裏に、あの爆破映像に映っていた二人が蘇る。

炎と爆風の中で、倉庫から命懸けで何かを運び出していた二人。

そして、その”何か”に刻まれていた”N…T…”の文字。

デュプリカントがあの”何か”に関係している、リサの直感がそう言っている。


だが、リサの中で、それは形を結ばなかった。

誰が、何のために、いくらで欲しがるのか。

市場として成立する絵が、まったく浮かばない。

リサは、まだ飲み込めていなかった。

それが技術として危険かどうかではない。

感情の問題でもない。


メイコは、説明を続けた。

声の調子は変わらない。

ただ事実を並べているだけの口調だ。

だが、その淡々さが、かえって不気味だった。


スイートルームの空間が、わずかに歪む。

窓の外の夜景が、ゆっくりと後退し、暗転する。

代わりに、WBSのパネルが一段、リサに近づいた。

逃げ場を詰めるような距離。


「このプロジェクトのクライアントは、井出耕造という引きこもりの男。金持ちのボンボンよ」


その言い方に、リサは小さな違和感を覚えた。


――冗長だ。


メイコにしては、説明過多だ。


「簡単に言えば、この男の脳をコピーして、デュプリカント――つまり、この男の分身みたいなものを作るの」


声のトーンが、微妙に違う。

リサは、そう感じた。


「何でこんなことをするか、分かる?」

「こんな気色の悪い存在が、この世にもう一つ増えるのよ」


嫌悪と嘲笑が混じったような口調。

それは、明らかに感情だった。

リサは、首を横に振る。

思うところはあったが、口には出さない。


――メイコは、感情的になっている。


少なくとも、いつもの彼女ではない。

カブトムシの幼虫のアバターが、ぴたりと動きを止める。

まるで、思考が一瞬フリーズしたかのように。


「……まあ」

「いずれ分かるわ」


声のトーンが落ちた。

再び、もぞもぞと動き出す。


「立花さん。あなたの仕事は……分かっているわね?」


――ここでの私の仕事は、事実の正確な記録。


リサは、そう再確認する。

だが同時に思う。


現実と仮想の境界が曖昧なこの世界で、

「事実」とは何なのか。

今この瞬間でさえ、自分の現実感の密度は薄い。

例えば、あの無機質な雰囲気を纏ったメイコは、今、本当に感情的になっているのだろうか。


ーーそれは単なるノイズ?


もしそうなら――

その「些細な揺らぎ」の記録が、

後になって、記録したノイズの向こう側にある鍵、パンドラの箱を開ける鍵になる可能性がある。


それは、

どんな些細な事実も、起きた順に並べ続けてきたリサの経験則だった。


同時に、こうも思う。

とにかく、現実だろうが、仮想だろうが、ノイズだろうが、自分の五感を通してインプットされた情報は、すべて記録する。


フィルターは掛けない。

いや、掛けられない。

それが事実かどうかは、後からついてくる。

今までだって――そうだった。


「はい」


リサが答えると、鉛筆のアバターが軽く頭を下げた。


「では、PMOとして、私があなたに出す唯一の指示は」


リサは、一瞬だけ息を止める。


「見逃さないこと」


「はい」


「それと――フレックス・シートのローカルメモリは1TB。使うときは裏返して。意味は分かるわね」


リサは、答えない。


「このクライアントは、今日の午後一時に研究所へ到着する。十分前にエントランスへ」


スイートルームから、カブトムシの幼虫の姿が消えた。


リサは、しばらくデスクの上のフレックス・シートを見つめていた。

そして、ゆっくりとシートを裏返し、タップする。

表面に、いくつかのアイコンが浮かび上がる。

その中の《Log》を選ぶ。

真っ白なスペース。

その下に、キーボード・レイアウト。

単純なノートアプリだ。


リサは、ソフトキーボードを叩き始める。

文字が、静かに横へ並んでいく。


《タイトル:メイコの感情的なコメントの考察メモ》

通常は無機質な話法。

だが、デュプリカントに関する話題では感情的に変化?

あるいは、単なるノイズ?


リサは、視線をフレックス・シートから、

壁に映るカッパドキアの風景へ移す。

色とりどりの気球が、

寸分違わぬ軌道で、オフィスの周囲を周回している。


再び、視線をシートに戻し、

ニ行だけ、書き足した。


メイコはフリーランチャーにテロを仕掛けたETHICのメンバー。

あれは感情というより――同調の表れ。


Logを閉じる。

リサは、何も判断しない。

ただ、記録した。

それが、立花栞の仕事だ。

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