第一話:Hello, World.
Dungeon_Layer_77 / Boss_Area
Party_Member: Syu_Kashiwagi
Status: Critical_Damage, Bleeding, Fatal_Wound
System_Message: You are defeated.
ごぽり。熱を帯びた鉄の味が、食道から逆流して口内に溢れた。
どろりとした赤が唇を伝い、ダンジョンの冷たい石畳を汚していく。
軋み、機能不全を訴える全身を無理やり動かし、柏木修は仰向けに倒れた。霞む視界には、赤黒い瘴気を放つ第77階層の奇怪な天井が映っている。
四十歳。二十数年に及ぶ冒険者人生の、それが終焉だった。
「修さん、今までご苦労様でした」
聞き慣れた声だった。パーティのリーダーであり、弟のように可愛がってきたはずの男が、修の顔を虫けらでも見るかのように冷たく見下ろしていた。
その手で握られた聖剣は、つい今しがた、修の腹を無慈悲に貫いたばかりだ。刃から滴る血は、間違いなく修自身のものだった。
「な……ぜ……」
掠れた声で問う修に、男は薄ら笑いを浮かべた。
「あんたの解析データ、装備の最適化アルゴリズム、それに新薬のレシピ……もう全部俺たちの頭とデータベースに入ったんでね。いつまでも戦闘力ゼロの古参に偉ぶられると、俺たちも息苦しいんですよ」
周囲を取り囲む他の仲間たちも、遠巻きに見下ろしているだけだ。その目に宿る光は、まるで路傍のゴミを見るかのように冷え切っている。
二十年間。この日本最強ギルド『アーク・セイバー』のために全てを捧げてきた。
サポート系のスキルしか持たない自分が、最前線に立つ彼らの命を守るために、寝る間も惜しんでダンジョンを解析し、戦術を練り、誰よりも血を吐く思いで最適解を導き出してきた。
その全ての献身が、この瞬間に『用済み』として切り捨てるためだけに利用されていたのだ。
「……ああ、クソ……」
内臓が焼け焦げるような激痛の奥で、修は己の愚かさを呪った。
薄れゆく意識の中、最後に脳裏に焼き付いたのは、仲間だったはずの連中の下劣な嘲笑だった。
ああ、なんて――最悪の人生なんだ。
◆
「――おい、修! いつまで寝てんだい!」
階下から響く、聞き慣れた、しかしとうの昔に死別したはずの母の声。
意識が、どろりとした暗闇からゆっくりと浮上していく。
(……なんだ……?)
腹を貫かれた激痛がない。血の匂いもない。
それどころか、肌を包む柔らかな布団の感触も、カーテンの隙間から差し込む春の陽射しの暖かさも、記憶の奥底に封じ込めたはずの実家の自室のものと寸分違わなかった。
弾かれたようにベッドから跳ね起き、姿見の前に立つ。
鏡に映っていたのは、歴戦の重圧も、深い絶望が刻み込んだ眉間の皺もない、青臭い顔。
まだ何者でもなく、そして何者にでもなれたはずの、十八歳の柏木修がそこにいた。
「……逆行……したのか……?」
傍らのスマートフォンのディスプレイが点灯する。
日付は『2025年 4月12日』。
四十歳で非業の死を遂げた年から、実に二十二年もの時を遡っている。彼が冒険者育成機関に入学し、運命の一歩を踏み出す日の朝だった。
その、瞬間だった。
《――特異点を確認。世界の理に対する特異介入権限を承認》
《エクストラスキル『プログラマー』を付与します》
頭蓋の奥底に直接、無機質で冷徹な《世界システム》の音声が響いた。
「……プログラマー?」
聞き慣れないスキル名だった。
慌てて、空中に自らのステータスウィンドウを展開する。
[オブジェクト名: 柏木 修 (Kashiwagi Syu)]
[クラス: 人間 / 未覚醒]
[レベル: 1]
[スキルリスト]
> プログラマー (Programmer) - Rank EX (測定不能)
「……は?」
戦闘系ではない。魔法系でも、直接的なサポート系ですらない。
名称から推測するに、アイテム作成などに関わる「生産系」――冒険者社会において最も軽んじられ、「ハズレ」と嘲笑われる底辺の部類だ。
四十年の知識と経験を持ってしても、このスキルの用途が見当もつかない。
「……また、ハズレかよ。神ってのは、とことん俺を舐めてるらしい」
前世と同じ、泥を啜りながら裏方に徹するだけの人生の繰り返し。
暗い絶望が胸をよぎった、その時だった。
――視界が、バグを起こしたディスプレイのように乱れ、変質した。
部屋の壁、机、ベッド、窓の外の景色。
その全てに、緑色の半透明な文字列が滝のように流れ落ちていく。世界が「物質」から「情報」へと剥き出しにされたかのような、異様な光景。
[オブジェクト名: 木製デスク]
[クラス: 家具]
[状態: 中古 / 軽微な損傷]
[耐久値: 15/30]
[編集権限: User_Syu_Kashiwagi のみ]
「なんだ……これは……ソースコード、なのか?」
訳が分からず、試しに目の前の古びた机に意識を集中する。
流れる文字列の [耐久値: 15/30] という変数にアクセスし、[耐久値: 30/30] へと書き換えるイメージを脳内で組み上げる。
[コマンド実行: Durability_Value_Set(30/30)]
Access... Granted.
Update successful.
次の瞬間、机の表面にあった細かな傷や木目の歪みが波打つように消滅し、新品同様の艶やかな輝きを取り戻した。
「……嘘、だろ」
修は震える手で机に触れた。幻覚ではない。確かな質量を持った現実だ。
その瞬間、修の脳内で点と点が結びつき、戦慄にも似た理解が弾けた。
ただの生産系ではない。
この世界そのものを「データ」として認識し、そのソースコードに介入し、自在に「編集」する力。
それはスキルなどという矮小な枠組みを超越した、この世界の根幹――神の領域に直接手を下すに等しい、禁断の権能だった。
二十数年の冒険者としての血みどろの知識と経験。
十八歳の、まだ何者でもない瑞々しい肉体。
そして、世界の理すら書き換える、唯一無二の力。
「……ふっ」
修の口から、無意識のうちに乾いた笑いが漏れた。
それが次第に、抑えきれない狂気を孕んだ哄笑へと変わっていく。
「ふ、ふはは……はははははははははッ!」
ハズレスキル? とんでもない。
これは、このクソみたいな世界のルールそのものを、俺の意のままに作り変えることができる、最悪で最高のスキルだ。
二十数年。世界の理不尽に、己の無力に、そして仲間の裏切りにただ耐え忍んできた。
だが、もう終わりだ。俺はもう、誰の駒にもならない。
「今度は、俺がデバッグする番だ」
冷たく燃える復讐の炎を目に宿し、修は静かに呟いた。
◆
冒険者登録センター。
ダンジョン由来の武具を背負った者や、これから探索に向かう制服姿の学生たち。前世の記憶と変わらない、血の匂いと熱気に満ちたその喧騒の中で、修は一人の少女を見かけた。
仕立ての良いブレザーの制服を着た、銀髪の少女だ。
彼女はカウンターの職員から冷ややかな宣告を受けたのか、儚げな表情で俯き、踵を返したところだった。
その姿を見た瞬間、修の視界を流れる緑色のコードが、彼女の情報を自動的に解析し始めた。
[オブジェクト名: 白石 雪音 (Shiraishi Yukine)]
[スキル: 聖域守護 (Sanctuary) - Rank S]
[※バグ情報: Code-404 "Retaliation Not Found"]
[詳細: 防御機能へのリソース極限集中のため、攻撃に関する全パラメータが強制的に "0" に固定される]
(……白石雪音)
修の網膜に、一つの記憶が蘇る。
前世、その圧倒的な防御力故に壁役として重宝されながらも、一切の攻撃能力を持たないという致命的な欠陥のせいでパーティに見捨てられ、若くして命を落とした悲劇の聖女。
最高の才能を与えられながら、最悪の欠陥を抱えさせられた存在。
まさに、この世界を弄ぶ神々が作り出した「理不尽」の象徴だった。
以前の修なら、ただ「運の悪い奴だ」と憐れみ、見過ごしていただろう。
だが、今の彼の目には、その「運の悪さ」すらも、修正可能なシステム上のエラー――ただの記述ミスにしか見えなかった。
俯いたままの少女が、修の横を通り過ぎる。
その震える小さな肩に、かつて全てを捧げ、そして全てを奪われた自分自身の惨めな姿が重なった。
(……面白い素材だ。最強の変数になり得る)
だが、今の修には彼女に手を差し伸べるだけの力も、盤石な基盤もない。
不用意に世界のコードを弄れば、どんなエラー(反動)が返ってくるか分からない。まずは、自分自身というシステムの基盤を固めるのが先決だ。
修は少女の後ろ姿からスッと目を逸らし、登録カウンターへと向かった。
今はまだ、その時ではない。
「まずは……ウォーミングアップといくか」
向かう先は一つ。
前世の自分が初めて挑み、惨めに敗れ去り、そして一生癒えないトラウマを刻まれた最低ランクのF級ダンジョン。
これは、単なる人生のやり直しではない。
神々の作った理不尽な世界と、裏切り者たちへの、柏木修による壮絶な「デバッグ」の始まりだった。
一度死んだ男の、世界を書き換える反逆のプログラムが、今、静かに起動する。
【現在のステータス】
■柏木 修
Lv: 1
HP: 180/180
MP: 10/10
STR: 12
VIT: 10
INT: 88
DEX: 75
AGI: 18
LUK: 5
ATK: 15
DEF: 12
RES: 92
現在の装備: 訓練校制服、使い古したスマートフォン、ダンジョン産タクティカルナイフ(Fランク)
主なスキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブスキル『不遇の記憶』、パッシブスキル『並列演算』




