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第三話:Ghost in the Shell

 鼻を突く血と排泄物の臭いが染み付いた『ゴブリンの洞穴』最深部。そこには、本来F級ダンジョンに存在するはずのない巨大な肉塊――隠し部屋に潜んでいた変異種『ホブゴブリン・リーダー』の骸が転がっていた。


 修はその命を刈り取った瞬間、世界のシステムがドロップアイテムを生成しようとする演算処理へ直接介入した。視界に流れる緑色のソースコード。[Drop_Table_Roll]の関数を強制的に『最適化オプティマイズ』し、乱数シードを固定。さらに[Item_Quality]の変数を許容される限界値まで書き換える。それは、世界の歴史が生んだエラー(変異種)を、完全に掌握し解体した瞬間だった。


 ダンジョンから帰還した修は、その足で冒険者ギルドの買取窓口へと向かった。カウンターに無造作に置かれた素材を見て、ベテランの査定員は驚愕に両目を見開いた。


「こ、これは……『ホブゴブリン・リーダー』の心臓核!? なぜF級ダンジョンにこんな変異種が……それにこの魔石、純度が異常だ。傷一つないぞ……!」


 無理もない。本来、初心者が必死の思いで持ち帰る魔石など、不純物だらけで二束三文に買い叩かれるのが相場だ。だが修の提示した品は、システムの仕様を限界まで引き出した「極上品」だった。結果として修が手にしたのは、新人としては破格の百五十万という現金だった。


「……初期投資としては、こんなものか」


 百五十万は、十八歳の青年には大金だ。だが、これから神々に喧嘩を売り、元ギルドへの復讐デバッグを遂行するための軍資金としては、あまりにも心許ない。修がまず着手したのは、己の身を守り、世界を解析するための絶対的な「環境」の構築だった。大学進学のために上京するという体裁は崩さず、都心から少し離れた場所に、防音・防犯セキュリティが最高レベルのデザイナーズマンションの一室を借りる。


 そして、ハイスペックなPCと複数のモニター、高速な専用回線を導入した。人間も、銀行口座という不確かな電子の数字も、等しく裏切るものだと前世の記憶が警鐘を鳴らしている。だからこそ、手元に最低限の現金を残し、残りはすべて強固な情報網の構築へと回した。


「……俺のサーバーは、俺自身だ」


 無機質な部屋の中、修はモニターの青白い光に照らされながら呟く。ここが彼の新たな人生の拠点。誰の干渉も許さない、強固なファイアウォールに守られた聖域サンクチュアリだった。


 次に彼が着手したのは、情報収集と、それを利用した「実験」である。『プログラマー』のスキルは万能に近いが、修一人のリソースで世界の全てをリアルタイムに観測することは不可能だ。だが、彼には二十二年分の冒険者世界のログ――「未来を知っている」という絶対的なアドバンテージがあった。未発見のダンジョン領域、希少素材のドロップ条件、巨大ギルドの腐敗と不祥事。その全てのソースコードが修の頭の中にはある。


「だが、これを無警戒に開示すれば、即座に組織の標的にされる。非効率極まりない」


 前世で血反吐を吐いて尽くした結果が、あの無慈悲な裏切りだった。人間というオブジェクトは、感情というノイズに振り回され、容易く裏切る欠陥品バグだ。二の舞を演じるつもりはない。利用はする。だが、それは決して「柏木修」としてではない。


 修は、冒険者たちが利用する巨大匿名掲示板の深層へアクセスし、この混沌とした情報空間に一つの「亡霊ゴースト」を解き放つことにした。数日後、とあるスレッドに奇妙な書き込みが投下される。


『名無しさん@覚醒者:D級ダンジョン『廃鉱の回廊』、B-7区画。明日14:00、落盤事故。下層にアシッド・クローラーの巣。巣の北側岩盤裏に、高純度ミスリル鉱脈あり。健闘を祈る』


 あまりに具体的で、突拍子もない内容。当然のごとく、スレッドの住民たちは即座に嘲笑と罵倒で反応した。


『新手の荒らしか?』

『ミスリル鉱脈とか夢見すぎだろwww』

『デマで遭難者が出たらどうすんだ。通報しとくわ』


 修は、モニターの向こうで繰り広げられる無益なトラフィックを、何の感情もなく眺めていた。


(……それでいい。人間というシステムは、利益というパラメータに最も敏感に反応する仕様だ)


 信じるか信じないか、という程度のノイズで十分だった。重要なのは、この事実を観測可能な場所に記録として残したという点にある。


 翌日の午後。修は自身のレベルアップと資金稼ぎを兼ねて、別の低級ダンジョンに潜っていた。レベルアップに伴い上昇した基礎ステータスと、極限までデバッグされた装備。もはや低級ダンジョンに彼の敵はいない。前世の記憶を頼りに、まだ誰にも発見されていない宝箱から換金性の高い魔道具を悠々と回収し、帰還した。


 その頃、巨大匿名掲示板は、前日とは比較にならないほどの狂乱の渦に包まれていた。


【速報】中堅ギルド『グリフォン』、D級ダンジョンで落盤事故に遭遇するも奇跡の生還!


 ニュースサイトの一報を皮切りに、当事者である『グリフォン』のメンバーが恐怖も露わに事の経緯を書き込んでいた。


『グリフォンの斥候だけど、マジで死ぬかと思った。昨日の書き込みをリーダーが念のため警戒して現場を偵察してたんだ。そしたら14:00きっかりに足元が崩落。下で蠢いていたのは大量のアシッド・クローラーだ。警告がなけりゃ、今頃俺たちは胃液まみれになって生きたまま肉を溶かされていた……! ちなみに、リーダーが「ミスリル、あったぞ!」って絶叫してた。ガチだ、あの書き込みは!』


 たった一つの文字列が、一つのギルドの運命を書き換えた。スレッドは瞬く間に、未知の預言者に対する賞賛と底知れぬ恐怖の声で埋め尽くされていく。


 修は、自室のチェアに深く腰掛けながら、その騒ぎを冷ややかに確認していた。全ては彼の仕様シナリオ通り。彼はこの名もなき預言者に、一つのコードネームを与えた。


「――Nullヌル


 プログラミングの世界で「何もない」「空っぽ」を意味する言葉。何者でもなく、どこにも属さず、ただ世界の致命的なバグを指摘し、修正する存在。それが、修がこの世界で演じるもう一つの姿だった。モニターに映る、熱狂する名もなき群衆。彼らは画面の向こうの存在を救世主だと騒ぎ立てている。


 だが、修の心は凍てついたように静かだった。


「そうだ、もっと踊れ」


 その唇が、冷たい笑みの形に歪む。


「お前たちは、俺の掌の上で修正デバッグされる、ただの駒に過ぎない」


 仲間など、信じない。人は容易く裏切る。ならば、誰からの干渉も受け付けない絶対的な情報的優位に立てばいい。力と情報だけが、自分を決して裏切らない唯一の変数だ。亡霊ゴーストは、システムのシェルの内側で、静かに次の「預言」の準備を始めていた。その目的は、世界の救済などではない。全ては、己の壮絶な復讐デバッグのためだけに。


 ---

【現在のステータス】

 ■柏木 修

 Lv: 4

 HP: 240/240

 MP: 45/45

 STR: 18

 VIT: 15

 INT: 110

 DEX: 90

 AGI: 26

 LUK: 5

 ATK: 23

 DEF: 25

 RES: 110

 現在の装備: 改良された剣(Eランク相当)、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン

 主なスキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブスキル『不遇の記憶』、パッシブスキル『並列演算』

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