第三話:Ghost in the Shell
F級ダンジョン『ゴブリンの洞穴』。そのクリア報酬として修が手にしたのは、新人冒険者としては破格の約五十万という現金だった。
これは決して偶然の幸運ではない。彼のスキル『プログラマー』が可能にした、必然の結果だ。
まず、彼はダンジョンの構造データを読み解き、通常のルートからは到達不可能な、隠された小部屋を発見した。そこに巣食っていたのは、F級ダンジョンには極めて稀な変異種、『ホブゴブリン・リーダー』。前世の記憶にもない、この世界の歴史が生んだイレギュラーな存在だった。修は、その思考パターンを完全に予測し、無傷で討伐。変異種の心臓核は、それだけで三十万近い値が付いた。
さらに、道中のゴブリンからドロップする『魔石』。通常、初心者が持ち帰る魔石は、傷や不純物が多く、二束三文で買い叩かれるのが常だ。だが修は、ゴブリンを倒す「瞬間」、ドロップアイテムの生成プログラムに僅かに介入。『魔石』のパラメータを、等級の範囲内で最高品質に「最適化」したのだ。傷一つない高品質な魔石を大量に持ち帰ったことで、残りの二十万を稼ぎ出した。
「……それでも、まだ足りないな」
五十万は、十八歳の青年には大金だ。だが、これから始まる復讐計画の軍資金としては、あまりに心許ない。
修はまず、その金で万全の「環境」を構築することから始めた。
大学進学のために上京する、という体裁は崩さず、都心から少し離れた場所に、防音・防犯セキュリティが最高レベルのデザイナーズマンションの一室を借りる。表向きは、親からの仕送りで暮らす、ごく普通の学生だ。
だが、その部屋の内部は、彼の要塞へと作り変えられていった。
ハイスペックなPCと複数のモニター。高速な専用回線。人間も、銀行口座という不確かな電子の数字も、等しく裏切るものだと知っている彼は、手元に最低限の現金を残し、残りはすぐに次の投資へと回すことに決めた。
「俺のサーバーは、俺自身だ」
無機質な部屋の中、修は一人呟く。
ここが、彼の新たな人生の拠点。誰にも侵されることのない、聖域だった。
次に彼が着手したのは、情報収集と、それを利用した「実験」だった。
『プログラマー』のスキルは万能に近いが、彼一人で世界の全てを観測することはできない。だが、彼にはスキルとは別の、もう一つの絶対的なアドバンテージがあった。
――未来を知っている、ということだ。
二十二年分の、冒険者世界の記憶。どのダンジョンに未発見の領域があるか。どのモンスターが、希少な素材をドロップするか。どのギルドが、いつ、どのような不祥事を起こすか。
その全てが、修の頭の中にあった。
「……だが、十八歳の新米冒険者が、そんな情報を知るはずがない」
この知識を無警戒に開示すれば、たちまち怪しまれ、どこかの組織に捕らえられて解析されるのが関の山だ。それでは、前世の二の舞になる。
利用はする。だが、それは、決して「柏木修」としてではない。
修は、冒険者たちが利用する巨大匿名掲示板にアクセスした。
そこは、最新のダンジョン情報から、ギルドのゴシップ、装備の自慢まで、ありとあらゆる情報が渦巻く電子の海。彼は、この混沌とした情報空間に、一つの「亡霊」を解き放つことにした。
数日後。掲示板のとあるスレッドに、奇妙な書き込みが投下された。
名無しさん@覚醒者:
D級ダンジョン『廃鉱の回廊』、B-7区画。明日14:00、落盤事故。下層にアシッド・クローラーの巣。巣の北側岩盤裏に、高純度ミスリル鉱脈あり。健闘を祈る。
あまりに具体的で、突拍子もない内容。
スレッドの住民たちは、即座に反応した。
名無しさん@覚醒者:なんだこのカキコw
名無しさん@覚醒者:新手の荒らしか?
名無しさん@覚醒者:ミスリル鉱脈とか、夢見すぎだろwww
名無しさん@覚醒者:こういうデマで遭難者が出たらどうすんだよ。通報しとくわ。
案の定、誰もがそれを戯言として一蹴した。
修は、モニターの向こうで繰り広げられるその反応を、何の感情もなく眺めていた。
(……それでいい)
今は、信じるか信じないか、という程度のノイズで十分だった。重要なのは、この「事実」を、観測可能な場所に記録として残した、ということだ。
翌日の午後。
修は、自身のレベルアップと資金稼ぎを兼ねて、別のダンジョンに潜っていた。
習得した『身体強化』スキルと、デバッグ済みの装備。そして、モンスターの思考を読み解く『プログラマー』の力。
もはや、低級ダンジョンに敵はいなかった。
彼は、前世の記憶を頼りに、ダンジョンの隠し通路の奥で、まだ誰にも発見されていない宝箱から、換金性の高い魔道具を悠々と回収していた。
その頃、巨大匿名掲示板は、前日とは比較にならないほどの熱狂に包まれていた。
【速報】中堅ギルド『グリフォン』、D級ダンジョンで落盤事故に巻き込まれるも、奇跡の生還!
ニュースサイトが報じたその一報を皮切りに、掲示板は祭り状態となった。
『グリフォン』のメンバーが、掲示板に事の経緯を書き込んだのだ。
グリフォンの斥候だけど、マジで死ぬかと思った
昨日の書き込み、最初はデマだと思ってたんだが、リーダーが「万が一」を考えて、念のため時間前に現場を偵察してたらしい
そしたら、14:00きっかりに、マジで足元が崩落。下にいたのは、噂通りのアシッド・クローラーの群れ
書き込みがなかったら、パーティごと溶かされてた……
ちなみに、リーダーが興奮気味に「ミスリル、あったぞ!」って叫んでた。ガチだ、あの書き込みは
一つの書き込みが、一つのギルドの運命を変えた。
スレッドは、瞬く間に賞賛と、そして恐怖の声で埋め尽くされていく。
名無しさん@覚醒者:預言者、降臨……
名無しさん@覚醒者:おいおい、なんだよこれ、怖すぎだろ
名無しさん@覚醒者:一体誰が、何のために……?
名無しさん@覚醒者:こいつの情報、本物だ。次の書き込みはまだか!
修は、ダンジョンから帰還し、自室のモニターでその騒ぎを確認していた。
全ては、彼の筋書き通り。
彼はこの名もなき預言者に、一つのコードネームを与えた。
「――Null」
プログラミングの世界で、「何もない」「空っぽ」を意味する言葉。
何者でもなく、どこにも属さず、ただ、世界のバグを指摘し、修正する存在。
それが、修がこの世界で演じる、もう一つの姿だった。
彼の人間不信は、もはや病的なレベルにまで達していた。
仲間など、信じない。ギルドなど、属さない。
人は、容易く裏切る。組織は、簡単に腐敗する。
ならば、誰とも関わらなければいい。誰からの干渉も受け付けない、絶対的な情報的優位に立つ。
力だけが、自分を決して裏切らない、唯一の変数だった。
モニターに映る、熱狂する名もなき群衆。
彼らは、救世主の降臨だと騒ぎ立てている。
だが、修の心は、凍てついたように静かだった。
「そうだ、もっと踊れ」
その唇が、冷たい笑みの形に歪む。
「お前たちは、俺の掌の上でデバッグされる、駒に過ぎない」
亡霊は、システムの殻の内側で、静かに次の「預言」の準備を始めていた。
その目的は、世界の救済ではない。
ただ、己の復讐のためだけに。




