表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/37

第四話:Honeypot

 「Null」の最初の預言――D級ダンジョン『廃鉱の回廊』における落盤事故とミスリル鉱脈の発見――から、一週間が経過した。

 ネットの深層は今、この正体不明の預言者を巡る狂乱の只中にあった。

 大手ギルドのいくつかが多額の資金を投じ、凄腕のハッカーやトラッカー系スキル持ちを動員して「Null」のIPアドレスを特定しようと試みた形跡が、ログの残骸として修のモニターに表示されている。だが、修が幾重にも構築した偽装プロキシと海外サーバーを経由したルーティングの壁を越えられる者は一人としていない。

 亡霊ゴーストは、システムの深層から彼らの愚行を冷笑していた。


「……そろそろ、次の餌を撒くか」


 複数のモニターが放つ青白い光に照らされながら、修はキーボードを叩いた。

 次なる標的は、前世で「蟻地獄」と呼ばれ、多くの若手冒険者を貪り食ったE級ダンジョン『渇きの蟻塚』。

 低階層はゴブリンすら出ない初心者向けの狩り場だが、中層である第七層に足を踏み入れた途端、強力なモンスターが波状攻撃を仕掛けてくる極悪な「トラップ構造」を隠し持っている。前世でこの悪質な仕様が明らかになるのは、さらに数ヶ月先のことだ。


 修は、匿名掲示板のVIPスレッドに、二度目の書き込みを投下する。


『Null:

 E級ダンジョン『渇きの蟻塚』。第七層以降は、Aランク冒険者でも単独踏破が困難なモンスターハウスと化す。挑戦は推奨しない。

 特に、大手ギルド『アーク・セイバー』所属の部隊は、絶対に入るな。これは警告だ』


 今回は明確な「警告」。そして意図的な「指名」だ。

 『アーク・セイバー』。かつて修が四十年の人生を捧げ、そして用済みとして彼を無慈悲に切り捨てた日本最強のギルド。

 この書き込みは、火に油を注ぐ以上の爆発的な反応を引き起こした。


『名無しさん@覚醒者:Null降臨! 待ってた!』

『名無しさん@覚醒者:アーク・セイバー名指しかよ……やべえな』

『名無しさん@覚醒者:現在急成長中の最強ギルドがE級で苦戦するわけないだろ。Nullのハッタリ乙』


 修の狙いは、掲示板の有象無象を楽しませることではない。

 プライドが高く、自らの威信を第一とする『アーク・セイバー』の幹部たちの目に、この挑発的な書き込みを留めさせることだ。「E級ダンジョンごときに入るな」と言われれば、彼らは己の権威を示すために必ず動く。疑心暗鬼という名のバグを、彼らの精神システムに植え付ける。それこそが修の仕掛けた巧妙なハニーポットだった。


「せいぜい、俺の掌の上で踊るといい」


 エンターキーをターンと叩き、修は椅子から立ち上がった。


 彼が向かうのは、警告を発した『渇きの蟻塚』ではない。彼が選んだのは、同じE級だが迷宮としての悪辣さが際立つダンジョン、『彷徨える宝物庫』だ。

 出現するモンスターは低級だが、内部は幾何学的に入り組んだ巨大な迷路であり、マッピング・スキルを持つ者ですら容易に遭難する。


 だが、修にとって迷路など意味を成さない。

 冷たい石造りの壁に手を触れると、修の眠たげな青い瞳が、鋭い輝きを帯びる。世界の隠されたソースコードが、彼の網膜に直接流れ込んできた。


[オブジェクト名: ダンジョンの壁]

[隠しパラメータ: 侵入者の方向感覚阻害 = Active]

[正ルートへの誘導率 = 5%]


「……なるほどな。正解の道を選べる確率が、初めから意図的に絞り込まれているわけか。悪意のある仕様だ」


 修は自身の視覚情報に「デバッグモード」を適応させる。


[コマンド実行: Activate_Visual_Debugger("Route_Navigation_Mode")]


 瞬間、修の視界を覆うように、半透明の青いガイドラインが床に浮かび上がった。それはダンジョンの構造データを直接読み取り、最短の正解ルートを指し示す絶対的なナビゲーション。

 他の冒険者が何日もかけて彷徨う死の迷宮を、修はただの散歩道のように無駄のない足取りで進んでいく。


 しばらく歩を進めると、前方から切羽詰まった怒声と泣き声が聞こえてきた。

 修が足音を消して角から様子を窺うと、三人の若き冒険者パーティが壁際でへたり込んでいた。リーダー格の剣士、後衛の魔術師、そしてヒーラー。


 修のスキルが、即座に彼らの状態を客観的な「データ」として弾き出す。


[オブジェクト名: 駆け出し剣士 / Lv: 8]

[HP: 65/120] [MP: 5/15] [状態: 疲労(中), 焦燥, 判断力低下]


[オブジェクト名: 見習い魔術師 / Lv: 7]

[HP: 40/70] [MP: 2/80] [状態: MP枯渇, 恐怖, 集中力欠如]


[オブジェクト名: 駆け出しのヒーラー / Lv: 7]

[HP: 55/80] [MP: 10/100] [状態: 精神消耗(大), 不安, 責任感の重圧]


(剣士は近接特化で索敵能力が皆無。魔術師は燃費の悪い範囲魔法しか持たず、ヒーラーの回復量は前衛の被ダメージ量に追いついていない。連携の取れていない、典型的な欠陥バグパーティだ)


 今の彼は、他人に構う時間があるなら、己の利益を最大化するべきだと頭では理解している。システムにおいて、自らを最適化できないオブジェクトは淘汰される。それが世界の理だ。彼らがこの後どちらの道を選び、助かるか死ぬか。そんなことは修の知ったことではない。見捨てればいい。


『修、お前はもう用済みなんだよ。俺たちの完璧なパーティに、お前みたいな役立たずのバグは必要ないんだ』


 脳裏に蘇る、血を吐くような裏切りの記憶。修の青い瞳が、極寒の冷気を帯びる。

 踵を返し、修は無関心を装ってその場を立ち去ろうとした。

 ――だが。


「……あー、くそっ」


 修は小さく舌打ちをした。

 足が、どうしても前へ進まなかったのだ。四十年もの間、傷ついた前衛の背中を守り、パーティの生命線を繋ぐ「サポート職」として生き抜いてきた本能。それが、目の前の無知で無力な若者たちを見殺しにすることを、強烈なシステム・エラーのように拒絶していた。


「非効率極まりないな」


 誰にともなく毒づきながら、修は暗がりから彼らの前へと姿を現した。

 突然の何者かの出現に、三人の若者はビクッと肩を震わせ、武器を構えようとする。だが修はそれを意に介さず、アイテムポーチから下級のHPポーションとMPポーションを数本取り出し、彼らの足元へと放り投げた。


「ひっ……え?」

「飲んでおけ。魔術師とヒーラーはMPを回復させろ」


 低く冷たい声に、彼らは呆然とポーションを見つめる。

 修は彼らの顔を見ることなく、ただ淡々と告げた。


「剣士は索敵を怠り、魔術師はペース配分を間違え、ヒーラーはパニックに陥っている。そんなバグだらけの仕様でよく迷宮に入ろうと思ったな。自殺志願者か?」

「な、なんだと……!」


 剣士が反発しようとするが、修の眠たげな、しかし底知れぬ圧を放つ青い瞳に見据えられ、言葉を飲み込む。


「ここから後ろを振り返り、二つ目の交差点を右、次の分岐を左、壁の三つ又の傷を目印に直進しろ。そこから先は一本道だ。道中のトラップとモンスターは俺が既に処理デバッグしてある」

「あ、あの……あなたは……?」


 ヒーラーの少女がおずおずと問いかけるが、修は背を向けて歩き出していた。


「さっさと帰って、二度と身の丈に合わない真似はするな。次に死にかけても、都合のいい救済措置アップデートはないと思え」


 驚きと感謝の念を背中で受け流しながら、修は青いガイドラインが示す奥地へと足を踏み出す。己の甘さに呆れつつも、心の奥底にほんの僅かな温かさが宿っているのを否定しきれなかった。


 ナビゲーションの終着点、隠し部屋の中央には、荘厳な装飾が施された巨大な宝箱が鎮座していた。


[オブジェクト名: 大いなる宝箱]

[中身のドロップテーブル]

 > 魔力回復薬 (出現確率: 60%)

 > 鉄の剣 (出現確率: 30%)

 > 銀の指輪 (出現確率: 9.5%)

 > スキルオーブ『鑑定』(出現確率: 0.5%)


「……『鑑定』か」


 『鑑定』は、対象の情報を読み取る基本スキルだ。世界のあらゆるソースコードを暴く修の『プログラマー』からすれば児戯に等しい下位互換だが、一般の冒険者にとっては喉から手が出るほど欲しい必須スキルである。


 修は宝箱に手をかざし、自身のMPを代償として注ぎ込んだ。

 乱数調整。ドロップ判定の強制上書き。


[コマンド実行: Override_Drop_Table_Index = 3]

《警告: 世界システムの理に干渉しています。MPを激しく消費します》


 激しい頭痛と精神的な疲労感が修を襲う。先ほどの駆け出しパーティへの感傷など一瞬で吹き飛ぶほどの負荷だ。脳髄が焼けるような痛みに耐えながら、修は顔色一つ変えずに処理を続行した。

 カチリ、と解錠音が鳴り響く。

 蓋を押し開けると、そこには狙い通り、淡い光を放つ『鑑定』のスキルオーブが静かに収まっていた。


「……デバッグ完了だ」


 ダンジョンから帰還した修は、冒険者ギルドが運営する特別買取所へと足を運んだ。

 カウンターに置かれた『鑑定』のオーブを見た瞬間、ベテランの査定員の目が血走った。


「こ、これは……『鑑定』のオーブ! まさか『彷徨える宝物庫』で引いたのか!? あのE級ダンジョンで、これほどのレアリティを引き当てるとは……!」

「運が良かっただけだ。いくらになる?」


 修の底知れない冷たさを湛えた態度に、査定員は生唾を飲み込んだ。

 E級ダンジョンを単独で踏破し、超低確率のレアアイテムを無傷で持ち帰る新人。修の存在は、ギルド内で「異常な幸運を持つルーキー」として、少しずつ、だが確実に認知され始めていた。

 オーブについた査定額は、三百万円。当面の活動資金としては十分すぎる額だ。


 自室のマンションに戻り、淹れたてのブラックコーヒーを啜りながら、修はスマートフォンでネットニュースのヘッドラインを開いた。

 トップには、予想通り、真っ赤な文字で衝撃的な見出しが躍っていた。


『【速報】急成長中の大手ギルド『アーク・セイバー』の若手精鋭パーティ、E級ダンジョンで半壊! ネットの預言者「Null」の警告は真実だった!』


 記事によれば、『アーク・セイバー』は「Null」の警告を嘲笑い、次代を担う有望な若手パーティを『渇きの蟻塚』に派遣した。しかし、第七層に足を踏み入れた瞬間、本来その階層にいるはずのないAランク相当の変異種群に急襲され、部隊は壊滅状態に。数名の犠牲者を出し、命からがら逃げ帰ったという。


 掲示板は狂乱の坩堝と化していた。

 Nullは、神の如き本物の預言者だ。

 彼に逆らった最強のギルドが、手痛いしっぺ返しを食らった。

 Nullへの狂信的な賞賛、未知なる恐怖、そしてアーク・セイバーへの冷酷な嘲笑。その全てが、修の記述したソースコード通りに動いていた。


 修は、記事の端に小さく載っていた、血まみれでダンジョンから運び出される生存者の顔写真に目を留めた。

 恐怖で顔を歪めるその若き冒険者の顔。

 それは、二十二年後、用済みとなった修を見下し、冷酷にその胸に剣を突き立てることになる男――『アーク・セイバー』の次期幹部候補の若き日の姿だった。


「……まずは、一つ目のバグ修正だ」


 修の青い瞳が、暗い部屋の中で氷のように冷たく発光する。

 かつての仲間への憐憫など、微塵もない。無知な若者を気まぐれで助けることはあっても、自分を裏切った者たちを赦す気は毛頭なかった。

 復讐デバッグは、まだ始まったばかりだ。

 システムのシェルに潜んだ亡霊ゴーストは、神々が創り上げたこの理不尽な世界を、根底から書き換えていく。


---

【現在のステータス】

■柏木 修

Lv: 5

HP: 260/260

MP: 15/50

STR: 20

VIT: 17

INT: 118

DEX: 96

AGI: 29

LUK: 6

ATK: 25

DEF: 27

RES: 118

現在の装備: 改良された剣(Eランク相当)、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン

主なスキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブスキル『不遇の記憶』、パッシブスキル『並列演算』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ