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第二十五話:Sprint

 事務所の窓から朝の光が入る時間、まだ誰も来ていない静けさの中で、修は伝票の束をめくっていた。


 開所から一週間。家具はまだ半分しか揃っていない。応接用のソファは中古のものを一脚だけ置いてあり、観葉植物は雪音が「事務所には緑が必要です」と言って買ってきたものだった。修としては非効率な支出だと思ったが、反論する理由を見つけられないまま許可していた。


 ドアのベルが鳴ったのは、最初にミカゲが出勤してきて十分も経たない頃だった。


「すみません、ここがギルド『ライジング』さんの事務所で間違いないですか」


 立っていたのは、四十代ほどの男だった。作業着の袖に薄汚れた金属粉がこびりついている。名刺には『戸田金属精製』とあった。


「間違いない」修は短く答えた。「依頼か」


「はい……いえ、その、ギルド本部に出すような正式な依頼っていうより、相談みたいなもので」


 男は言葉を選びながら、椅子に腰を下ろした。ダンジョン産の素材を加工して武具屋に卸している中小の精製業者だという。修は男の作業着を一瞬だけ見た。袖口の摩耗の仕方、靴底の減り具合。長く現場に立ち続けている人間特有の癖が見える。


「仕入れ先のD級ダンジョン『骸骨兵の砦』周辺で、最近納品が遅れてるんです。護衛をつけていた大手ギルドが、契約を打ち切ってきて」


「理由は」


「向こうは『他の依頼が立て込んでいる』としか言わなくて。でも、こっちみたいな小さい業者を優先順位の下に置くのは、まあ、よくある話なので」


「他のギルドに頼んだのか」


「頼みました。でも、足元見られて値段だけ吊り上げられて。中身は何も保証してくれないのに」


 男はそこで一度言葉を止め、視線を落とした。


「それで、噂を聞いて来ました。無断で名前を使われた時、感情で動かずに事実だけで訂正させたって話。あと、装備の型番がどうとかって件も」


 修は内心でその言葉を処理した。掲示板に張り紙をするのでも、ギルド本部の紹介を待つのでもない。自分たちの仕事の仕方そのものを見て、向こうから足を運んできた最初の客だった。それは復讐の延長で築いてきたはずの実績が、別の文脈で誰かの判断材料になっているということだった。


「金がない、値切りたい、という相談なら帰れ」


「いえ!」男は慌てて手を振った。「相場は払います。ただ、ちゃんと中身を見て契約してくれるところを探していて」


「……ん」


 奥の作業台でミカゲが小さく声を漏らした。古文書の整理をしていた手を止め、フードの奥の瞳だけをこちらに向けている。興味を示しているときの仕草だった。


 ちょうどそこにカイが「おはようッス!」と勢いよく事務所に飛び込んできて、来客に気づいて急にバツの悪い顔で口をつぐんだ。続いて雪音、タクミ、セシルも次々に到着する。誰も特に号令をかけられたわけではないが、それぞれが手にしていた荷物を置きながら、自然と話の輪に入ってくる空気があった。


「カイ」


「ッス」


「経路上で何か変わったことはないか調べろ。罠感知じゃなくていい、足で見てこい」


「了解ッス。地図、写真撮ってもいいッスか」


「好きにしろ」


 タクミが男の使っている採掘道具を見せてもらい、刃のすり減り方を確認していた。


「あの……これ、刃の摩耗が左右で違うんです。地面の硬さが急に変わったか、あるいは——」


「振動だ」修が言葉を引き継いだ。「地脈の流れが変わった可能性がある。装備の摩耗パターンは事実だ。憶測じゃない」


「は、はい。そういう見方、初めてしました」タクミは道具を両手で持ち直し、刃先に視線を落としたまま小さく頷いた。「持って帰って、もう少し細かく見てみます」


「頼む」


 ミカゲがいつの間にか経路図の隅、護衛契約打ち切りの日付の横に小さく印をつけていた。


「……同じ日」


「何が」


「……砦の、奥。古い壁画が、崩れた日」


 修は目を細めた。崩落と契約打ち切りが同日。偶然で処理するには近すぎる相関だった。


「ミカゲ、その壁画の記録、ギルド本部のデータベースに残ってるか」


「……調べる」


 ミカゲはそのまま端末を取り出し、画面に視線を落とした。古文書解読の癖か、目を動かさずに同じ箇所を何度も読み返している。


「……古い、文字。壁画に、刻まれてた。意味は……まだ」


「読めるか」


「……時間、欲しい」


「いくらでも使え。焦って誤読する方が高くつく」


 雪音が湯を持って戻ってきた。男の前にカップを置く。


「不安にならなくて大丈夫ですよ」雪音は柔らかく言った。「私たちは、見えないものを見えるところまで持っていくのが得意ですから」


 男は少し驚いた顔をした後、頭を下げた。


「ありがとうございます。正直、もうどこにも頼れないと思っていたので」


「その判断が正しかったとは、まだ言えません」雪音は微笑みながら、それでもどこか芯のある声で続けた。「でも、間違っていなかったとは言えるように、私たちが動きます」


 セシルが小さく息を吐き、ロザリオに指先を添えた。


「依頼が、依頼を呼ぶ。良いことなのか、悪いことなのか」


「効率の話をすれば良いことだ」修は答えた。それから、自分の言葉に少しだけ違和感を覚えた。今の自分が本当に言いたかったのは、もっと別のことだったような気がした。


 口にはしなかった。


 男が帰ったあと、事務所には六人だけが残った。修は地図を壁に貼り直しながら、骸骨兵の砦の構造を頭の中で展開する。一度クリア済みのD級ダンジョンだ。だが「壁画の崩落」という変数は、誰も検証していない未知数のままだった。


 カイの現地調査は、その日の午後に結果を持って戻ってきた。


「砦の入口から三十分くらいの採掘ポイント、地面に小さい亀裂が走ってたッス。前にクリアした時はなかったやつッス」カイは撮影した画像を端末に表示しながら早口で言った。「あと、護衛やってた大手ギルドの連中、現場の近くに来てなかったッスよ。打ち切ったってより、近づくのを避けてる感じがしたッス」


「避ける、か」


「なんか、あの辺だけ空気が違う気がしたッス。説明できないんスけど」


 修はカイの言葉を切り捨てなかった。数字にならない感覚も、データの一部として処理する価値がある。前世の自分なら聞き流していたかもしれない報告だった。


「いい報告だ。お前の感覚も含めて記録しておく」


「マジッスか! ……えへへ」


 修は地図の崩落地点に、もう一本印を加えた。それから、自分の手元のメモに目を落とす。依頼料は前金なし、報酬は調査結果次第。経済的には不合理な条件だ。だが、不合理だと分かった上でその条件を出した自分がいる。


 ——選ばれた分だけ、応えなければならない。


 それは復讐の計算式にはなかった項だ。前世で誰かに頼られることは、いつか裏切られる予兆でしかなかった。だが今、胸の奥にあるのは警戒ではなく、もっと単純な重さだった。誰かが自分たちの仕事を見て、足を運んできた。その事実に対して、自分はまだ正しい返し方を知らない。


 知らないまま、修は地図を見つめ続けた。


 ミカゲが端末の画面から顔を上げ、フードの奥でわずかに眉を動かした。


「……シュウ」


「何かわかったか」


「……まだ。でも……あの壁画、たぶん……『封』の字に近い、古語」


「封印、か」


「……かもしれない」


 事務所の中の空気が、わずかに張り詰めた。誰も声を上げなかったが、それぞれが次の動きを頭の中で組み立て始めているのが分かった。タクミは借りた道具をテーブルに置き直し、カイは地図の写真をもう一度確認し、セシルはロザリオを握ったまま窓の外に視線を向けている。


 修は壁の地図に最後の印をつけ、それ以上は何も言わなかった。出発は、調査がもう少し進んでからになる。


【現在のステータス】


 ■柏木 修

 Lv: 19

 HP: 850

 MP: 240

 STR: 75 / VIT: 70 / INT: 245 / DEX: 195 / AGI: 95 / LUK: 7

 ATK: 92 / DEF: 78 / RES: 230

 装備: 浄化の片手剣、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン

 スキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブ『不遇の記憶』、パッシブ『並列演算』


 ■白石 雪音

 Lv: 24

 HP: 2250

 MP: 600

 STR: 5 / VIT: 350 / INT: 80 / DEX: 60 / AGI: 52 / LUK: 105

 ATK: 0 / DEF: 420 / RES: 285

 装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾

 スキル: 【聖域守護】、【反射装甲リアクティブアーマー】、パッシブ『不屈の精神』


 ■カイ

 Lv: 21

 HP: 780

 MP: 195

 STR: 155 / VIT: 122 / INT: 98 / DEX: 380 / AGI: 450 / LUK: 185

 ATK: 250 / DEF: 115 / RES: 95

 装備: タクティカル・サバイバルナイフ、浄化の片手剣サブ、強化軽量レザーベスト、特注防塵ゴーグル、高機動型ダンジョンシューズ

 スキル: 『罠感知(ランクA)』、『パルクール・アクション』、『お調子者の空元気』


 ■ミカゲ

 Lv: 22

 HP: 580

 MP: 1600

 STR: 25 / VIT: 44 / INT: 375 / DEX: 110 / AGI: 135 / LUK: 68

 ATK: 210 / DEF: 64 / RES: 420

 装備: 深淵の魔導杖・改式ヴォイド・レゾナンス、魔導銀の装飾ローブ、深淵を覗く者のフード、身代わりの守り

 スキル: 固有スキル『極大消滅アビス・イレイザー』、古代語魔法、古文書解読、沈黙の集中


 ■タクミ

 Lv: 12

 HP: 210

 MP: 280

 STR: 18 / VIT: 24 / INT: 85 / DEX: 120 / AGI: 38 / LUK: 55

 ATK: 28 / DEF: 35 / RES: 65

 装備: 煤けた作業用エプロン、特製指ぬきグローブ、指定学生服ズボン、初心者の小型錬金釜

 スキル: 固有スキル『錬金術(論理構築/オーバーライド)』、特殊技能『アイテムの目利き』


 ■セシル

 Lv: 19

 HP: 240

 MP: 1500

 STR: 15 / VIT: 22 / INT: 115 / DEX: 45 / AGI: 32 / LUK: 9

 ATK: 20 / DEF: 32 / RES: 145

 装備: 古銀のロザリオ、夜色の修道服(ダンジョン産繊維製)、隠者のヴェール

 スキル: 『浄化の光』、『鎮魂の調べ』、『甘露の直感』、パッシブ『生者への慈愛』


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