第四話:Honeypot
「Null」の最初の預言から、一週間が経過した。
ネット上では、彼の正体を巡る憶測が飛び交い、一種の社会現象にすらなりかけていた。大手ギルドが極秘に彼のIPアドレスを追跡しようとしたが、修が幾重にも張り巡らせた偽装工作の前に、全ての試みは失敗に終わっている。
亡霊は、誰にも尻尾を掴ませない。
「……そろそろ、次の餌を撒くか」
修は自室のモニターの前で、冷ややかに呟いた。
彼が次のターゲットとして選んだのは、前世で「蟻地獄」と呼ばれ、多くの若手冒険者を飲み込んできたE級ダンジョン『渇きの蟻塚』だった。
このダンジョンは、入り口付近のモンスターが弱いことから初心者向けとされているが、中層以降、突如として強力なモンスターが大量に出現する「トラップ構造」になっている。前世では、多くのギルドがこの構造に気づかず、壊滅的な被害を出していた。
修は、匿名掲示板に、二度目の「預言」を投下する。
Null:
E級ダンジョン『渇きの蟻塚』。第七層以降は、Aランク冒険者でも単独踏破は困難なモンスターハウスと化す。挑戦は推奨しない。特に、大手ギルド『アーク・セイバー』所属のパーティは、絶対に入るな。これは、警告だ。
今回は、前回と違い、具体的な危険性への「警告」だった。
そして末尾に、彼は意図的に、一つの名前を書き加えた。
『アーク・セイバー』。
かつて修が所属し、そして彼を裏切った、日本最強のギルド。
この書き込みは、当然のように、爆発的な反応を引き起こした。
名無しさん@覚醒者:Null降臨! 待ってた!
名無しさん@覚醒者:アーク・セイバー名指しかよ……やべえな
名無しさん@覚醒者:これは面白くなってきたwww
名無しさん@覚醒者:アーク・セイバーほどのギルドが、E級ダンジョンで苦戦するわけないだろ。これはNullのハッタリじゃね?
修の狙いは、混乱を招くこと、そして、最も重要なのは、裏切り者たちの脳裏に「Null」という存在を刻み込むことだった。
なぜ、名指しで警告したのか。Nullは何を知っているのか。
疑心暗鬼という名のバグを、彼らの精神に植え付ける。それこそが、修の仕掛けた巧妙な罠だった。
「せいぜい、俺の掌の上で悩むといい」
モニターを消し、修は冒険者としての準備を整える。
彼が向かうのは、警告を発した『渇きの蟻塚』ではなかった。今の彼にとって、あのダンジョンはまだリスクが高すぎる。
彼が選んだのは、同じくE級だが、より実入りの良いとされるダンジョン、『彷徨える宝物庫』。
ここは、モンスターは弱いが、迷路のように入り組んだ構造をしており、踏破が困難なことで知られていた。
ダンジョンに足を踏み入れた修は、壁に手を触れ、そのソースコードを読み解く。
[オブジェクト名: ダンジョンの壁]
[隠しパラメータ: 正しいルートへの誘導率 = 5%]
「……なるほどな。正解の道を選べる確率が、初めから低く設定されているわけか」
これでは、ただ闇雲に進んでも、同じ場所をループするだけだ。
だが、修には、このダンジョンの設計図が全て見えていた。彼は、自身の視覚情報に「デバッグモード」を適応させる。
[コマンド実行: Activate_Visual_Debugger("Route_Navigation_Mode")]
瞬間、彼の視界に、半透明の青い矢印が浮かび上がった。それは、ダンジョンの正解ルートを指し示す、完璧なナビゲーションだった。
他の冒険者が何時間もかけて彷徨う迷宮を、修はまるで散歩でもするかのように、最短ルートで進んでいく。
しばらく進むと、前方から言い争う声が聞こえてきた。
修が物陰から様子を窺うと、そこには三人の冒険者パーティがいた。リーダー格の剣士、後衛の魔術師、そしてヒーラー。装備からして、おそらく自分と同じくらいのランクだろう。
修のスキルが、彼らの状態を客観的な「データ」として表示する。
人の心を読むことはできない。だが、その人物が置かれている状況、ステータス、そして精神状態からくる微細な身体の変化を読み取り、「状態」として表示することは可能だった。
[オブジェクト名: 若い剣士]
[レベル: 8]
[HP: 65/120] [MP: 5/15]
[状態: 疲労(中), 焦燥, 判断力低下]
[オブジェクト名: 見習い魔術師]
[レベル: 7]
[HP: 40/70] [MP: 2/80]
[状態: MP枯渇, 恐怖, 集中力欠如]
[オブジェクト名: 駆け出しのヒーラー]
[レベル: 7]
[HP: 55/80] [MP: 10/100]
[状態: 精神消耗(大), 不安, 責任感の重圧]
前世の修ならば、あるいは「助けが必要か?」と声をかけていたかもしれない。
だが、今の彼は、ただ冷たく彼らのステータスと、そのパーティ構成の「欠陥」を分析するだけだった。
(剣士のスキルは近接戦闘特化で、索敵能力が皆無。魔術師は、燃費の悪い範囲攻撃魔法しか覚えていない。ヒーラーの回復量は、そもそも前衛の被ダメージ量に追いついていない……。全員が消耗しきり、正常な判断ができない状態。まさに詰んでいるな)
彼らがどちらの道へ進むか、修は一瞥しただけで立ち去った。
彼らが助かるか、死ぬか。そんなことは、修の知ったことではない。非効率な存在は、淘汰される。それが、この世界の、そしてあらゆるシステムの原則だった。
他人に構う時間があるなら、自分自身の利益を最大化する。
それこそが、裏切りの果てに彼がたどり着いた、唯一の信条だった。
修は、パーティが選んだ道とは逆の方向へと、迷いなく歩を進める。
ナビゲーションが示す道の先にあったのは、豪華な装飾が施された、巨大な宝箱だった。
[オブジェクト名: 大いなる宝箱]
[中身のドロップテーブル]
> スキルオーブ『鑑定』(出現確率: 0.5%)
>...
「……『鑑定』か。悪くない」
『鑑定』は、アイテムやモンスターの情報を読み取る、全ての冒険者にとって必須の基本スキルだ。だが、修の『プログラマー』は、その完全な上位互換。彼自身には必要ない。
しかし、このスキルオーブは、莫大な金になる。
彼は、前回と同じように、MPの大半をコストとして支払い、ドロップ判定の強制リトライを実行した。
強烈な精神的疲労感と共に、宝箱を開ける。
中には、狙い通り、『鑑定』のスキルオーブが静かな光を放っていた。
ダンジョンから帰還した修は、その足で冒険者ギルドが運営する取引所へと向かった。スキルオーブは、ここで高値で取引される。
彼がオーブをカウンターに置くと、担当の職員が目を丸くした。
「こ、これは……『鑑定』のオーブ! まさか、『彷徨える宝物庫』で!?」
「ああ。運が良かった」
修の素っ気ない態度に、職員は逆に何かを感じ取ったのか、畏敬の念すら含んだ目で彼を見つめた。
E級ダンジョンを単独で踏破し、超低確率のレアアイテムを持ち帰る新人。修の存在は、「幸運なルーキー」として、少しずつではあるが、確実に噂になり始めていた。
オーブは、五十万という、彼の所持金を一気に倍にする値段で買い取られた。
自室に戻り、スマートフォンでネットニュースを確認する。
トップには、衝撃的な見出しが躍っていた。
『【衝撃】最強ギルド『アーク・セイバー』がE級ダンジョンで半壊! ネットの預言者「Null」の警告は本物だった!』
記事によれば、『アーク・セイバー』は「Null」の警告を一笑に付し、『渇きの蟻塚』にパーティを派遣。しかし、第七層で待ち受けていたモンスターの群れに奇襲され、パーティは半壊。警告を思い出して辛うじて撤退したものの、数名の犠牲者を出した、とのことだった。
匿名掲示板は、再び祭り状態になっていた。
Nullは、本物の預言者だ。
彼に逆らった最強ギルドが、手痛いしっぺ返しを食らった。
賞賛、恐怖、そして、アーク・セイバーへの嘲笑。
その全てが、修の筋書き通りに進んでいく。
修は、記事に小さく載っていた、憔悴した顔でダンジョンから出てくる、見覚えのある顔写真に目を留めた。
それは、前世で、彼の腹に剣を突き立てた、元パーティのリーダーだった。
「……まずは、一つ目だ」
その目に、かつての仲間への憐憫など微塵も浮かべないまま、修は呟く。
復讐は、まだ始まったばかりだ。
亡霊は、システムの殻の内側で、静かに、そして着実に、世界を蝕んでいく。




