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第十一話:Fatal Exception

 F級ダンジョン『ゴブリンの洞穴』の出口は、ひび割れたコンクリートの壁面に、地下鉄の入り口のように唐突に口を開けていた。外気は冷たく、かつ湿っており、カビ臭いダンジョンの名残が修の肺を微かに刺激する。


 一歩外に出ると、そこは完全に現代日本の都市風景だった。夕日が網の目のように広がるビル群の隙間から差し込み、アスファルトを燃えるような、どこか血の赤を連想させる不気味なオレンジ色に染め上げている。遠くからは絶え間ない車のクラクションや、行き交う人々の無機質なざわめきが鼓膜を打つ。

 ダンジョンという異界の超常空間と、冷徹な現代社会の日常。この世界が「神々の実験場」と化して以来、人類はこの歪な二重構造を、生き延びるための前提として受け入れていた。


 柏木修は、傷の目立つスマートフォンの画面をタップし、時刻を確認した。


「夕方の17時か。ギルド本部の窓口が最も混雑する時間帯だな。ドロップ品の迅速な換金と、次のフェーズに向けた情報収集を行う」

「はい。でも、その……修さん、私、まだ体から血の匂いが抜けていない気がして……ギルドの他の方々に、不快な思いをさせてしまわないでしょうか?」


 隣を歩く雪音は、自身の「見習い聖女の軽量銀鎧」の裾を小さな指先で掴み、申し訳なさそうに修を見上げた。先ほどの凄絶な戦闘で、彼女のスキル『聖域守護』の致命的な欠陥を修が強引に書き換え、一時構築したスクリプトによって【反射装甲リアクティブアーマー】へと昇華させたのだ。ゴブリンの肉体を引き裂いた暴力の余韻が、彼女の白銀の円盾には未だ見えない汚れとして張り付いているように思えた。


「気にするな」

 修の声は平坦で、感傷を一切挟まない。

「あそこは、血と泥、そして他人の上前を跳ねることしか考えない連中の吹き溜まりだ。お前のその程度の汚れを気にする高潔な冒険者など、一人も存在しない」


 修の脳裏に、前世の記憶が鋭い棘のように突き刺さる。二十二年間の時を遡る前、彼が魂を削って尽くした日本最強ギルドの光景。そこでは圧倒的な戦闘力を持つ前衛の戦士たちが神のように崇められ、修のような搦め手や生産、戦術サポートを担当する者は「便利な使い捨ての計算機」として搾取されていた。どれほど完璧な作戦を構築し、死地を切り抜けさせても、返ってくるのは蔑みの視線と僅かなはした金。そして用済みとなれば、薄暗いダンジョンの底で囮として無慈悲に切り捨てられる。


(……思い出すだけで、指先が凍りつく)


 修の眠たげな青い瞳が、一瞬だけ鋭利な殺意を帯びて発光する。だが、彼の中に深く根ざしたパッシブスキル『不遇の記憶』が、その過剰な負の感情を即座に検知。冷水のように精神を冷却し、論理的思考を絶対的な高精度で維持させた。


「行くぞ。俺たちの絶対的な居場所を構築するためには、まずこの理不尽な実験場のシステムそのものをハックし、そのルールを利用して頂点へ這い上がる必要がある」


 ◆ ◆ ◆


 冒険者ギルド日本支部・本部ビル。

 都心の一等地にそびえ立つその巨塔は、外観こそ全面ミラーガラス張りの近代的な超高層ビルだが、一歩足を踏み入れると、内部の空気は退廃した中世の酒場と最前線の野戦病院を掛け合わせたような、胸の悪くなる泥臭さに満ちていた。

 大理石の床には無数の泥や血の足跡がこびりつき、空調からは安っぽいタバコの煙と、獣の脂、汗の匂いが混ざり合った異臭が漂っている。

 広大な1階ロビーには、様々なランクの冒険者たちがひしめき合っていた。最新鋭の魔導ライフルを肩にかけた者、全身を禍々しい重装甲で固めた巨漢、そして、制服の上に簡単な胸当てを身につけただけの、現実をまだ知らない学生冒険者たち。


 修と雪音がロビーを進むと、周囲の視線が値踏みするように、そして侮蔑を込めて突き刺さった。


「おい、見ろよ。あのハズレ能力者の柏木だぜ」

「まだ冒険者なんてやってんのか? 戦闘力皆無の生産職の分際で、命がいくつあっても足りないだろ」

「隣の女も、攻撃能力が完全にゼロのポンコツ聖女じゃねえか。肉壁と雑用係のコンビなんて、F級のゴブリンにすら貪り食われるのがオチだな」


 ひそひそとした、だが隠す気もない悪意の嘲笑。

 雪音はビクッと肩を震わせ、小さく俯いた。白銀の盾を握る彼女の指先が、怒りと恐怖で微かに震えている。

 しかし、修の歩みはコンクリートのように硬質で、微塵のブレもなかった。その表情には、怒りすら浮かんでいない。


(吠えていろ、有象無象が。お前たちの陳腐な思考アルゴリズムは、俺のシステムインターフェースから見れば、ただの『処理待ちのゴミデータ』以下だ。変数一つ割いて書き換えてやる価値もない)


 修にとって、周囲の嘲笑はただの雑音に過ぎない。この歪んだ世界システムに踊らされているだけの、哀れな被造物オブジェクトたち。


「顔を上げろ、雪音」

 修は正面を見据えたまま、静かに、だが彼女の芯に届く声で言った。

「お前はもう、ただ攻撃を耐えるだけの肉壁ではない。誰よりも強固な『盾』であり、その衝撃を牙に変える『矛』だ。くだらないNPCのセリフに耳を貸すな。胸を張って歩け」

「……はいっ!」

 雪音は力強く顔を上げ、修の半歩後ろにぴったりと寄り添うように歩幅を合わせた。その瞳からは、もう怯えの色は消え去っていた。


 ◆ ◆ ◆


 ロビーの最奥、壁一面を覆い尽くす巨大な電子掲示板の前に、修は足を止めた。

 そこには、世界中のダンジョンからリアルタイムで送信されてくる無数の依頼クエストが、ホログラムの文字となって滝のように流れている。


「さて、効率よく資金と経験値を回収できる『システムの穴』を探すか」


 修は瞳を細め、他者には決して見えない固有の権能――スキル『プログラマー』を脳内で起動した。

 視界が瞬時に反転する。ノイズ混じりのホログラム文字が、冷徹な緑色の0と1のデータストリームへと変換されていく。修の目には、依頼の表面的な推奨ランクや報酬額だけでなく、その裏に隠されたシステムログ、過去の挑戦者の死亡率、そしてギルド職員が不自然に入力した「隠しパラメータ」までもがすべて白日の下に晒されていた。


 その膨大な情報処理の渦中、修の視覚モジュールが一つの異常なデータブロックを検知し、警告の赤色でハイライトした。


「……これは」

 修は、その依頼の詳細データを引き抜き、脳内のコンソールで解析を開始する。


『C級指定:第4廃工場ダンジョン。特異素材「魔影草」の採取。報酬:3,000,000円』


 提示された条件は極めて緩く、報酬はC級としては破格の金額だ。しかし、修の解析眼が弾き出した「裏のデータ」は、その甘い罠とは完全に矛盾していた。


(死亡率、驚異の65%。だが、一般公開用のディスプレイでは難易度が極端に引き下げられ、安全マークのフラグが偽装スプーフィングされている。……これはシステムの単なる不具合ではない。ギルド内部の何者かが、意図的に数値を書き換え、新人や困窮した冒険者を『合法的な死地』へ送り込んでいるログがあるな)


 これは人間の悪意によって仕組まれた、致死性のマルウェア(罠)だ。


「悪趣味な仕様だ。だが……報酬データの支払処理ルーチンに偽装はない。トラップ群の座標さえ特定できれば、最短ルートで素材を回収し、このシステムを食い物にできる」


 修が依頼の受諾ボタンに手を伸ばそうとした、その時だった。


「――その依頼、絶対にやめといた方がいいッスよ、兄さん」


 背後から、張り詰めた緊張感を削ぐような、ひょうひょうとした軽い声がかけられた。

 修が振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。年齢は十五、六歳。明るい茶色の髪に、使い込まれた特注の防塵ゴーグルを額に乗せている。小柄だが、全身の筋肉はしなやかなバネのように引き締まっており、高機動型のダンジョンシューズを履いた足元は、大理石の床に対して完璧に消音されていた。


「……誰だ、お前は」

「俺はカイ。ただのしがない、雇い手を探してる斥候スカウトッス」


 カイと名乗った少年は、人懐っこい笑みを浮かべながらも、掲示板の赤い文字を指差す指先を微かに震わせた。

「俺のスキルが、あの依頼書から『死の匂い』を感じ取ってんスよ。頭の中でビンビンに警告が鳴りっぱなしだ。あそこには、目に見えない凶悪なトラップがうようよしてる。行けば確実に、骨も残さず消されるッスよ」


 カイの態度は軽薄に見えたが、修の鋭い観察眼は誤魔化せない。カイの目の奥には、他者から拒絶され、疎まれてきた者特有の、深い怯えと諦めの色が澱のように沈んでいた。修は即座にカイのステータスデータを視覚化し、読み取った。


(……パッシブスキル『罠感知』。しかも、内部ランクはA。世界でもトップクラスの超感覚だ。だが……)


 修の口角が、冷ややかに吊り上がる。


「素晴らしい知覚能力だ。だがお前、その罠を『解除』するスキルを持っていないな?」


 ビクッ、とカイの肩が露骨に跳ねた。図星を突かれた少年の顔から、一瞬で余裕が剥ぎ取られる。

「……よく分かったッスね。そうだよ、俺は罠の場所は完璧に分かる。でも、それを物理的に解除する技術も、魔法も持ってねえ。だから、どのパーティからも『見つけるだけで解除できないなら、ただの怖がりのお荷物だ』って鼻で笑われて、追い出されたッス。半端者の役立たず……それが俺ッスよ」


 自嘲気味に笑うカイの姿は、かつて「戦闘力がない」という理不尽な理由だけで最強ギルドから切り捨てられた、修自身の過去と重なり合った。

 この歪んだ世界は、一つの突出した専門性よりも、汎用性の高い分かりやすい数値ばかりを評価する。バグを抱えた者は、どれほど価値ある能力を持っていようと、システムから排除されるのだ。


「兄さんも、俺を無能だと笑うッスか?」

 カイは、拒絶を予期した諦めの瞳で修を見つめた。しかし、修の返答はその予想を遥かに超えていた。


「非効率極まりないな。周囲の凡愚どもも、そしてお前自身もだ」

「え……?」

「解除できないなら、最初から解除などする必要はない。お前のその特異な『目』で罠の座標さえ正確に特定できれば、俺が独自の解析処理でその機能を無効化デバッグしてやる。あるいは、罠ごと破壊する安全なルートをその場で再構築すればいいだけだ」


 カイは目を丸くした。そんな規格外の理論を口にする人間には、これまで一度も出会ったことがなかった。


「解、析処理……? 兄さん、一体何者なんだ……」

「俺は柏木修。……少しばかり、世界の『仕様』を読み解くのが得意な、ただの解析職だ」

 修は自身のスキル『プログラマー』の真名を秘匿しつつ、静かに、だが抗い難い説得力を持って告げた。

「俺とお前の能力を組み合わせれば、その致死の罠は、誰も手出しできない安全な宝の山に変わる」


 修は、カイに向かってスッと右手を差し出した。


「お前のその『目』を、俺の戦術に貸せ。代わりにお前の価値は、俺がこの世界に嫌というほど証明してやる」


 その言葉は甘い勧誘などではなく、絶対的な支配を宣言する契約コマンドのようだった。カイは、修の深く澱みのない青い瞳に吸い込まれるように見入ってしまった。そこにあるのは、狂気にも似た知性と、底なしの確信。

 ふと、修の隣に立つ銀髪の少女――雪音が、カイに向かって春の陽だまりのような微笑みを向けた。


「大丈夫ですよ、カイ君。修さんの言う通りにすれば、絶対に安全です。私が保証します」


 その笑顔には、一切の迷いも影もなかった。カイの胸の奥で、冷たく凍りついていた孤独の塊が、ドクンと激しく脈打って溶け出した。


(なんだよ、この人たち……。今まで会ってきた、どの冒険者とも決定的に違う……)


 カイは、小さく息を吐き出すと、頭に乗せていたゴーグルをスッと目元に下ろした。そして、今度は本物の悪戯っ子のような笑みを浮かべ、修の右手を力強く握り返した。


「……面白そうッスね。その話、乗ったッス! 兄貴って呼ばせてもらうッスよ!」

「好きにしろ。ただし、俺の指示には0.1秒の遅れもなく従え」

「了解ッス!」


 世界の理を書き換える修、絶対防御にして反射の盾を持つ雪音、そして死線を見透かすカイ。彼ら三人の、後に神々すらも震え上がらせる最強のパーティの最初の歯車が、静かに、だが確実に噛み合った。


 修は再び掲示板に向き直り、魔影草の採取依頼の受諾ボタンを力強くタップした。

「さあ、始めようか。まずはこの悪趣味な偽装依頼のコードから、完膚なきまでに書き換えて(デバッグして)やる。実力テストだ、カイ。その足で第4廃工場ダンジョンに向かうぞ」


 ◆ ◆ ◆


 都心から外れた寂れた工業地帯の地下に、その歪なダンジョンは存在していた。

『第4廃工場ダンジョン』。一歩足を踏み入れると、そこは打ち捨てられた巨大なプラント施設が無限に続くかのような、息苦しい閉鎖空間だった。

 錆びついた無数の高圧パイプが壁面を這い、明滅するひび割れた蛍光灯が、不協和音を奏でながら不気味な影を落としている。空気には酸化した鉄の匂いと、粘りつくような機械油の悪臭が色濃く漂い、一歩歩くたびにブーツの底が油膜に滑る。


 カイは顔面を蒼白にさせ、入り口の頑強な鉄扉にしがみつくように立ち止まった。


「ヒィッ……! 兄貴、ここマジで狂ってるッス! 通路の至る所に、高出力の熱線レーザートラップと、踏み抜き式の毒ガス地雷が……それも、C級どころか、初見殺しのA級相当の即死トラップが蜘蛛の巣みたいに張り巡らされてるッス!」


 カイの目には、常人には見えない罠の不吉な警告光が、無数に交差する赤いレーザーのように見えていた。床板、壁の僅かな隙間、天井の配管の裏にまで、無慈悲な殺意が潜んでいる。

 しかし、修は眉一つ動かさない。


「問題ない。カイ、お前のその『罠感知』が捉えている座標を、言葉で正確に俺に伝えろ。一歩動くごとに、その位置情報をグリッドに当てはめてな」

「了解、やってみるッス! まず三歩先の床、中央のボルトが抜けてる箇所が感圧式の起爆スイッチッス。それと、右の壁の排気口にモーションセンサーが隠されてるッス!」

「いいだろう。お前のその知覚データ、確かに受信インプットした」


 修は、脳内でスキル『プログラマー』をさらに深く展開した。眠たげな青い瞳が、暗闇の中で冷徹な発光を始める。

 世界が緑色のデータストリームへと変換されていく。カイが指摘した座標に干渉している《世界システム》のローカルスクリプトが、修の意識化にソースコードとして展開された。


(感圧センサーの閾値を0.5キロから、9999キロに書き換え。さらにモーションセンサーの動的検知フラグを『True』から『False』へ強制上書き。ついでに、レーザーの出力方向のポインタを、俺たちではなく、敵性モンスターの出現座標へとリダイレクトしてやる)


「よし、書き換え(処理)は完了した。普通に歩いていいぞ」


 修はそう言うと、全く躊躇することなく、カイが「絶対に踏むな」と警告した感圧式の床板を踏み抜いた。


「ああっ!? 兄貴、ストォォォプッ!!」

 カイが絶叫し、思わず両手で目を覆う。

 しかし――爆発も、毒ガスの噴射も、肉体を引き裂くレーザーも、何も起こらない。


「……え? なんでッスか?」

 恐る恐る目を開けたカイの視界の中で、真っ赤に明滅していた死の罠の警告表示が、次々とエラーを吐き、安全を示す緑色へと変異デバッグしていくのが見えた。


「ただの、システム権限の上書きだ。俺が管理者としてデータを掌握した以上、このダンジョンのトラップは俺が許可しない限り作動しない」


 修は平然と言い放つ。カイは開いた口が塞がらない。罠を道具で物理的に解除するのではなく、ダンジョンのルールそのものを歪めて無力化するなど、冒険者の常識ではあり得ない現象だった。

 隣を歩く雪音が、誇らしげにクスッと笑ってカイの肩を叩いた。


「修さんは、世界のあらゆる『不具合』を正してくれる特別な人なんです。だから、カイ君も自分のスキルを卑下する必要なんてどこにもありませんよ」

「姉さん……」


 カイの中で、これまで自分を縛り付けていた冒険者としての「常識」が音を立てて崩れ去っていく。それと同時に、腹の底から湧き上がるような強烈な興奮が、少年の全身を駆け巡った。


 その時、廃工場の奥からガシャガシャと耳障りな金属摩擦音が響き渡り、床が小刻みに揺れ始めた。


「……雑談はここまでだ。お出ましだぞ」


 修の警告と同時に、暗がりから姿を現したのは、巨大な金属ゴミをツギハギにして作り上げた、血の通わぬ無骨な機械兵――C級モンスター『スクラップ・ゴーレム』が三体。そして、その足元を素早く這い回る犬型の機械獣『キラー・ハウンド』が五体だった。


「ゲッ、C級モブの群れ!? しかも機械系は物理装甲が尋常じゃなく硬いから、俺たちの火力じゃ削りきれないッス!」

「カイ、お前の機動力を生かしてハウンドのターゲット(ヘイト)を散らせ。攻撃を当てる必要はない、翻弄することだけを考えろ」

「了解ッス!」


 カイは頭のゴーグルを下ろし、パルクール・アクションを発動した。壁を蹴り、剥き出しのパイプを滑り、三次元的な軌道でハウンドたちを翻弄し始める。ナイフを抜き放ち、関節の隙間を的確に突く動きは、斥候として非の打ち所がない精緻さだった。


「雪音、お前はゴーレム三体の突進をすべて正面から引き受けろ。例の【反射装甲リアクティブアーマー】のバッファへ、物理エネルギーを極限までプールし、一気に叩き返せ」

「はいっ!」


 雪音が鋭い踏み込みで前に飛び出し、白銀の円盾を構えた。ゴーレムたちが赤いセンサーアイを発光させ、その巨大な鋼鉄の拳を、雪音の華奢な肉体に向けて同時に振り下ろした。


 ガァァァンッ!!!


 凄まじい衝撃音が廃工場に響き渡り、強烈な突風が吹き荒れる。しかし、雪音の足元のアスファルトがクレーター状に爆砕したにもかかわらず、彼女は一歩も退かなかった。

 激突の瞬間、彼女の盾に展開された『聖域守護』の光の膜が、本来なら周囲に放熱されるはずだった衝撃エネルギーを極限まで圧縮し、盾のバッファ内にプール。限界を知らせる赤色のパルスが、激しく盾の表面で明滅する。


「いっ、けぇぇぇぇっ!!」


 雪音は全身の力を込め、蓄積されたエネルギーに「反発」の方向性を与え、盾を力強く前に突き出した。衝撃のベクトルが反転し、指向性爆弾のごとき超高圧のエネルギー波となって射出される。


 ドゴォォォォォォンッ!!!


 凄まじい衝撃波が放たれ、ゴーレムたちの分厚い鋼鉄の装甲が、内部から引き裂かれるように粉々に吹き飛んだ。無数の金属片が散弾のように壁に突き刺さり、三体の巨大な機械兵は、一瞬にして元のただの鉄屑へと還っていった。


「ウソだろ……姉さん、攻撃力ゼロの聖女って噂じゃなかったんスか!?」

 壁に張り付いていたカイが、信じられないものを見る目で絶叫する。


「それが『仕様(思い込み)』という名のバグだ。目の前の数値だけに縛られているうちは、本当の力など引き出せない」


 修は冷徹に言い放ちながら、視線をハウンドたちに移す。


(ハウンドのAIルーチン……自己保存よりもターゲットへの執着が最優先されている。ならば、そのターゲティング設定の方向ポインタを、壁の向こう側の『虚空』にずらしてやる)


 修の指先が再び虚空を叩き、コードを書き換える。

 直後、ハウンドたちは突如としてあらぬ方向へ猛ダッシュを開始し、強固なコンクリートの耐力壁に全速力で激突。自らの激突時の衝撃エネルギーによって頭部センサーを完全破壊し、次々と火花を散らしながら機能を停止していった。


「……すげぇ。マジで指一本触れずに、敵が自滅したッス……」

 カイは呆然と呟き、ゆっくりと床に降り立った。


 ◆ ◆ ◆


 廃工場の最深部。錆びついた巨大な貯水タンクの底に、青白く、どこか不気味な光を放つ薬草が群生していた。


「見えたッス。あの中央にある青く光る草が『魔影草』ッスね」

「ああ。だが、やはりな」


 修の視界には、魔影草の周囲に張り巡らされた、異様に複雑で、スパゲッティのように絡まり合った悪意ある論理回路が見えていた。


「カイ、お前の目にはどう映っている?」

「……真っ黒ッス。赤い警告を通り越して、死の呪いみたいな黒いオーラが渦巻いてる。絶対に触っちゃいけない奴ッス。これ、ただのトラップじゃない……誰かが意図的に、入ってきた冒険者を確実に殺すために仕組んだ『呪い』だ」

「その通りだ。これはダンジョンの自動生成システムが用意したトラップではない。ギルド内部の人間が、冒険者を合法的に抹殺し、その死体から装備や所持金を回収するために仕掛けた『スプーフィング(データ偽装)』だ」


 修の瞳が、怒りに似た青い光を帯びる。

 前世で、彼を最前線に送り込み、都合よく使い捨てにして殺したあのギルドの連中と、全く同じ薄汚い手口だ。


「胸糞悪い仕様だ」


 修は静かに魔影草に歩み寄る。


「ちょ、兄貴!? 触ったら本当に消し飛ぶッスよ!」

「システムを悪用して神にでもなったつもりだろうが……その程度の稚拙なコードで、俺をハックできると思うな」


 修の指先が、目にも留まらぬ速さで虚空のキーボードを乱打する。致死性の空間切断トラップの起動トリガー、対象認証プロセス、そして発動後のログ消去機能。それらすべてを逆コンパイルし、根本から書き換えていく。


(対象フラグを『柏木修』から『Null(無効)』へ。起動権限を強制破棄。トラップエネルギーの指向性を、自壊プロセスへリダイレクト)


 バチィッ! と空間にガラスが割れるような乾いた音が響き、黒いオーラを放っていた罠の気配が、霧散するように消え去った。

「デバッグ完了(終わりだ)」


 修は無造作に魔影草を引き抜き、アイテムボックスへと収納した。


「す、すげぇ……」

 カイはその場にへたり込んだ。自分の存在意義を否定し続けた「罠」という死の概念が、この男の前ではただの文字の羅列に過ぎないという圧倒的な事実。


「兄貴……あんた、マジで何者なんスか?」

「ただの、しがない解析職だ」

 修は静かに笑う。

「さあ、帰るぞ。ギルドの窓口で、この悪質な罠を仕掛けたネズミの顔を拝んでやる」


 ◆ ◆ ◆


「……は、はい?」


 冒険者ギルド本部、依頼達成報告窓口。受付嬢は、修が提出した『魔影草』とクリア証明証を見て、信じられないものでも見るかのように目を限界まで剥いていた。

「C級指定、第4廃工場ダンジョンの依頼……達成、確かに確認いたしました……。ですが、提示からわずか三時間? しかも、このメンバーで……?」


 周囲の冒険者たちも、何事かとざわめき始める。あの「誰も帰ってこない死の依頼」を、F級相当の弱小パーティが無傷でクリアしてきたのだ。

 修はカウンターに身を乗り出し、受付嬢の背後にある、ガラスで仕切られた職員用バックヤードに冷徹な視線を突き刺した。


「おい。この依頼に『安全マークのフラグ偽装スプーフィング』を仕掛けた担当者は誰だ?」

「えっ……? な、何をおっしゃっているのか、私には……」

「とぼけるな。俺の目には、お前たちの汚いシステムログの改竄履歴がすべて見えている。新人を餌にして装備を巻き上げる小遣い稼ぎ……二度とできないようにしてやる」


 修の絶対零度の言葉に、バックヤードの奥にいた中年の職員が顔を真っ青にさせ、逃げるように奥へと姿を消した。あの男が犯人か。修は視線だけでその男のIDを脳内コンソールに記録した。


「……チッ。まあいい。いずれ、このギルドの腐敗層ごと、完全にデバッグ(修正)してやる」


 修は報酬の300万円の入ったチップを受け取ると、雪音とカイを連れてギルドを後にした。


 夜の帳が下りた東京の街。冷たい風がビルの合間を吹き抜ける。


「いやー! 兄貴、マジで最高ッス! あの受付の顔、見たッスか!? ざまぁみろって感じッスよ!」

 カイが子供のように嬉しそうに飛び跳ねている。

「はしゃぐな。まだ俺たちはスタートラインに立ったばかりだ」

「それでも……私は、とても嬉しいです。カイ君という新しい仲間ができて、こうして無事に帰ってこられたことが」

 雪音が、穏やかに、だが決意を秘めた瞳で微笑む。


 修は、遥か上空の夜空を見上げた。神々が作り上げた、この歪で理不尽な箱庭。彼からすべてを奪ったあの裏切り者たち。そして、人類をただのモルモットのように監視する高次元の存在。


(待っていろ。お前たちが組み上げたこの狂ったシステムは、俺がすべて書き換えて(ハックして)やる)


 復讐と再生の物語を紡ぐ彼らの歩みは、ここに、最初の一歩を強烈に踏み出したのだった。


 ---

【現在のステータス】

 ■柏木 修

 Lv: 12

 HP: 610/610

 MP: 145/145

 STR: 54

 VIT: 51

 INT: 175

 DEX: 142

 AGI: 65

 LUK: 7

 ATK: 55

 DEF: 57

 RES: 160

 現在の装備: 改良された剣(Eランク相当)、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン

 主なスキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブスキル『不遇の記憶』、パッシブスキル『並列演算』


 ■白石 雪音

 Lv: 18

 HP: 1680/1680

 MP: 440/440

 STR: 5

 VIT: 260

 INT: 62

 DEX: 45

 AGI: 40

 LUK: 88

 ATK: 0

 DEF: 320

 RES: 210

 現在の装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾

 主なスキル: 【聖域守護】、【反射装甲リアクティブアーマー】、パッシブスキル『不屈の精神』


 ■カイ

 Lv: 14

 HP: 540/540

 MP: 125/125

 STR: 102

 VIT: 88

 INT: 72

 DEX: 265

 AGI: 310

 LUK: 145

 ATK: 175

 DEF: 82

 RES: 65

 現在の装備: タクティカル・サバイバルナイフ、強化軽量レザーベスト、特注防塵ゴーグル、高機動型ダンジョンシューズ、訓練校制服(放課後仕様)

 主なスキル: 『罠感知(ランクA)』、『パルクール・アクション』、『お調子者の空元気』

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