第九話:First Patch
翌日、午後一時きっかり。 F級ダンジョン『ゴブリンの洞穴』の入り口に、柏木修は立っていた。
約束の時間から遅れること五分。息を切らして駆けつけてきたのは、白石雪音だった。彼女の身を包むのは、見習い聖女に支給される軽量銀鎧と、白銀の円盾。その表情には、極度の緊張と不安、そして昨日芽生えたばかりの微かな期待が入り混じっていた。
「五分の遅刻だ。非効率的な時間の使い方はやめろ。次はない」
「……申し訳、ありません」
冷徹に挨拶を切り捨てると、修は雪音の全身を無遠慮にスキャンした。青い瞳がかすかに発光し、彼の網膜上に緑色の文字列が滝のように流れる。
[オブジェクト名: 白石 雪音]
[レベル: 15]
[HP: 1450/1450]
[MP: 380/380]
[状態: 正常 (睡眠・栄養状態の改善を継続中)]
「……まあ、ハードウェアの初期化は済んでいるようだな」
昨日とは見違えるように、彼女のバイタルは安定していた。最低限の準備は整っている。
「入るぞ。今日の目標は、お前のスキルの問題点の洗い出しと、最初のパッチ適用(修正)だ」
「は、はい……!」
修に促され、雪音は強張った面持ちで洞穴に足を踏み入れた。
ひんやりとした湿った空気が、二人の肌を撫でる。カビと鉄錆、そして微かな血の匂い。すぐに、前方から重い足音が響き、二体のゴブリンが姿を現した。汚泥に塗れた緑色の肌に、ひび割れた棍棒。ぎょろりとした濁った眼球が、明確な殺意を伴って二人を捉える。
雪音の身体が、ビクッと震えた。パーティを組んでいた頃の、苦い記憶がフラッシュバックする。『役立たず』『的になってろ』。そんな罵声が、幻聴のように鼓膜を叩く。
「落ち着け。まず、お前のスキルの現状を正確に理解しろ」
修の絶対的な静けさを帯びた声が、彼女を現実に引き戻す。
「お前のSランクスキル『聖域守護』。その効果は『半径五メートル以内の味方へのダメージを極大軽減し、自身が肩代わりする』。強力な防御スキルだが、その代償として、お前自身の攻撃に関するパラメータが、全て強制的にゼロに固定されている」
「……はい」
「問題は、この『攻撃』の定義が、あまりに広すぎることだ」
修は、まるでプログラムの欠陥を指摘するように淡々と続ける。
「直接的な殴る・蹴るだけでなく、敵にダメージを与える全ての行為が『攻撃』と判定され、ブロックされる。例えば、お前が盾で敵を押し返そうとしても、その行為に『敵対的な意図』が含まれていれば、システムがお前の筋力パラメータをゼロにし、押し負ける。これが、お前が『ただの的』にしかなれなかった仕様の正体だ」
雪音は、目を見開いた。今まで、誰もそんな風に彼女のスキルの論理構造を分析してくれた者はいなかった。皆、「使えない」の一言で切り捨てるだけだった。
「最初のデバッグは、この『攻撃判定』の穴を探すことから始める」
修は、迫り来るゴブリンを顎でしゃくった。
「いいか。まず、スキルは一切使うな。あのゴブリンの攻撃を、その盾で、自分の力だけで防いでみろ」
「えっ……でも……」
「いいからやれ。お前の基礎的なハードウェア性能を測る」
有無を言わせぬ修の口調に、雪音は震える腕で盾を構えた。
一体のゴブリンが奇声を上げ、跳躍と共に棍棒を振り下ろす。
ガギンッ!
鈍い金属音と共に、強烈な衝撃が腕の骨を軋ませる。小柄な彼女の身体は、いとも簡単に数メートル吹き飛ばされ、湿った地面に尻餅をついた。
「……くっ……!」
[白石 雪音: HP 1395/1450]
「なるほどな。レベル15のタンクとしては、身体能力の使い方が甘すぎる。スキルに依存しきった結果の弊害だ」
修の容赦ない分析が突き刺さる。
「だが、今の防御には『敵対的な意図』は含まれていなかった。ただ身を守ろうとしただけだ。だから、VIT(耐久力)パラメータは正常に機能した。つまり、『純粋な防御』は可能だということだ」
修は、倒れている雪音には目もくれず、もう一体のゴブリンに向かって歩き出す。ゴブリンが修に向かって棍棒を振り下ろす。修はそれを最小限の動きでひらりとかわすと、デバッグ済みの剣で、ゴブリンの首を無造作に一閃した。
どす黒い血飛沫が舞う。あまりに洗練された、無駄のない殺戮。雪音は、呆然とそれを見つめていた。
「立て。次だ」
修は剣の血を払い、新たな指示を出した。
「今度は、スキル『聖域守護』を使え。だが、ただ防御するんじゃない。攻撃を受ける『瞬間』に、全神経を盾に集中させろ。敵の力を受け流すでもなく、押し返すでもない。ただ、その衝撃のエネルギーが、どんな『データ』としてお前の身体を駆け巡るのか、そのパルスを感じ取るんだ」
「……データ、ですか?」
「そうだ。お前にとってそれはただの衝撃だろう。だが、俺の目には膨大な数値データとして見えている。お前にも、その感覚の一端を掴んでもらう」
雪音は言われるがまま、スキルを発動した。
彼女の足元に、神聖な淡い光の魔法陣が展開される。
洞穴の奥から、新たなゴブリンが現れた。修が石を投げて挑発し、雪音の元へと誘導する。
ゴブリンの怒り狂った棍棒が、光の障壁に叩きつけられた。
衝撃はない。スキルが全てのダメージを吸収しているからだ。だが、雪音は修の言葉通り、盾に意識を集中させた。
――感じた。
目には見えない、膨大なエネルギーの奔流が、盾を通じて自分の身体に流れ込み、そして霧散していく、その「流れ」を。
「……感じたか」
「……はい。何か、すごい力が……」
「それが、お前が今まで、ただ垂れ流して捨てていただけのエネルギーだ」
修の青い瞳が、再び鋭く発光する。彼は雪音のスキルのソースコードに深くアクセスし、処理の全容を把握していた。
「――よし。最初のパッチを当てる」
修は、雪音の華奢な肩に手を置いた。
「動くな。お前のスキルコードに、新しいスクリプトを一時的に追加する」
[コマンド実行: Add_Temporary_Script("Impact_Echo", Target="Yukine.Skill.Sanctuary")]
Warning: 対象オブジェクトへのスクリプト介入は、術者のMPを継続的に消費します。実行しますか? Y/N
「……実行(Enter)」
修の体内の魔力(MP)が削り取られる。だが、それと引き換えに、雪音のスキル『聖域守護』のコードの末尾に、世界を書き換える新たな数行が刻み込まれた。
[スクリプト名: Impact_Echo]
[効果: 防御成功時、吸収した運動エネルギーの10%を、非殺傷の衝撃波として対象へ反射する]
「もう一度、同じように防御しろ」
再びゴブリンが棍棒を振り下ろす。
雪音は、言われた通りスキルでそれを受け止めた。
その、瞬間だった。
ドンッ!
空気を叩くような重低音と共に、彼女が構える盾の前面から、目に見えない衝撃波が炸裂した。
「ギャッ!?」
棍棒を振り下ろしたゴブリンは、まるで透明な城壁に激突したかのように、無様に後方へと吹き飛んでいく。
「え……?」
雪音は、自分の盾を見つめた。今、何が起きたのか、理解が追いつかない。
「今の、は……?」
「お前が捨てていたエネルギーを、再利用しただけだ」
修は、淡々と告げる。
「これは『攻撃』じゃない。あくまで受けた衝撃に対する処理の返り値、『反響』だ。だから、お前のスキルの攻撃制限には引っかからない。ダメージはゼロだが、敵を怯ませ、弾き飛ばすことはできる」
攻撃力、ゼロ。その事実は変わっていない。
だが、彼女の「絶対防御」は、今、初めて「反撃」という概念を手に入れたのだ。
「……すごい……」
雪音の瞳が、鮮やかな輝きを取り戻していく。
Sランクスキルに目覚めてから、ずっとただの「的」だった。初めてだった。自分のスキルが、敵を退けたのは。
「勘違いするな。これは応急処置に過ぎん。燃費も悪いし、効果も限定的だ」
修は、浮かれる雪音に冷や水を浴びせるように言う。
「だが、これが第一歩だ。お前のスキルは、まだ、こんなものじゃない」
修の言葉に、雪音は力強く頷いた。
その瞳には、ここ数ヶ月失われていた確かな光が宿っている。
役立たず。欠陥品。バグ。
そう罵られ続けてきた自分の力が、目の前の無愛想な少年によって、全く新しい可能性を示されたのだ。
『ハズレ』だと絶望したスキルは、まだ、輝ける。
「……はい!」
その返事には、今までの彼女にはなかった、確かな決意が込められていた。
彼女を縛り付けていた絶望という名のバグが、今、一つ取り除かれた。
『役立たずの聖女』の、リビルドが始まった瞬間だった。
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【現在のステータス】
■柏木 修
Lv: 9
HP: 500/500
MP: 85/120
STR: 45
VIT: 42
INT: 145
DEX: 118
AGI: 55
LUK: 7
ATK: 50
DEF: 52
RES: 145
現在の装備: 改良された剣(Eランク相当)、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン
主なスキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブスキル『不遇の記憶』、パッシブスキル『並列演算』
■白石 雪音
Lv: 15
HP: 1395/1450
MP: 380/380
STR: 5
VIT: 210
INT: 55
DEX: 40
AGI: 35
LUK: 80
ATK: 0
DEF: 285
RES: 190
現在の装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾
主なスキル: 【聖域守護】、一時スクリプト【Impact_Echo】




