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第十話 Reactive Armor

 薄暗いF級ダンジョン『ゴブリンの洞穴』。カビと鉄錆、そして微かな血の匂いが混じり合う粘りつくような湿気が、柏木修と白石雪音の肺を満たしていた。


「攻撃を受ける瞬間に、全神経を盾に集中させろ。敵の力を受け流すでも押し返すでもない。衝撃のエネルギーがどんな『データ』としてお前の身体を駆け巡るのか、そのパルスを感じ取れ」


 修の宣告は絶対零度のように冷徹であり、一切の甘えを許さないものだった。それは、ファンタジーの常識に縛られ、魔法やスキルの表面的な恩恵に頼り切ってきた人にとって、あまりにも異質で難解な概念だった。

 しかし、雪音の銀色の瞳には、かつて見せていた逃げ出したいという弱さは微塵もなかった。彼女は両手でしっかりと白銀の円盾バックラーを握り締め、荒い息を吐きながらも、ただ真っ直ぐに暗闇の前方を見据えていた。


 洞穴の奥から、無数の重い足音が這い出るように響いてくる。壁に掛けられた松明の赤黒い炎に照らされ、新たに三体のゴブリンが姿を現した。緑色の醜悪な肌は泥と脂にまみれ、所々剥がれ落ちた皮膚からは黒ずんだ血が滲んでいる。ひび割れた棍棒を床に引きずりながら、獲物である二人に向かって鼓膜を劈くような奇声を上げた。


「来ます……!」

 雪音は喉を震わせながら声を張り上げた。


「俺は手を出さない。お前が『聖域守護』のバグを乗り越えない限り、俺たちのパーティに未来はない」

 修はそう言い放ちながらも、視界の隅に展開された半透明のホログラムウィンドウ――《プログラマー》のインターフェース――に意識を集中させていた。彼の眠たげな青い瞳が、暗闇の中で微かに、しかし鋭く発光する。


 瞬時にして、世界が修の目には巨大なソースコードの海として映し出された。ゴブリンの筋肉の異常な収縮率、床の岩盤の摩擦係数、松明の燃焼による温度変化、そして、雪音のSランクスキル『聖域守護』を構成する複雑怪奇な論理回路。

 修の指先が、虚空のキーボードを叩くように微かに動く。


(『聖域守護』の根本的な欠陥……それは、対象への敵対的行為とシステムに判定された瞬間に、攻撃力(ATK)パラメータに『0』を代入する絶対制約(Const)だ。だが、物理的な『衝撃エネルギー』そのものを世界から消し去ることは、この実験場を管理する物理演算エンジンにも不可能だ。今のあいつのスキルは、その過剰なエネルギーを無駄に地面や大気に放熱して逃がしているに過ぎない。非効率極まりない仕様だ)


 修は、昨夜自室で組み上げていた一時スクリプト『Impact_Echo』のモジュールを、雪音のスキル領域ローカルメモリにフックする。


(衝撃を逃がすな。キャッチし、盾というバッファに蓄積プールしろ。そして、ベクトルを反転させて射出する。これはシステム上『攻撃』ではなく、ただの『エネルギーの移動』だ。システム(神)の目を欺く、究極の例外処理エクスプロイトを見せてやる)


「雪音!」修の声が洞穴に響く。「目を開けろ! 怖がるな! 衝撃は『痛み』じゃない! ただの『数字』だと思え!」


 三体のゴブリンが、一斉に跳躍した。腐臭を放つ顎門が開き、三本の棍棒が雪音の華奢な身体を肉片に変えようと迫り来る。

 雪音は、修の言葉を信じた。かつて自分を『役立たずの肉壁』と罵った裏切り者たちの言葉ではなく、自分を真正面から見つめ、その価値を証明しようとしてくれるこの男の言葉を。


「――『聖域守護』ッ!!」


 雪音が裂帛の気合と共に叫んだ瞬間、白銀の円盾から半透明の光の膜が展開された。


 ガァァァンッ!!!


 三本の棍棒が、同時に光の膜に激突する。凄まじい衝撃音が爆発し、雪音の足元の岩盤がクレーターのようにひび割れた。骨が軋み、内臓が揺れるような圧迫感が彼女を襲う。しかし、雪音は吹き飛ばされなかった。

 彼女の脳裏に、不思議な感覚が走った。

 激突の瞬間、痛みや恐怖よりも先に、何か青白い『熱の塊』のようなものが、盾を通じて自分の内側に流れ込んでくるのを感じたのだ。それは、まさに修が言った『データ』の奔流だった。

 ゴブリンたちの力任せの運動エネルギーが、光の膜の中で行き場を失い、極限まで圧縮され、臨界点に達しようとしていた。盾の表面が、危険な赤色に明滅し始める。


(……これ、が……エネルギー……!)


 雪音には、その力の奔流がどこへ向かえばいいのか迷い、暴れているように感じられた。


「限界まで溜め込め! そして、敵の重心に向かって『押し返せ』! お前の筋力じゃない、溜まったエネルギーに方向ポインタを与えるだけでいい!」

 修の的確な指示が、雪音の迷いを打ち砕く。


「いっ、けぇぇぇぇっ!!」


 雪音は、蓄積されたエネルギーの塊に、明確な殺意ではなく、『反発』という意思の方向性を与え、盾を思い切り前に突き出した。

 その瞬間。空間が、歪んだ。


 キィィィィン……という耳鳴りのような高周波に続き、圧縮されていた運動エネルギーが、一切の減衰なくゴブリンたちに向けて放射された。


 ズドォォォォォォン!!!


 至近距離で大砲の直撃を受けたかのような轟音が洞穴を揺るがした。三体のゴブリンは、自分たちが振り下ろした力の何倍もの衝撃波をまともに浴び、まるで紙屑のように後方へと吹き飛ばされた。

 岩壁に激突した三体は、不快な骨の砕ける音と、肉が弾ける湿った音を立てて絶命した。壁にはどす黒い血と内臓の破片がへばりつき、凄惨な死の痕跡を描き出していた。


 静寂が、洞穴に降り下りた。

 ポタ、ポタと、天井から滴る血と水滴の混じった音だけが響く。

 雪音は、構えた盾を下ろすことも忘れ、自分の目の前で起きた光景を呆然と見つめていた。彼女の手は小刻みに震えていた。しかし、それは恐怖からくるものではなかった。


「私が……やったの……?」


 かすれた声で呟く雪音の背後に、修が静かに歩み寄る。


「正確には、敵が自らの暴力で自滅しただけだ。お前は、敵の攻撃エネルギーを一時的に保存キャッシュし、そのまま相手に返却リターンした。これが、お前の『聖域守護』に隠されていた本当のポテンシャルだ」


 修の視界では、エラーを吐き出さずに正常終了した『Impact_Echo』の緑色のログが滝のように流れていた。


「システム上、お前は一切の『攻撃行動』をとっていない。だから攻撃力はゼロのままだし、スキルの絶対制約にも引っかからない。だが、結果として敵は肉塊になった。……お前はもう、ただ防ぐだけの『的』じゃない。敵の暴力そのものを牙に変える、最強の『反射装甲リアクティブアーマー』だ」


 その言葉を聞いた瞬間、雪音の張り詰めていた糸が切れ、瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

 ずっと、誰の役にも立てないと思っていた。仲間を守るための力が、逆に仲間の足を引っ張っていると絶望し、暗闇の中に独り取り残されていた。

 しかし、修は彼女の力を否定せず、その論理構造を変えることで、彼女を『戦士』へと生まれ変わらせてくれたのだ。


「泣いている暇があるなら、息を整えろ。まだ戦闘は終わっていない」

 修の口調は相変わらず冷たかったが、彼はポケットから一枚の清潔なハンカチを取り出し、雪音の汚れた顔に無造作に押し当てた。


「……っ、ありがとうございます、修さん」

 雪音はハンカチを両手で握り締め、涙と泥を拭いながら、満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、血なまぐさい薄暗い洞穴の中にあって、一筋の光明のように眩しかった。


「私、やります。修さんが作ってくれたこの力で、必ず……修さんを守ってみせます」

「俺を守る必要はない。お前は、パーティの盾として自分の役割タスクを完璧にこなせばそれでいい。無駄な感情は演算の邪魔になる」


 修はそっぽを向きながら歩き出す。だが、その胸の奥では、前世の冷たい記憶の残滓が、ほんの少しだけ溶けていくのを感じていた。

(……こいつは、俺の書いたコードに完璧に応えた。俺を用済みだと切り捨てた、あの裏切り者の連中とは違う。俺が、こいつを最高の環境プラットフォームで稼働させてやる)


 * * *


 その後、二人は洞穴の最深部を目指して進み続けた。

 道中、群れをなして襲い来るゴブリンに対し、雪音は『Impact_Echo』の要領を完全に掴んでいた。彼女が盾を構え、敵の攻撃を受け止めるたびに、ダンジョン内に轟音が響き、ゴブリンたちが自らの力で破裂していく。

 修はその後方から冷静に戦況を分析し、雪音が取りこぼした敵や、魔法による遠距離攻撃を仕掛けてくる個体を、デバッグによって切れ味を極限まで高めた剣で的確に処理していった。


 そしてその反復の過程で、修の視界に信じがたいシステムの挙動が映し出された。


[System Notification: 被検体『白石雪音』のスキル領域にて、一時スクリプトの恒常的なループを検知。論理的矛盾を解消するため、ローカルメモリ内のデータを再定義コンパイルします]

[スキルツリーの更新を完了しました。『Impact_Echo』をアクティブスキル『反射装甲リアクティブアーマー』として正式に昇格・統合します]


(……なるほど。システムはイレギュラーなコードの存在を『エラー』として排除するのではなく、世界の整合性を保つために新たな『仕様』として丸め込んだか。神々の自律的なバグ修正機能を逆手に取れば、俺の書いたコードを正規のスキルとしてこの世界に定着させられるというわけだ)


 修の唇の端が、微かに吊り上がった。神々すら欺く権能の恐ろしさを、彼自身が誰よりも理解した瞬間だった。

 二人の連携は、結成二日目とは思えないほどに無駄がなく、効率的だった。


 そして、ついに最深部のボス部屋。

 そこに待ち構えていたのは、通常のゴブリンの二倍近い巨体と、鋼のワイヤーを編み込んだような異常な筋肉を持つ『ホブゴブリン』だった。

 手には、血と脂で黒光りする巨大な錆びた大鉈が握られている。その濁った眼光は、明確な知性と、侵入者に対する激しい怒りに満ちていた。室内に充満する獣の体臭と腐肉の匂いが、空気を重く沈み込ませている。


「グルォォォォォォォッ!!」


 鼓膜を破らんばかりの咆哮と共に、ホブゴブリンが地を蹴る。凄まじい質量が、弾丸のような速度で雪音に迫る。


「雪音! こいつの質量と速度から計算される運動エネルギーは、さっきの雑魚どもの比じゃない。お前の盾の許容量メモリを完全にオーバーフローする。無理だと判断したら、迷わず軌道を逸らして回避しろ!」


 修の警告が飛ぶ。しかし。


「……いいえ、受け止めます!」


 雪音は一歩も引かず、両足で地面を強く踏みしめ、盾を構えた。

 ホブゴブリンの丸太のような巨腕が振り上げられ、大鉈が空気を切り裂きながら落下してくる。


 ガゴォォォォォンッ!!!


 衝突の瞬間、火薬庫が爆発したかのような衝撃波が吹き荒れ、洞穴の壁面から無数の岩の欠片が降り注いだ。

 雪音の足元の岩盤が完全に砕け散り、彼女の身体が数メートル後方へ滑るように押し込まれる。


「くぅぅぅぅぅっ……!!」


 雪音の顔が苦痛に歪む。盾の表面に展開された光の膜が、これまで見たこともないほど激しく明滅し、バチバチと赤いノイズを撒き散らしている。

 修の視界に、強烈な警告アラートの赤文字が点滅した。


[WARNING: Impact energy exceeds local memory limit.]


(やはり、レベル15のステータスでは、このクラスの一撃を完全には処理しきれないか……!)


 修が剣を構え、強制終了キルの介入に動こうとしたその時だった。


「――まだ、ですっ!!」


 雪音は、口の中から血の味を感じながらも、絶対に盾を離さなかった。

(修さんが、私を信じて作ってくれた力……! これしきのことで、壊れたりしないっ!!)


 彼女の自己犠牲ではない、純粋で強烈な生存への意志と仲間を守るという矜持が、システムの壁を力ずくで叩き割った。

 修の視界を覆う緑色の文字列の中で、突如として未知のコードが高速で自動生成されていくのを、彼は確かに目撃した。


[System Override: 被検体『白石雪音』の精神周波数が規定値を突破]

[新規パッシブスキル『不屈の精神』をアンロック・即時適用します]


(自力で、システム(神)の仕様を書き換えやがった……!)


 修が驚愕を見開く中、新スキルの補正により雪音のVIT(耐久力)に一時的な超補正がかかる。限界を迎えていた盾の赤いノイズが、一瞬にして眩い純白の光へと変貌した。


「今だ、全放出フル・パージしろ!!」


 修の叫びと同時に、雪音が盾を上段へ向けて弾き上げた。

 ホブゴブリンの渾身の力と、大鉈の質量。そのすべてを極限まで凝縮した破壊エネルギーが、ホブゴブリン自身の巨腕を跳ね上げる形で逆流・爆発した。


「ギャァァァァッ!?」


 ホブゴブリンの右腕の骨が、内部から激しい破裂音を立てて砕け散り、肉が弾け飛ぶ。巨体が大きく仰け反り、完璧な、そして無防備すぎるデッドリンクが生まれた。


「――Delete(削除)」


 冷徹な声と共に、修の姿がブレた。

 彼が身につけているパッシブスキル『並列演算』が、ホブゴブリンの分厚い肉体構造、装甲の薄い箇所、そして心臓の正確な三次元座標を一瞬にして算出し、修の運動神経に最適な軌道ルートを強制入力する。

 修の身体は、まるで重力を無視したかのように滑らかに跳躍し、ホブゴブリンの胸元へと潜り込んだ。

 彼が握る剣の刃先が、プログラマーの権能によって『貫通属性』のコードを一時的に付与され、青白い光の軌跡を描く。


 ズシュッ!!


 一切の抵抗なく、刃は分厚い筋肉と肋骨の隙間を縫うように、ホブゴブリンの心臓を正確に貫いた。

 時間が止まったかのような錯覚。次の瞬間、ホブゴブリンの巨体から急速に力が抜け、膝から崩れ落ち、やがて地鳴りのような轟音と共に地面に倒れ伏した。どす黒い血が、乾いた岩肌を真っ赤に染めていく。


[システム通知: 経験値を取得しました]

[柏木 修のレベルが上がりました: Lv9 -> Lv10]

[白石 雪音のレベルが上がりました: Lv15 -> Lv16]


 網膜に浮かぶシステムメッセージを冷たい目で見つめながら、修は剣の血糊を無造作に振り払った。


「……オーバーキルだな。だが、負荷テストとしては上々の結果だ」


 修が振り返ると、雪音は限界を迎えたのか、その場にぺたんと座り込み、肩で大きく息をしていた。しかし、彼女の顔には、かつてないほどの達成感と、確かな自信が満ちていた。


「修さん……私たち、勝ちましたね」

「ああ。だが、これはただのチュートリアルだ。この世界を裏で操る『クソみたいな運営(神々)』が用意した理不尽なバグは、こんな底辺ダンジョンには収まらない。俺たちの戦いは、ここから始まる」


 修は、倒れたホブゴブリンの胸をナイフで無造作に裂き、ピンポン玉ほどの大きさの美しい魔石を抉り出した。


「行くぞ。次は、俺たちの目となる『眼(斥候)』を探す」

「はいっ!」


 雪音は、修が差し出した手をとることなく、自分自身の足で力強く立ち上がった。その姿に、修は小さく鼻を鳴らし、ダンジョンの出口へと歩き出した。


 ---

【現在のステータス】

 ■柏木 修

 Lv: 10

 HP: 550/550

 MP: 100/125

 STR: 50

 VIT: 47

 INT: 160

 DEX: 130

 AGI: 60

 LUK: 7

 ATK: 55

 DEF: 57

 RES: 160

 現在の装備: 改良された剣(Eランク相当)、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン

 主なスキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブスキル『不遇の記憶』、パッシブスキル『並列演算』


 ■白石 雪音

 Lv: 16

 HP: 1050/1500

 MP: 150/400

 STR: 5

 VIT: 230

 INT: 58

 DEX: 42

 AGI: 37

 LUK: 82

 ATK: 0

 DEF: 305

 RES: 200

 現在の装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾

 主なスキル: 【聖域守護】、【反射装甲リアクティブアーマー】、パッシブスキル『不屈の精神』

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