第七話:Null Pointer Exception
[登録状況: 休止中 (Inactive)]
データベースに表示されたその一文は、修の思考に、小さな、しかし無視できない波紋を広げた。
白石雪音。Sランクスキル『聖域守護』。攻撃力ゼロという致命的なバグ。
前世では、ただ遠くからその悲劇を「観測」していただけの存在。だが、今の修には、そのバグを修正できる可能性がある。
(最高の素材が、誰にも解析されずに腐っていくのは、惜しいな)
その思考は、純粋な技術者としての探究心からくるものだった。
復讐という壮大なプログラムを完遂するためには、強力な駒が多ければ多いほどいい。彼女は、その筆頭候補となりうる、最高の「変数」だ。
だが、どうやって接触する?
人間不信の塊である修にとって、他者と自発的に関わるという行為は、最も避けたい、非効率的なリスクでしかなかった。
(……いや、待てよ)
修は、思考を切り替える。
リスクを冒してまで、なぜ彼女に固執する必要がある?
一人で、誰にも頼らず、孤独に戦い続ける。それが、この二度目の人生で立てた、絶対の誓いではなかったか。仲間など、いつ裏切るか分からない、不確定要素の塊だ。
Warning: Inconsistent logic detected.
Objective "Revenge" vs. Principle "Solitude"
まるで自分自身にデバッガーをかけるように、修は自問自答を繰り返す。
復讐という目的のためなら、孤独という信条すら、曲げるべきなのか?
いや、違う。これは、信条を曲げるのとは違う。
「――そうだ。これは、『実験』だ」
修は、自分自身を納得させるための、最適な答え(ロジック)を導き出した。
白石雪音という存在は、自分のスキル『プログラマー』が、どこまで世界の理に介入できるのかを試すための、格好の実験材料だ。
他人のスキルを、本当に書き換えることができるのか。
もし成功すれば、それは自分の力の可能性を大きく広げることになる。失敗しても、失うものはない。
これは、仲間を作るための行為ではない。あくまで、自分の力を検証するための、合理的な「テスト」なのだ。
そう結論づけた修の行動は、早かった。
彼はまず、『プログラマー』のスキルを使い、ギルドのデータベースのさらに深層へとアクセスする。休止中の冒険者の個人情報。通常なら、厳重なロックがかかっているその領域を、彼は何の痕跡も残さずに突破した。
[オブジェクト名: 白石 雪音]
[住所: 東京都██区██町1-2-3]
[最終ダンジョン活動記録: 2週間前、E級『彷徨える宝物庫』にてパーティメンバーと口論の末、離脱]
[備考: スキルの特性上、パーティ編成に著しい困難をきたし、精神的に不安定な状態にあると推測される]
「……彷徨える宝物庫。あの時のパーティか」
修は、かつてダンジョン内で見かけた、消耗しきった三人組を思い出す。
彼女も、あのパーティの一員だったのかもしれない。
素人の寄せ集め。欠陥を、互いに罵り合うだけの、非生産的な集団。
そんな場所にいれば、心が折れるのも当然だった。
修は、PCの電源を落とし、静かに立ち上がった。
実験の準備は整った。あとは、対象を直接観測するだけだ。
◆
翌日の午後。
修は、データベースで得た住所を頼りに、都内の閑静な住宅街を歩いていた。
表札には、確かに「白石」と書かれている。ごく普通の、どこにでもある一軒家だった。
インターホンを押そうとして、修は指を止める。
正面から接触するのは、得策ではない。相手に警戒されれば、実験の精度が落ちる。
彼は、公園の木陰から、ターゲットが現れるのを静かに待つことにした。まるで、プログラムの特定の動作が発生するのを待つ、デバッガーのように。
数時間が経過した頃。
玄関のドアが開き、一人の少女が出てきた。
白石雪音。
だが、その姿は、修が冒険者登録センターで見かけた時とは、まるで違っていた。
制服は着ておらず、地味なパーカーにジーンズというラフな格好。そして何より、その表情からは、以前の儚げな雰囲気は消え失せ、生気という光が完全に抜け落ちていた。
虚ろな目で、力なく歩くその姿は、まるで魂を抜かれた人形のようだった。
修のスキルが、彼女の状態を無慈悲に表示する。
[オブジェクト名: 白石 雪音]
[レベル: 12]
[状態: 精神消耗(極大), 自己嫌悪, 無気力]
[※システム警告: この状態が継続した場合、対象のスキルが永久に失われる可能性があります (確率75%)]
「……スキルが、失われる?」
それは、修の想定を超えた情報だった。
スキルとは、一度発現すれば、死ぬまで失われることのない、その人間固有の能力のはずだ。
だが、あまりに強い精神的負荷は、その大原則すら覆し、存在そのものを消し去ってしまうというのか。
(……Null Pointer Exception. まさに、それだな)
プログラムが、存在しないはずのメモリ領域を参照しようとして、エラーで停止する。
彼女は今、冒険者としての自分という「存在意義」を見失い、スキルという名のポインタが、参照すべきアドレスを失っている状態なのだ。
少女は、近くのコンビニで、菓子パンとジュースだけを買うと、再び力ない足取りで家に戻っていく。
その背中は、あまりにも小さく、脆く見えた。
(このままでは、実験材料が、俺の知らないうちに壊れてしまう)
――脳裏に、裏切られ、全てを失った四十歳の自分の姿が、一瞬だけ重なった。
……くだらん感傷だ。これはあくまで、合理的な判断に過ぎない。
それは、修の計画にとって、許容できないエラーだった。
修は、意を決して、木陰から姿を現した。
そして、彼女が家の鍵を開けようとした、その背中に、静かに声をかけた。
「――白石雪音」
少女の肩が、びくりと震える。
ゆっくりと振り返ったその瞳が、見知らぬ男の姿を捉え、警戒の色を浮かべた。
「……どなた、ですか」
「俺の名は、柏木修。お前と同じ、冒険者だ」
修は、自分のギルドカードを提示する。
少女は、一瞥しただけで、興味なさそうに視線を逸らした。
「……何の、ご用でしょうか。私、もう冒険者は……」
「辞めるそうだな。お前のスキルが、攻撃力ゼロの『ハズレ』だからか?」
修の単刀直入な言葉に、少女の顔から血の気が引いた。
それは、誰もが口にはしないが、誰もが思っている事実。彼女が、最も聞きたくない言葉だった。
瞳に、みるみるうちに涙の膜が張っていく。
「……あなたに、何がわかるんですか!」
「わかるさ。お前は、最高の才能を持ちながら、たった一つのバグのせいで、誰からも必要とされていない。違うか?」
修の言葉は、ナイフのように鋭く、彼女の心の最も柔らかい部分を抉っていく。
だが、そこに同情や憐憫の色は一切ない。
ただ、システムエンジニアが、プログラムの欠陥を指摘するような、無機質な響きだけがあった。
少女は、唇を噛み締め、俯いたまま震えている。
そんな彼女に、修は決定的な一言を告げた。
「――俺なら、そのバグ、修正できる」
少女が、はっと顔を上げる。
その瞳に映るのは、信じられない、という色と、ほんの僅かな、藁にもすがるような光。
「俺は、お前を仲間にしたいわけじゃない。これは、取引だ」
修は、凍てついたような目で、少女を見据える。
「俺の『実験』に付き合え。お前のスキルが、本当はどれだけすごいものなのか、俺が証明してやる。そして、お前を『ハズレ』だと笑った奴ら全員に、後悔させてやれ。そうすれば、お前を、誰にも文句を言わせない、最強の冒険者に作り変えてやる」
それは、あまりにも傲慢で、一方的で、そして、悪魔のような囁きだった。
だが、絶望の淵にいた少女にとって、その声は、あるいは――。
復讐に心を閉ざした男と、才能に絶望した少女。
二つの壊れたプログラムが、今、初めて接触する。




