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第三十五話:Push

本日3話目です。

 夜が明けきる前に、修は意見書の最後の一文を書き終えていた。


 テーブルの上には、二日分の付箋と走り書きのメモが積み上がっている。技術的な詳細を伏せる根拠として使える規定の条文番号、識別コードに触れる一文をどう補足するか、対応した事実そのものは堂々と書くという方針――それらすべてを、乾いた行政文書の体裁に落とし込む作業だった。


 窓の外が白み始めた頃、修はペンを置いた。読み返す。読み返すたびに、余計な熱を持った表現を一つずつ削っていく。この文書に必要なのは説得力ではなく、正確さだ。感情で押し切ろうとした瞬間、審査担当の目には「隠したがっている」側の意図として映る。修はそれをよく分かっていた。


 朝、六人が事務所に集まると、修は意見書を人数分刷った紙を配った。


「読め。おかしいところがあれば言え。今日中に出す」


「もう完成したんですか」


 雪音が驚いたように紙を受け取る。


「昨日の骨子から、大きく変えてはいない。文言を削っただけだ」


 ミカゲが自分の分の紙に目を通しながら、識別コードに触れた一文の周辺を指でなぞる。


「……これなら、分からない」


「それでいい。分かられたら意味がない」


 カイが紙をひらひらさせながら、口笛のような音を出す。


「兄貴、これ読んでも何言ってるか半分くらいしか分からないッス」


「分かる必要はない。お前の名前は載ってない。今回は雪音と俺の署名だけだ」


「あ、そうなんスね。ちょっと安心したような、ちょっと寂しいような」


「感傷はいらん。お前には別の役目がある」


 修はそう言って、タクミに顔を向けた。


「タクミ、これを協会の窓口に出しに行け。受理印をもらって、控えを必ず持ち帰れ」


「は、はい。行ってきます」


 タクミが緊張した面持ちで紙を鞄にしまう。セシルが壁際からそれを見て、ぽつりと呟いた。


「……祈りは、紙にも宿る」


「セシル、それは激励のつもりか」


「……たぶん」


 タクミは苦笑しながら事務所を出ていった。


 修はソファに背を預け、天井を見上げる。書けることは書いた。あとは、協会という管理システムの中で、この文書がどう処理されるかを待つしかない。前世であれば、こういう「待つ」時間を最も嫌っていた。制御できない変数を抱えたまま次に進めない状態は、非効率の極致だった。だが今は、それを完全に無駄な時間とは思わなくなっている自分に気づく。


 昼過ぎ、タクミが戻ってきた。受理印の押された控えを、テーブルの上にそっと置く。


「受理されました。担当の方の名前も、今度はちゃんと控えてきました」


「上出来だ」


 修は控えに目を通す。日付と受理番号だけが記された、素っ気ない紙切れだった。だがこの一枚が、二日間の作業の区切りだった。審査結果が出るまでは、あと二週間近くかかるという。修たちにできることは、もうここまでだ。


「……終わった、んですね」


 雪音がぽつりと言う。修は首を横に振った。


「終わってない。区切りがついただけだ。結果が出るまでは、まだ何も確定していない」


「そう、ですよね」


「だが、これ以上こちらから触れる余地はない。触れようとすれば、それこそ協会の中立性を疑わせる」


 部屋に短い沈黙が落ちる。カイが椅子の背もたれに肘をかけたまま、天井を見上げて言った。


「なんか、こう……久々に、体動かしたいッスね」


「待機は解除する」


 修が即座に答えると、カイが身を起こした。


「マジッスか」


「意見書は出した。これ以上、この件で俺たちにできることはない。次の動きがあるとすれば、封印そのものか、あるいは別の手がかりだ」


 その言葉に、ミカゲがフードの奥から顔を上げた。


「……王立地下書庫跡」


 部屋の空気が、わずかに変わった。修はミカゲを見る。


「識別コードの記述の癖を見た、という話か」


「うん。奥の棚。何年も、誰も、読んでない本の中」


 ミカゲの声は相変わらず単語の羅列に近かったが、その一言一言には迷いがなかった。修は記憶を辿る。C級上位ダンジョン『王立地下書庫跡』――ミカゲと初めて出会った場所だ。あの頃はまだ、六人のうち三人しか揃っていなかった。


「あそこは、もう攻略済みのはずだが」


「攻略と、読み切ることは、違う。書庫は、広い」


 修は頷いた。ダンジョンの踏破と、蔵書の解読は別のレイヤーの話だ。攻略記録上は「完了」となっていても、内部に眠る情報のすべてを読み尽くしたわけではない。


「行くべきだと思うか」


「思う。……行かないと、分からないまま」


 修はしばらく黙って考えた。開示請求への対応は、自分たちの手を離れた場所で処理される。だがこの伏線は違う。自分たちの足で確かめられる場所に、まだ答えの断片が眠っている。待つしかない案件と、動けば進む案件。今、両方が同時にテーブルの上に乗っていた。


「セシル、お前はどう思う」


 セシルは少し間を置いてから、フードの奥で目を伏せた。


「……待つことしかできない場所と、動けば届く場所。両方があるなら、動ける方を、動く」


「単純だな」


「単純が、一番、正しいことも、ある」


 修は小さく息を吐いた。かつての自分なら、こういう判断に時間をかけなかっただろう。だが今は、六人の言葉を一つずつ確かめてから決めることに、それほど抵抗を感じなくなっている。


「決めた。王立地下書庫跡に再侵入する。目的は識別コードに関する記述の探索。ギルドとしての正式な調査依頼として協会に申請する」


「正式な依頼、ですか」


 雪音が聞き返す。


「個人的な興味で潜るより、記録として残る形にしておいた方がいい。何を見て、何を持ち帰ったか、あとから説明できるようにしておく」


 修の言葉に、タクミが少し驚いた顔をした。


「それって……開示請求の件と、同じ考え方ですね」


「そうだ。透明性を確保しておけば、あとから疑われる余地が減る。隠すべきものは隠す。だが、隠す必要のないものまで隠すな」


 その日の午後、修は協会の窓口に、王立地下書庫跡への再調査申請書を提出した。C級上位ダンジョンではあるが、既に一度完全踏破している実績があり、六人の現在のレベルを考えれば、審査は形式的なものだった。翌日には許可が下りた。


 出発は、その二日後の朝と決まった。


 支度をする事務所の中で、カイが久しぶりに機嫌よく防具の調整をしていた。


「やっぱ書類より、こっちの方が性に合ってるッスね」


「油断するな。あそこはお前がまだ弱かった頃に一度潜っただけの場所だ。今のお前の感覚とは違う敵が出てくるかもしれない」


「わかってるッス。でも、今の俺なら」


「今のお前なら、何だ」


「……兄貴に、置いていかれない自信はあるッス」


 修はその言葉に、わずかに口の端を動かした。否定はしなかった。


 雪音は新調した円盾を丁寧に磨きながら、静かにこちらを見ていた。


「修さん、今回は久しぶりに、皆で一緒に潜れますね」


「そうだな。骸骨兵の砦以来だ」


「私、楽しみです」


「楽しむ場所じゃない。書庫は罠が多い。油断するな」


「はい。それでも――楽しみです」


 修はその言い方に、それ以上何も言わなかった。


 当日、六人は王立地下書庫跡の入口に立った。石造りの階段が、地下へと深く続いている。かつてミカゲが一人でここに挑み、ボスを一撃で沈めた末に昏倒した場所だ。あの時と比べて、今のパーティの装備も練度も、比較にならないほど積み上がっている。


「入るぞ」


 修が先頭に立つ。抜刀術型の小太刀の柄に、指が自然と触れた。訓練で培った感覚は、まだ体の芯に残っている。


 階段を下りきったところで、最初の異変が現れた。書架の隙間から、羊皮紙の束が独りでに宙に浮き上がり、刃のような形に固まって襲いかかってくる。


「――来るぞ」


 修の声と同時に、カイが横に跳んで敵の側面に回り込む。雪音が盾を構え、正面から突っ込んでくる紙片の群れを受け止めた。


「修さん、右から二体!」


「見えている」


 修は右足を軽く踏み込み、抜刀した。並列演算が処理しようとする情報量を、キャッシュに任せて間引く。考えるより先に、刃が紙の束を薙いだ。断ち切られた羊皮紙が、文字の羅列のまま宙に散る。


「……壊れた記述、みたいなもの。攻撃してくる本」


 ミカゲが杖を構えながら呟く。


「なら、俺の仕事だな」


 修は次の一体との間合いを詰めた。刃を振るうたびに、頭の中で古い感覚が疼く。前世では、こうして最前線に立つことは一度もなかった。だが今、この一撃一撃には、確かに自分の意志が乗っている。


 最初の一群を退けた先、書架の奥に、これまで見たことのない仄暗い光が漏れていた。ミカゲがその方向を見つめたまま、小さく呟く。


「……あそこ」


「奥の棚か」


「うん」


 修は小太刀を鞘に収めながら、その光の方を見据えた。


「行くぞ。まだ何も終わっていない」


 六人は、光の漏れる書架の奥へと足を進めた。


【現在のステータス】


 ■柏木 修

 Lv: 21

 HP: 930

 MP: 270

 STR: 84 / VIT: 75 / INT: 268 / DEX: 208 / AGI: 102 / LUK: 7

 ATK: 112 / DEF: 83 / RES: 252

 装備: 改修・並列同期型小太刀(タクミ製・新調)、源田の補強胸当て(革鎧と併用)、使い古したスマートフォン

 スキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブ『不遇の記憶』、パッシブ『並列演算』


 ■白石 雪音

 Lv: 25

 HP: 2400

 MP: 650

 STR: 5 / VIT: 370 / INT: 85 / DEX: 62 / AGI: 54 / LUK: 108

 ATK: 0 / DEF: 440 / RES: 300

 装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、新生・白銀の円盾(持続耐久強化・コア・クリスタル内装)、源田より贈られた軽量脚甲

 スキル: 【聖域守護】、【反射装甲リアクティブアーマー】、パッシブ『不屈の精神』


 ■カイ

 Lv: 22

 HP: 820

 MP: 205

 STR: 160 / VIT: 128 / INT: 102 / DEX: 395 / AGI: 465 / LUK: 190

 ATK: 260 / DEF: 120 / RES: 100

 装備: 新調タクティカル・ナイフ(源田製・抗議の末に獲得)、浄化の片手剣サブ、強化軽量レザーベスト(改・防御値向上)、特注防塵ゴーグル、高機動型ダンジョンシューズ

 スキル: 『罠感知(ランクA)』、『パルクール・アクション』、『お調子者の空元気』


 ■ミカゲ

 Lv: 23

 HP: 610

 MP: 1650

 STR: 26 / VIT: 46 / INT: 390 / DEX: 114 / AGI: 140 / LUK: 70

 ATK: 220 / DEF: 66 / RES: 435

 装備: 深淵の魔導杖・改式・二型(コア・クリスタル換装・出力上限向上)、魔導銀の装飾ローブ、深淵を覗く者のフード、身代わりの守り

 スキル: 固有スキル『極大消滅アビス・イレイザー』、古代語魔法、古文書解読、沈黙の集中


 ■タクミ

 Lv: 14

 HP: 240

 MP: 310

 STR: 20 / VIT: 28 / INT: 92 / DEX: 131 / AGI: 42 / LUK: 58

 ATK: 32 / DEF: 39 / RES: 71

 装備: 煤けた作業用エプロン、源田より贈られた新しい指ぬきグローブ、指定学生服ズボン、初心者の小型錬金釜、携行式錬成台(現場作業用)

 スキル: 固有スキル『錬金術(論理構築/オーバーライド)』、特殊技能『アイテムの目利き』


 ■セシル

 Lv: 20

 HP: 260

 MP: 1550

 STR: 16 / VIT: 24 / INT: 120 / DEX: 47 / AGI: 34 / LUK: 10

 ATK: 22 / DEF: 34 / RES: 150

 装備: 古銀のロザリオ(改・発動遅延短縮)、夜色の修道服(ダンジョン産繊維製)、隠者のヴェール

 スキル: 『浄化の光』、『鎮魂の調べ』、『甘露の直感』、パッシブ『生者への慈愛』

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