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第二話:First Commit

 視界を埋め尽くす緑色の文字列の洪水を、修はパッシブスキル『並列演算』を用いて意識のバックグラウンドへと強引に処理落ちさせた。世界の「ソースコード」を視認する異能は強力だが、常時展開していれば精神が焼き切れる。


 冒険者育成機関の入学手続きを早々に済ませた修は、真新しい制服に身を包んだまま、その足で場末の武具屋へと向かっていた。手持ちのFランクのタクティカルナイフ一本でダンジョンに挑むほど、精神年齢四十歳の彼は血の気が多くない。


「へい、らっしゃい! 兄ちゃん、育成機関の新人かい?」

「ああ。一番安い剣と、革の胸当てをくれ。見栄えはどうでもいい」


 店主がニヤリと下卑た笑みを浮かべて出してきたのは、刃こぼれし、赤錆の浮いた片手剣と、継ぎ接ぎだらけで悪臭を放つ薄汚い革鎧だった。新品ですらない。新米冒険者など、どうせ数日以内に死ぬか心を折られて辞めるかだ。そんな使い捨ての連中にまともな武具を売る良心的な店主など、この掃き溜めのような街にはいなかった。


 修が目を細めると、無慈悲な現実が半透明の文字列として暴き出される。


[オブジェクト名: なまくらの剣]

[等級: Fランク(最低品質)]

[攻撃力: 3-5]

[耐久値: 8/20]

[※バグ情報: Code-102 "Poor Quality"]


[オブジェクト名: つぎはぎの革鎧]

[等級: Fランク(最低品質)]

[防御力: 4]

[耐久値: 12/35]

[※バグ情報: Code-102 "Poor Quality"]


「……ひどいもんだな。非効率極まりない」


 まさにゴミだ。前世でこれを知らずに購入し、ゴブリンの錆びた鉈で剣を折られ、なすすべなく半殺しの目に遭った血生臭い記憶が蘇る。

 だが、今の修にとっては、これ以上ない格安の「実験材料」だった。


「これでいい。いくらだ?」


 店主が吹っかけてきた小銭を無造作に支払い、修は足早に店を出る。そして、ダンジョンへ向かう道すがら、人目につかない裏路地へと足を踏み入れた。


「さて、と……最初の修正デバッグだ」


 修は『なまくらの剣』を手に取り、意識を深く沈み込ませる。

 途端に、世界の表面が剥がれ落ち、視界に幾千ものソースコードが滝のように展開された。


(重心の狂い、分子構造の脆さ……全てが Code-102 に内包された意図的な欠陥バグか。この世界の管理者は、初心者に死んでほしいらしいな)


 脳内でキーボードを叩くように、不要な記述をデリートし、耐久値と切れ味のパラメータに新たな変数を代入していく。


 [Update successful.]


 脳蓋に響く無機質なシステム音声と共に、手に持った剣がカチリと微かな音を立てた。刃こぼれが嘘のように消え失せ、鈍色だった刀身が冷酷な殺意を孕んだ光を放ち始める。


[オブジェクト名: 改良された剣]

[等級: Eランク]

[攻撃力: 5]

[耐久値: 20/20]

[特殊効果: 切れ味(小)]


「……面白い」


 素材そのものの絶対的な制約があるため、Fランクの鉄クズが突然、伝説の聖剣に書き換わるわけではない。だが、与えられた等級の枠組みの範囲内で、潜在的なポテンシャルを限界値まで引き上げることは可能だった。

 同様に、革鎧のバグも修正し、耐久値を最大まで回復させる。Fランク冒険者の懐事情では決して手に入らない、全身Eランク相当の最適化装備。これを、修はわずか数分の『デバッグ』で創り上げてしまった。


 準備は整った。

 修は、前世のトラウマが眠るF級ダンジョン『ゴブリンの洞穴』の前に立っていた。


「……リベンジマッチと行こうか」


 洞穴に一歩足を踏み入れると、ひやりとした空気と共に、ツンとしたアンモニアと血肉の腐った匂いが肺を満たす。

 すぐさま、暗闇の奥から二体のゴブリンが姿を現した。薄汚い緑色の肌を醜く震わせ、甲高い奇声と共に棍棒を振りかぶる。

 だが、今の修の目には、その粗暴な殺意すらも単なる「演算された情報」として映っていた。


[オブジェクト名: ゴブリン]

[レベル: 2]

[思考AI: Pattern_A "正面からの突撃" (実行確率85%)]


「……見え透いたアルゴリズムだ」


 敵の次の挙動が、確率と共に赤い予測線として視界に浮かび上がる。

 修は迫りくる一体目のゴブリンを極めて冷徹に見据え、最小限の体重移動でその粗雑な一撃を躱した。すれ違いざま、カウンター気味に剣を滑らせる。

 デバッグされた鋭利な刃が、ゴブリンの首の動脈を寸分の狂いなく捉え、どす黒い鮮血を噴出させた。

 肉を裂き、気管を断つ生々しい感触。

 たった一撃の死。あまりの出来事に、もう一体のゴブリンが硬直する。


[状態: 混乱/恐怖]

[思考AI: Pattern_C "逃走" (実行確率90%)]


「逃がすかよ。お前の行動パターンは、死ぬまでその仕様のままだ」


 背を向けて逃走を図るゴブリンの背中に無慈悲に肉薄し、その心臓を背後から的確に貫く。断末魔の悲鳴ごと肺を潰し、修は静かに剣から血振るいをした。

 四十年の不遇な冒険者人生で培った、泥水すするような戦闘経験。そして、神を騙るシステムから得た『プログラマー』の眼。この二つが合わされば、かつて己を蹂躙したF級ダンジョンなど、もはやただの単調な作業タスクでしかなかった。


 修はモンスターの思考を読み、隠し通路の構造を解析し、一切の無駄なくノーダメージでダンジョンの最深部に到達した。

 ゴブリンの死骸が小山となっている中央の広場に、一つの宝箱が鎮座している。


[オブジェクト名: 古びた宝箱]

[状態: 未開封]

[中身のドロップテーブル]

 > ポーション (出現確率: 80%)

 > 銅貨10枚 (出現確率: 15%)

 > ゴブリンの指輪 (出現確率: 4.9%)

 > スキルオーブ『身体強化』(出現確率: 0.1%)


「……あったな、そういえば」


 前世では、このダンジョンからスキルオーブが出たという眉唾物の噂だけを聞き、多くの冒険者が挑んでは返り討ちにされていた。まさか、0.1%などという天文学的な確率設定だったとは。

 通常の冒険者なら、ここで運を天に任せるしかない。

 だが、世界の理に直接干渉する修は違った。


(確率そのものの直接改変は、因果律への干渉が大きすぎてシステムに弾かれた。だが、プログラムの根幹を書き換えるのではなく、一時的なドロップ判定の処理プロセスを強制的にループさせるだけならどうだ?)


 サイコロの目を無理やり変えることはできない。だが、気に入った目が出るまで、システムに何度でもサイコロを振り直させることはできるはずだ。

 修は宝箱のソースコードにアクセスし、新たなコマンドを構築する。

 それは、宝箱が開かれる瞬間に、ドロップ判定のプログラムを複数回、強制的に再試行リトライさせるという、傲慢極まりない荒業のスクリプトだった。


[コマンド入力: Execute_Script("Loot_Reroll", Attempts=10)]


 エンターキーを叩くイメージでコマンドを確定しようとした瞬間、彼の脳内にけたたましい警告アラートが割り込んだ。


[Warning: 対象オブジェクトへの強制介入は、術者のリソースを激しく消費します。このスクリプトを実行した場合、最大MPの90%が失われます。実行しますか? Y/N]


「……やはり、世界を歪める代償コストは必要か」


 MPは、単なる魔力数値ではない。精神力と生命力の直結回路だ。今の修の最大MPはわずか10。そのうちの9を、この一回の宝箱開封に捧げることになる。もしこれでスキルオーブが手に入らなければ、身も心もボロボロになるだけの丸損だ。

 だが、0.1%の確率を、このコマンドで10回試行できる。単純計算でも、成功率は1%近くまで跳ね上がる。


「……リスクなくしてリターンなし、だ。それに、こいつはただの仕様システムとの対話だ。俺がデバッグしてやる」


 前世で奪われた全てを取り戻すためなら、惜しむものなど何もない。

 修は、迷わず「Y」を選択した。


[コマンド実行... Complete.]


「ッ……ぐぁあッ!」


 瞬間、脳髄に焼けゴテを直接押し当てられたかのような強烈な激痛が走り、修はたまらず冷たい石畳に膝をついた。全身の毛穴から脂汗が吹き出し、ごっそりと生気が抜け落ちるような耐え難い精神的疲労が襲いかかる。

 ひび割れそうな意識の中でステータスを確認すると、MPは見事に1/10へと削り取られていた。


 吐き気を堪え、ふらつく身体に鞭を打ちながら、修は宝箱に震える手をかける。


「――オープン」


 ギィ、と重苦しい音を立てて開いた宝箱の中。

 肉眼では見えないが、内部の不可視のレイヤーでは、ドロップ判定のプログラムが目まぐるしい速さで10回の試行を繰り返していた。

 1回目…ポーション。2回目…ポーション。3回目…銅貨……。

 そして、8回目の試行。

 冷酷な確率の壁を、男の執念が無理やりこじ開けた。


 宝箱の底に鎮座していたのは、淡い光を放つ、拳大の美しい水晶玉。

 スキルオーブ『身体強化』。


「……はっ、ははっ。最高の気分だな」


 神の敷いた運命を、自らの手で捻じ曲げたという確かな実感。

 修は血と脂汗に汚れた手でオーブを掴み取り、躊躇なく、その力を自身の内に吸収した。

 先程までの疲労を一時的に塗り潰すように、圧倒的な力が細胞の隅々にまで漲っていく。


[アクティブスキル『身体強化』Lv.1 を習得しました]


 前世では、何の有用なスキルも発現せずに終わった十八歳の自分。

 だが今生では、最初のダンジョンクリアで、自らの手で新たな力を強奪した。全てが、彼の描くソースコード通りに進んでいる。


 ダンジョンから帰還した修は、入手した素材をギルドの換金所に持ち込んだ。

 F級ダンジョンとしてはありえない量と質の素材に、受付の職員は目を丸くしていたが、修は「運が良かっただけだ」と素っ気なく告げ、換金された分厚い札束を受け取った。


「さて、ウォーミングアップはここまでだ」


 自室に戻った修は、ベッドに身を投げ出し、暗闇の中で不敵な笑みを浮かべた。

 裏切り者への復讐。そして、人類をモルモットのように扱う理非尽な世界への再戦。

 そのための、確かな第一歩。


 [First Commit... Complete.]


 彼の脳内にだけ響くシステム音声が、最初のタスクの完了を静かに告げていた。


 ---

【現在のステータス】

 ■柏木 修

 Lv: 1

 HP: 180

 MP: 10

 STR: 12

 VIT: 10

 INT: 88

 DEX: 75

 AGI: 18

 LUK: 5

 ATK: 17

 DEF: 20

 RES: 92

 現在の装備: 改良された剣(Eランク)、改良された革鎧(Eランク)、訓練校制服、使い古したスマートフォン

 主なスキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブスキル『不遇の記憶』、パッシブスキル『並列演算』、アクティブスキル『身体強化』Lv.1

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