第二十七話:Critical Section
本日は3話投稿です。
事務所の応接スペースに通されたのは、紺色の制服に身を包んだ女だった。名刺には「ダンジョン管理協会 第三監査課 黒川環」とある。歳は三十前後。眼鏡の奥の目は、修たちを値踏みするように一通り眺めてから、手元の端末に視線を落とした。
「『骸骨兵の砦』の周辺異常について、ご報告いただいた内容は協会の観測記録と一致しています」
淡々とした声だった。雪音が出した茶に手をつけることもなく、黒川は端末の画面をこちらに向けた。表示されているのは、修たちが見たものと同じ亀裂の構造――ただし、もっと古い記録だ。日付は十年以上前まで遡っている。
「あの場所は、もともと協会が定期監視対象に指定していたポイントです。十二年前、当時のSランク冒険者パーティが『何かを閉じ込めるための構造物』として報告していました。以降、特に変化がないため監視レベルは下げられていましたが――」
黒川は端末を閉じた。
「先月から、協会の定点観測機器でも有意な劣化が確認されています。具体的な数値は外部には開示していませんが――想定よりかなり速いペースで壊れている、とだけ申し上げておきます」
修は、自分が報告書に書いた内容を思い出していた。あの日、亀裂の奥で読み取った『残存稼働率十二パーセント』という数字は、書面には一文字も載せていない。「劣化が進行している」というだけの、ぼかした言葉で済ませている。プログラマーの権能で覗いた数字を、そのまま提出するわけにはいかなかった。
黒川が口にした「想定よりかなり速い」という感覚が、修の中の数字と重なる。協会の機材でも、似たような結論には辿り着いているらしい。だが、その精度には届いていない。
修は腕を組んだ。
「協会としては、どう動くつもりだ」
「本来であれば、Bランク以上の指定パーティに緊急対応を依頼するところです。ですが――」
黒川がここで初めて、わずかに表情を歪めた。苦い顔だった。
「現在動かせるBランク以上のパーティは、全て別案件に出ています。最短で対応可能なのが五日後。それまで劣化が進まずに持つかどうかは、誰にも保証できません」
ミカゲが小さく身じろぎした。修は黒川の言葉の中の空白を読み取る。報告でも依頼でもない、これは。
「だから俺たちに、暫定的な対応を頼みたいと」
「『骸骨兵の砦』の現状を最も詳しく把握しているのは、皆さんです。協会としても、無関係な部隊を急遽投入するより、現状把握済みの皆さんに『監視と応急処置』の権限を一時的に付与する方が合理的だと判断しました」
合理的、という言葉に修の中の何かがわずかに反応した。仕様として正しい判断だ。だが――
「ロックの本体には触れるなよ、ということか」
「その通りです。封印の核に直接干渉する権限は、協会指定のBランク以上にしか与えられません。皆さんにお願いしたいのは、劣化の進行を抑えるための応急的な処置と、異常の早期検知のみです」
タクミが小さく手を挙げた。
「あの、骨片の脆さの件は……劣化の進み方と関係していると思うんですけど」
「報告書で拝見しました。非常に有用な観察です。骸骨兵が無理に動かされ続けているという推測は、協会の解析チームでも裏付けが取れています」
タクミの肩がわずかに上がる。修はその反応を視界の端で捉えながら、黒川に向き直った。
「条件を確認させてくれ。応急処置はどこまで許される」
「亀裂周辺に設置された封印アンカー(要石)の補修、骸骨兵の活動抑制、劣化状況の確認。それ以上の――封印そのものへの干渉は、緊急時を除いて禁止です」
「緊急時の定義は」
「協会の基準で『重大劣化』と判定された場合、または封印内部の存在が外部活動を確認できる場合」
黒川は一拍置いて、付け加えた。
「後者が起きた場合は、即時撤退を最優先にしてください。これは協会の正式な指示です」
その口調には、修が前世で何百回と聞いた「上からの建前」の響きがあった。だが今回は、その建前の裏に本物の警戒がある。黒川の指先が、端末を持つ手の中でかすかに強く握られていたことに、修は気づいていた。
契約書――応急対応の委任状にサインをして、黒川を見送った後、事務所には静かな緊張が残った。
「五日……」
雪音がぽつりと呟く。カイが椅子の背もたれに体を預けた。
「五日って、結構ギリギリッスね」
「いや」
修は短く言った。
「五日は最大値だ。最短値じゃない。あの女の手の震え方を見たか」
全員の視線が修に集まる。
「協会も、劣化が進む速さを完全には信用していない。最悪、その前に何か起きると思っている」
セシルが目を伏せたまま、小さく呟いた。
「……閉じ込められたものは、出たがる。当然のことだわ」
誰も、その言葉を否定しなかった。
翌日、六人は再び『骸骨兵の砦』に降りた。今回の目的は戦闘ではなく、亀裂の縁に組み込まれている封印アンカー(要石)の補修と、骸骨兵の活動範囲を抑え込むための簡易結界の設置だ。ダンジョンそのものを直すわけではない――十二年前に誰かが打ち込んだ「封」の仕組みを、外側から保たせるだけの作業だった。タクミが錬金術で構築した補修用の要石を、ミカゲが古代語の補助式で既存のアンカー構造に接続していく。地味な作業だった。前回のような発見の興奮もなく、ただ手順を積み重ねるだけの時間。
それが、修にとっては嫌な感覚だった。前世で何度も味わった「想定外の前触れとしての静かな時間」だ。
「カイ、周辺の警戒を頼む」
「了解ッス」
カイが索敵に出て、十分ほどで戻ってきた。報告は「異常なし」。だが、修はその「異常なし」という言葉そのものに、引っかかりを覚えた。
骸骨兵の砦は、本来であればD級の魔物がそれなりの密度で徘徊しているはずの場所だ。だが今、修たちが補強作業を進めている間、現れた骸骨兵の数は明らかに少ない。
「……数が減ってる」
修の呟きに、ミカゲが顔を上げた。
「……うん。気づいてた」
「どこに行った」
「……たぶん」
ミカゲは大杖の先で、亀裂の奥――封印の核がある方向を指した。
「そっちに、集まってる」
タクミが固定作業の手を止めた。
「骨が無理に動かされ続けてるって話、僕がしましたけど……もしかして、封印が骸骨兵を使って、自分を維持しようとしてるんじゃ……」
その仮説が正しければ、状況はさらに悪い。封印は劣化に対抗するために、周囲の魔物を「部品」として吸収し始めているということになる。
修が次の指示を出そうとした、その瞬間だった。
亀裂の奥から、地鳴りのような音が響いた。これまでの探索で聞いたどの音とも違う、重く低い、何かが軋む音。雪音が反射的に前に出る。
「皆さん、後ろに!」
亀裂が、目に見えて広がった。崩落ではない。明らかに「内側から押し広げられている」動きだった。
「ステータスオープン」
修は反射的に視界に表示板を呼び出し、亀裂の奥に向けて鑑定のスクリプトを走らせる。だが、返ってきたのは見たことのない応答だった。
【対象を解析中……】
【解析失敗:アクセス権限不足】
修の背中に冷たいものが走った。前世を含め、この『プログラマー』のスキルで「解析失敗」という結果を返されたことは、数えるほどしかない。
「ミカゲ、桁外れの相手が出る。前に出るな」
言うが早く、亀裂の中から這い出てきたのは――骸骨兵だった。だが、これまで遭遇してきたどの骸骨兵とも違う。本来一体だった骨格が、複数体分の骨を強引に接合され、歪な巨体を形成している。眼窩には本来あるはずのない紫色の光が灯り、関節の一つ一つから、漏れ出すような瘴気が漂っていた。
「……っ、これ……」
カイが息を呑む。修は冷静に鑑定を再試行したが、結果は同じ。アクセス権限不足。つまり――この個体のステータスやスキル構成を、修の権能でも完全には読み取れない。
「修さん!」
雪音の声と同時に、巨体が動いた。速度は明らかにD級の枠を超えている。雪音が盾を構えて受け止めるが、衝撃でその場の地面が抉れた。
「重い……っ、これ、Aランク級の……!」
雪音の声に焦りが混じる。それは滅多に聞かない声色だった。
「セシル、雪音の補助を! ミカゲ、遠距離から牽制、カイは囮、タクミは下がってろ!」
指示を飛ばしながら、修は自分の判断速度がいつもより遅いことに気づいていた。原因はわかっている。鑑定が通らない――情報がない状態での戦闘指揮は、修にとって最も苦手とする状況だ。
ミカゲの『極大消滅』が放たれ、巨体の肩口に直撃する。骨が一部砕け散るが、その断面から瘴気が逆流するように噴き出し、欠損部位がゆっくりと再生していく。
「……再生する」
ミカゲが珍しく動揺した声を出した。セシルの浄化の光が再生を一時的に阻害するものの、完全には止まらない。
雪音が反射装甲で受けたエネルギーを溜め込み、限界まで蓄積した上で全放出する。これまでなら確実に大型の魔物を仕留めてきた一撃だ。だが、巨体は怯んだだけで、崩れなかった。
「足りない……っ!」
雪音の声に、初めて聞く類の悲鳴のような響きがあった。
修は奥歯を噛んだ。前世の記憶の中にある、似たような感覚――足元が崩れていく感覚。今、目の前にいるのは、本来この階層に存在してはならない強さの存在だ。装備のグレード、スキルの熟練度、レベル――そのどれもが、この相手の前では「不足」というラベルを貼られている。
「カイ、合図したら全力で離脱できるようにしておけ」
「修さん、それって……」
「黒川の言ってた緊急時条件、もう満たしてる。これは協会に引き渡す案件だ」
修は視界の中で、最後の手段を選んだ。完全な解析はできない。だが、巨体を構成する骨格接合部――無理に繋ぎ合わされた境界線だけは、わずかに見える。本体ではなく、「繋ぎ目」だけを狙う。
「ミカゲ、左肩の接合部に合わせろ。セシル、その瞬間に浄化を重ねてくれ」
「……わかった」
「――了解よ」
修自身も剣を抜き、接合部の一点に向けて踏み込む。鑑定できない以上、これは賭けだ。だが、繋ぎ目という「仕様上の弱点」がある以上、そこを突くのはデバッガーとしての基本動作だった。
刃が接合部に触れた瞬間、修の視界に小さな変化が走った。完全な解析ではない。だが、断面のコードの欠片のようなものが、一瞬だけ垂れ流される。
【※ 警告:これは『封印対象』の一部です。完全な排除は推奨されません】
その警告文を見て、修は瞬時に判断を切り替えた。
「殺すんじゃない、押し戻す! ミカゲ、もう一発、接合部限定!」
ミカゲの魔法とセシルの浄化、雪音の盾による圧迫、カイの牽制――六人の連携が、ようやく噛み合う。巨体はゆっくりと、亀裂の奥へ押し戻されていった。完全な勝利ではない。ただ「押し込んだ」だけだ。
亀裂が、軋みながら閉じていく。タクミが急いで予備の要石を打ち込み、簡易的に隙間を塞いだ。
戦闘が終わった後、その場に残ったのは安堵ではなく、重い沈黙だった。
「……これ、絶対やばいやつッスよね」
カイが膝に手をついたまま、息を切らして言った。誰も否定しなかった。
雪音は自分の盾を見つめていた。表面には深い亀裂が入っている。何百体もの魔物を受け止めてきたその盾が、今日初めて、限界を見せた。
「私の反射装甲……全然、効きませんでした」
その声は、これまで修が聞いたどの雪音の声よりも弱々しかった。
ミカゲも、大杖を握る手が小さく震えていることに気づいたのか、もう片方の手でそれを押さえつけている。
「……私の消去も、表面しか削れなかった」
修は何も言わずに、全員の様子を見渡した。タクミの錬金道具は接合部の応急処置で半分が摩耗し、セシルの浄化は連続使用でMPを大きく削られている。誰一人、無傷ではいられなかった。
修自身も、剣を握る手のひらに、これまでにない種類の疲労を感じていた。情報のない相手と戦うという経験そのものが、四十年分の記憶を持つ自分にとっても初めてのものだった。
「協会に連絡する。状況の格上げを要請する」
修は端末を取り出しながら、内心でもう一つの結論に行き着いていた。
――今の俺たちのレベルでは、足りない。
装備は最初に整えたものから、ほとんど更新していない。雪音の盾はもうボロボロだ。ミカゲの杖はタクミが作った最高傑作だが、それでも今日の相手には届かなかった。スキルの熟練度も、ここ最近は対人――アーク・セイバーとの情報戦に時間を割いていた分、純粋な実戦からは離れていた時期がある。
効率を口にしてきた自分が、一番効率の悪い状態でここまで来ていた。そのことに、修は今ようやく気づいた。
「黒川に伝える前に、一つ決めておきたいことがある」
全員が修を見る。
「今日でわかったことが一つある。俺たちは、今のままじゃ足りない。装備も、スキルも、戦い方も」
雪音が顔を上げた。カイも、ミカゲも、タクミも、セシルも。
「D級だから安全だなんて仕様はもう信用できない。次にまた似たようなイレギュラーが起きたら、今日以上に削られる。だから――」
修は一度、自分の手のひらを見た。何百回と人を助け、装備を直し、仲間のバグを修正してきた手だ。だが今日は、それだけでは押し戻すことしかできなかった。
「全員、装備とスキルを、根本から見直す。タクミ、新しい装備の構想を頼めるか。ミカゲは杖の限界を、セシルは浄化の効率を、もう一度俺と一緒に解析しよう。雪音とカイの戦闘スタイルも、見直す部分がある」
「……はい」
雪音の声には、不安よりも、静かな決意のほうが強く混じっていた。
「俺たちは、これまで通りのやり方じゃ、次の壁を越えられない」
修はそう言って、亀裂の奥――まだ何かが息づいているはずの暗闇に、一度だけ視線を向けた。
仕様にない強さが、すでにこの世界のどこかで動き始めている。修はそのことを、今日初めて、骨身に染みる形で理解した。
【現在のステータス】
■柏木 修
Lv: 20
HP: 900
MP: 260
STR: 78 / VIT: 72 / INT: 260 / DEX: 200 / AGI: 98 / LUK: 7
ATK: 96 / DEF: 80 / RES: 245
装備: 浄化の片手剣、改良された革鎧(Eランク相当・使用感激しく劣化)、使い古したスマートフォン
スキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブ『不遇の記憶』、パッシブ『並列演算』
■白石 雪音
Lv: 25
HP: 2400
MP: 650
STR: 5 / VIT: 370 / INT: 85 / DEX: 62 / AGI: 54 / LUK: 108
ATK: 0 / DEF: 440 / RES: 300
装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾(表面に深い亀裂・使用継続は危険)
スキル: 【聖域守護】、【反射装甲】、パッシブ『不屈の精神』
■カイ
Lv: 22
HP: 820
MP: 205
STR: 160 / VIT: 128 / INT: 102 / DEX: 395 / AGI: 465 / LUK: 190
ATK: 260 / DEF: 120 / RES: 100
装備: タクティカル・サバイバルナイフ、浄化の片手剣、強化軽量レザーベスト、特注防塵ゴーグル、高機動型ダンジョンシューズ
スキル: 『罠感知(ランクA)』、『パルクール・アクション』、『お調子者の空元気』
■ミカゲ
Lv: 23
HP: 610
MP: 1650
STR: 26 / VIT: 46 / INT: 390 / DEX: 114 / AGI: 140 / LUK: 70
ATK: 220 / DEF: 66 / RES: 435
装備: 深淵の魔導杖・改式(ヴォイド・レゾナンス・芯材に微細な亀裂)、魔導銀の装飾ローブ、深淵を覗く者のフード、身代わりの守り
スキル: 固有スキル『極大消滅』、古代語魔法、古文書解読、沈黙の集中
■タクミ
Lv: 13
HP: 225
MP: 295
STR: 19 / VIT: 26 / INT: 88 / DEX: 124 / AGI: 40 / LUK: 57
ATK: 30 / DEF: 37 / RES: 68
装備: 煤けた作業用エプロン、特製指ぬきグローブ(摩耗激しい)、指定学生服、初心者の小型錬金釜
スキル: 固有スキル『錬金術(論理構築/オーバーライド)』、特殊技能『アイテムの目利き』
■セシル
Lv: 20
HP: 260
MP: 1550
STR: 16 / VIT: 24 / INT: 120 / DEX: 47 / AGI: 34 / LUK: 10
ATK: 22 / DEF: 34 / RES: 150
装備: 古銀のロザリオ、夜色の修道服(ダンジョン産繊維製)、隠者のヴェール
スキル: 『浄化の光』、『鎮魂の調べ』、『甘露の直感』、パッシブ『生者への慈愛』




