第二十六話:Segmentation Fault
戸田からの依頼を受けた翌日、修たちは現地に立っていた。
D級ダンジョン『骸骨兵の砦』。入口の石門には、かつて護衛ギルドが設置したであろう注意看板が、半分傾いたまま放置されている。「立入注意」という文字の上に、誰かが上から黒いテープで「契約終了」と貼り直した跡があった。
カイの調査報告にあった亀裂は、入口からそう遠くない回廊の壁に走っていた。修はそこに屈み込み、指先で壁面をなぞる。ひびの縁は乾いた土埃で白く粉を吹いていたが、内側は妙に湿った光を帯びている。ダンジョンの壁が発光するのは珍しいことではないが、この光り方には見覚えがあった。
——エラーログの点滅と同じ周期だ。
「修さん、どうですか?」
雪音が盾を構えたまま、背後から声をかけてくる。修は答える前に、視界に浮かぶ半透明の表示を睨んだ。壁という「物体」に対してではない。もっと広い範囲、回廊そのものに対して『デバッグ』の権能を伸ばす。これは今までやったことのない種類の作業だった。装備でも、肉体でも、誰かのスキルでもない。ダンジョンという空間の構造そのものに触れる。
ログのようなものが、ノイズ混じりに流れ込んでくる。
『ACCESS_DENIED:region_lock(封)/expire_warning:残量僅少』
修は短く息を吐いた。
「亀裂じゃない。ロックが緩んでるだけだ」
「ロック……鍵、ってことっスか?」
カイが防塵ゴーグルを額に上げながら覗き込む。
「比喩で言えばそうだ。この場所のどこかに、何かを閉じ込めておくための処理がかかってる。それが、期限切れに近い」
「期限……」
タクミが小さく呟き、足元に落ちていた骨片を拾い上げた。指先でその表面を撫で、何かを確かめるように眉をひそめる。
「修さん、この骨、表面の劣化が変です。普通の骸骨兵の素材より脆い……まるで、無理に動かされ続けてるみたいに」
タクミの目利きは、今回も的を外さなかった。修は頷く。
「ロックが弱くなって、内側の圧が漏れてる。骸骨兵の動きが活発になってるのも、護衛ギルドが避けてるのも、それが原因だろうな」
ミカゲが杖を握り直し、フードの奥から亀裂を見つめている。古文書の文字を探そうとしたのか、視線が一瞬壁の刻印らしき模様に向いたが、すぐに逸れた。
「……読めない。これは、言葉じゃない」
単語で言い切ると、ミカゲは杖の先を低く構え、戦闘態勢に入った。読解ではなく、今は前に出る判断をしたらしい。修はそれを止めなかった。今日のミカゲの役割は、解読者ではなく前衛だ。
奥から、骨の擦れる音が響いてくる。一体や二体ではない、複数の足音が乱れて重なっていた。
「来るぞ」
修が言うと同時に、回廊の闇から骸骨兵の群れが姿を現した。これまで戦ったどの個体よりも動きが速く、統率を欠いている。明らかに、何かに追い立てられるように暴れていた。
「雪音、頼む。だが——今日は受けるだけじゃない」
「はい?」
「攻撃を受けて溜める前に、カイが先に動きを乱す。雪音はその隙間を守るだけでいい」
雪音が一瞬戸惑った顔を見せたが、すぐに頷いた。これまでの戦い方——攻撃を引き受けて蓄積し、最後に一気に反射する——とは違う組み立てだ。修は同じ戦術を繰り返すことを避けた。
カイが先頭の骸骨兵の足元に飛び込み、パルクールで横をすり抜けながら腱の継ぎ目に短剣を入れる。骨が崩れ、後続の動きが一瞬乱れた。その隙間に雪音が滑り込み、群れの正面を盾一枚で塞ぐ。攻撃を吸収して溜めるのではなく、最小限の防御で道を作るだけの役目だ。
「ミカゲ!」
「……っ」
短い声で応え、ミカゲが杖を振る。これまでのように極大の一撃で薙ぎ払うのではなく、群れの足元を狙って地面を凍らせるような効果を流し込んだ。動きを止める、ただそれだけのために力を使う。タクミが事前に調整した魔導杖の出力制御が、ここで機能していた。
骸骨兵の動きが鈍くなったところへ、セシルの声が低く響く。
「……鎮まれ」
浄化の光が群れの中心に落ち、骨の輪郭が崩れていく。これまでの戦いのように感情を込めた言葉ではなく、ただ事実として鎮める、という静かな響きだった。
戦闘そのものは、長くは続かなかった。骨片が砂のように崩れ、回廊に静寂が戻る。修は再び亀裂の前に立ち、視界の表示を呼び出した。
『region_lock(封):残存稼働率 12%』
数字を見て、修は眉を寄せた。十二パーセント。この亀裂一つで終わる話ではない。砦のどこかに、ロックの本体——おそらくこの場所そのものを「閉じ込め」として機能させている核がある。それを見つけない限り、護衛ギルドが逃げ出した理由も、骸骨兵が荒れている理由も、根本的には解決しない。
「タクミ、この骨を持って帰れるか。解析したい」
「は、はい!」
「ミカゲ、奥にもう一つ、同じ種類の刻印があるかもしれない。読めなくてもいい、見つけたら教えてくれ」
「……わかった」
修は短く息を吐き、亀裂に手をかざした。表示が一段深い階層へと展開していく。これは装備の修理でも、誰かのスキルの修正でもない。場所そのものの「仕様」に触れる、初めての作業だった。
——前世では、こんな感覚はなかった。
あの頃の自分は、誰かに与えられたタスクをただ消化するだけの存在だった。今は違う。何が壊れているのかを自分の目で見つけ、自分の判断で直しにいく。それが、誰のためでもなく、ただ「直したいから直す」という感覚に近づいていることに、修はまだ気づいていなかった。
「修さん」
雪音が隣に立ち、亀裂を覗き込む。
「これ……奥に、まだ何かあるんですよね」
「ああ。今日中には終わらない」
「でしたら、また来ましょう。皆で」
その言い方に、修は一瞬手を止めた。依頼の効率を考えれば、最短ルートで核を探すべきだ。だが雪音の言葉には、それとは別の前提があった。「また来る」のは当然のことのように。
修は何も言わず、亀裂の表示を閉じた。
「……戻るぞ。今日分かったことを、戸田さんに報告する」
六人は砦の入口へと足を向けた。背後の闇に、まだ解かれていない仕様が残っていることを、誰もが理解していた。
***
冒険者ギルド本部ビルから歩いて数分、紋章を掲げたテナントビル三階——ギルド『ライジング』の事務所に戻ると、修はスマートフォンで戸田に連絡を入れた。原因の見当がついたこと、これから方針を説明したいことを短く伝える。一時間ほどして、戸田は息を切らせながら事務所のドアを叩いた。よほど気が急いていたのだろう。
「お待たせしました……!どう、でしたか」
「結論から言う。骸骨兵が荒れてるのは、ダンジョン側の異常だ。あなたのところの問題じゃない」
修は手短に、亀裂の状態と、骸骨兵の動きが何かに引き起こされていることを説明した。「封印」だの「ロック」だのという単語は使わず、できるだけ平易な言葉に直して伝える。戸田は何度も頷きながら、最後に小さく息を吐いた。
「じゃあ、護衛ギルドが逃げたのも……」
「正解な判断だったと思う。彼らは原因を特定できなかったから、契約を切るしかなかった。こっちは原因の在処までは摘んだ。あとは時間の問題だ」
「時間って、どれくらい……」
戸田の声に、初めて不安の色が混じった。修は答える前に、わずかに視線を落とす。残存稼働率十二パーセント、という数字をそのまま口にするつもりはなかった。確証のない予測を相手に渡すのは、非効率以前に無責任だ。
「長くは持たない。来週中には、もう一度潜って核を探す」
「お願いします。本当に……ありがとうございます」
戸田が深く頭を下げたところで、入口に近い位置にいたセシルが、外の気配に気づいて顔を上げた。コツコツ、と硬い足音が一つ、ドアの前で止まる。
「……来客」
セシルが短く告げ、ドアを開ける。立っていたのは、見覚えのない紺色の制服を着た男だった。
「失礼します。ギルド『ライジング』の代表者の方は」
「俺だ」
修が前に出ると、男は懐から身分証らしき板を提示した。
「ダンジョン管理協会の者です。骸骨兵の砦に関して、確認させていただきたいことがあります」
修たちは視線を交わした。骸骨兵の砦の異常が、護衛ギルドの撤退という形で、すでにどこかの記録に上がっていたのだろう。個人の依頼として静かに調べるつもりだったものに、組織の手が伸びてきた最初の瞬間だった。
「……どうぞ」
修は表示を一つも開かずに言った。次に何が起こるか、まだ予測のつかない状況に対して、修の中の何かが小さく警戒の信号を上げていた。
【現在のステータス】
■柏木 修
Lv: 19
HP: 850
MP: 240
STR: 75 / VIT: 70 / INT: 245 / DEX: 195 / AGI: 95 / LUK: 7
ATK: 92 / DEF: 78 / RES: 230
装備: 浄化の片手剣、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン
スキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブ『不遇の記憶』、パッシブ『並列演算』
■白石 雪音
Lv: 24
HP: 2250
MP: 600
STR: 5 / VIT: 350 / INT: 80 / DEX: 60 / AGI: 52 / LUK: 105
ATK: 0 / DEF: 420 / RES: 285
装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾
スキル: 【聖域守護】、【反射装甲】、パッシブ『不屈の精神』
■カイ
Lv: 21
HP: 780
MP: 195
STR: 155 / VIT: 122 / INT: 98 / DEX: 380 / AGI: 450 / LUK: 185
ATK: 250 / DEF: 115 / RES: 95
装備: タクティカル・サバイバルナイフ、浄化の片手剣、強化軽量レザーベスト、特注防塵ゴーグル、高機動型ダンジョンシューズ
スキル: 『罠感知(ランクA)』、『パルクール・アクション』、『お調子者の空元気』
■ミカゲ
Lv: 22
HP: 580
MP: 1600
STR: 25 / VIT: 44 / INT: 375 / DEX: 110 / AGI: 135 / LUK: 68
ATK: 210 / DEF: 64 / RES: 420
装備: 深淵の魔導杖・改式、魔導銀の装飾ローブ、深淵を覗く者のフード、身代わりの守り
スキル: 固有スキル『極大消滅』、古代語魔法、古文書解読、沈黙の集中
■タクミ
Lv: 12
HP: 210
MP: 280
STR: 18 / VIT: 24 / INT: 85 / DEX: 120 / AGI: 38 / LUK: 55
ATK: 28 / DEF: 35 / RES: 65
装備: 煤けた作業用エプロン、特製指ぬきグローブ、指定学生服、初心者の小型錬金釜
スキル: 固有スキル『錬金術(論理構築/オーバーライド)』、特殊技能『アイテムの目利き』
■セシル
Lv: 19
HP: 240
MP: 1500
STR: 15 / VIT: 22 / INT: 115 / DEX: 45 / AGI: 32 / LUK: 9
ATK: 20 / DEF: 32 / RES: 145
装備: 古銀のロザリオ、夜色の修道服(ダンジョン産繊維製)、隠者のヴェール
スキル: 『浄化の光』、『鎮魂の調べ』、『甘露の直感』、パッシブ『生者への慈愛』




