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第二十四話:Root Cause

カイト視点です。

 アーク・セイバー本部ビルの最上階、桐生カイトの執務室には、午後の光が斜めに差し込んでいた。


 デスクの上には、まだインクの匂いが残る訂正発表の控えが置かれている。装備性能の数値を正しい値に書き換え、無断で掲載していたリストへの言及を削除する――それだけの、たった二段落の文書だった。


 だが、その二段落を書くまでに、桐生は三日かけた。


「カイトさん」


 ノックもなしに入ってきたのは、広報担当の早瀬だった。手には今朝の業界紙のコピーを持っている。


「業界紙には載ってませんね。向こうも騒ぎ立てるつもりはないみたいです」

「当然だ」


 桐生は答えながら、椅子の背に体を預けた。


「俺たちが折れたんじゃない。事実を確認した結果、訂正が必要だと判断した。それだけのことだ」


 早瀬は何も言わず、ただ小さく頭を下げて部屋を出ていった。その態度に、桐生は苛立ちを覚えた。何も言わなかったことが、何かを言っているように感じられたからだ。


 桐生は、自分の判断が間違っていたとは思っていない。装備の型番について、現場の報告と公式発表に齟齬があったのは事実だ。それを指摘されたから、訂正した。論理的には、それで完結している。


 問題は、指摘してきた相手だった。


「ライジング、か」


 まだ設立から一ヶ月と少しの新興ギルドだ。メンバーは六人。だが桐生にとって、彼らは「新興」という言葉では片付けられない存在だった。


 あの夜のことは、忘れようとしても忘れられない。


 『嘆きの廃都』の最深部。突然変異の怪物に部隊の半数を削られ、なお退くことを許さなかった自分の指揮の前で、五つの影が回廊の上から降りてきた。怪物の核を一撃で消し飛ばし、数十人の精鋭が束になっても敵わなかった敵を、数秒で、しかも無傷で蹂躙してみせた連中。獲物だったはずのコア・クリスタルを奪われ、抜剣しようとした腰元には、銀髪の少女が円盾を叩きつけてきた。


 退け、と言われて、桐生は退くしかなかった。


 あの夜、桐生はあの男の名すら知らなかった。後になって、登録センターの記録から柏木修という名前を引いた。だが、肝心のスキル名はどこにも記されていない。十八歳という年齢と、育成機関に入学してまだ間もない在学生であることと、参加済みダンジョンのクリア履歴程度しか公開情報には載っていなかった。入学直後の新人がスキル名を公表していないこと自体は、珍しいことではない。


 だが、桐生の苛立ちはそこにあった。育成機関に入って間もない新人風情が、あれほどの力を見せつけながら、その正体に関する判断材料が、未だに何もない。


 偵察部隊にあの場の戦闘ログを改めて分析させたが、報告書には「未知の支援系スキルが介在している可能性が高い」とだけ記されていた。怪物の核を破壊した一撃は、彼らが連れていた黒髪の魔法使いの杖から放たれたものだと分かっている。だが、その威力の精度、コアの位置を瞬時に見抜いた判断力――あれを支えていたのは、後方で指示を出していた柏木修だったはずだ。


 その程度の人物に、自分が三日かけて返答を考えさせられた。


 桐生は執務室の窓から、街を見下ろした。アーク・セイバーは設立から五年、Sランク冒険者を二人抱え、地域最大手のギルドにまで成長した。その看板に、最初に小さな傷をつけたのが、この新興の六人組だった。


 最初は無視するつもりだった。事実誤認の発表で取り込もうとしたのは、戦略的な判断のつもりだった――相手の規模を考えれば、向こうから声明を出してくる前に取り込んでしまえば、面倒は起きない。そう踏んでいた。


 その読みが外れた。声明文は、想定よりも整っていた。法律事務所名義の警告文を送ったときも、向こうは沈黙せず、文書の不備を的確に突いてきた。そして今度は、装備の型番という、誰も気づかないはずの細部を突かれた。


 偶然が三回続くことは、桐生の経験上、ありえない。


 ドアが再び開いた。今度はノックがあった。入ってきたのは、副リーダーの長谷川だった。Aランク冒険者で、桐生が現役だった頃からのパートナーだ。


「訂正発表の件、現場から声が上がってる」


 長谷川は、デスクの前に立ったまま言った。


「型番の不一致は、誰のミスだったんだ」

「装備管理部の報告漏れだ。それ以上の意味はない」

「だったら、なんで三日もかけたんだ」


 桐生は答えなかった。長谷川は、それ以上は追及せず、ただ桐生の顔を見つめていた。長年連れ添ったパートナーの視線には、疑念というより、観察のようなものが混じっていた。


「カイト。お前、あの新興ギルドのことを必要以上に気にしてないか」

「気にしてるわけじゃない」


 即答だった。だが、その早さが、むしろ何かを証明しているように、桐生自身にも聞こえた。


「事実確認の要請に、事実で応えた。それだけだ。次に何か言われる前に、こっちから手を引いた方が効率がいいと判断した」


 効率、という言葉を使った瞬間、桐生は妙な違和感を覚えた。普段の自分なら使わない言葉選びだった気がしたが、それ以上深く考えるのはやめた。


「分かった」


 長谷川はそう言って踵を返したが、ドアの前で一度だけ足を止めた。


「廃都の一件以来、お前は変わった。あの夜のことを、部隊の誰も口にはしないが、忘れたわけじゃない」


 桐生は答えなかった。長谷川はそれ以上は何も言わず、部屋を出ていった。


 一人になった執務室で、桐生は再び訂正発表の控えに目を落とした。


 俺の判断が絶対だ――それが桐生の口癖であり、信条だった。Sランク級のスキル『聖剣の煌めき』に覚醒した日から、自分の判断が間違っていたことは一度もない。仲間が死んだことも、ギルドの方針を変えたことも、すべて結果が正しさを証明してきた。


 今回も、結果としては訂正発表が正解だったはずだ。だが、桐生の中には、これまでにない感触が残っていた。


 あの夜、力では敵わないと分かった。だから今度は、文書という土俵で取り返すつもりだった。それなのに、また同じように後手を踏まされた。


 桐生は、デスクの端末を操作し、冒険者登録センターのデータベースに再びアクセスした。ライジングの公開情報――メンバー六人の登録ランク、活動履歴、取得済みダンジョンクリア記録。表に出ている範囲では、特筆すべき強さは見当たらない。むしろ、設立間もないギルドとしては平凡な数値だった。


 数字の上では、あの夜の化け物を瞬殺した連中だとは思えない。


 偵察班に上げさせた追加報告にも、目新しいものはなかった。「未知の支援系スキルが介在している可能性が高い」――あの夜と同じ一文が、繰り返されているだけだった。柏木修のスキル名は、どこにも記録がない。


 なのに、なぜ三度も、自分の判断より一歩先を読まれたのか。あの夜、力で叩き伏せられ、今度は言葉で。


 桐生は、柏木修という名前を画面に表示させたまま、しばらくその文字列を見つめていた。スキル名の欄は、空白のままだった。


「……次に何かあったら」


 桐生は誰に向けるでもなく、声に出した。


「同じ手は、通らない」


 画面を閉じる前に、桐生はもう一つの操作を行った。情報収集部門への内部メモ――ライジングの主要メンバー、特にリーダーの柏木修について、保有スキルの実態を含めたより詳細な調査を行うようにという指示だった。表向きの理由は「将来的な競合リスクの把握」。だが、桐生自身も、その理由が建前に過ぎないことは分かっていた。


 あの夜、目の前で部下を晒し者にされ、獲物を奪われ、抜いた剣すら使わせてもらえなかった。あの男が何のスキルでこちらを出し抜き続けているのか、それが分からないままでいることが、桐生には何よりも気に入らなかった。


 ただの新興ギルドに、これ以上時間を使う必要はない。そう自分に言い聞かせながら、桐生の指は、送信ボタンを押す前に一瞬だけ止まった。


 その一瞬の躊躇いに、桐生自身が一番驚いていた。


 ―――


 その頃、ライジングの事務所では、開所からまだ間もない部屋に午後の静けさが満ちていた。


 修は、デスクに置かれたノートパソコンの画面で、アーク・セイバーの公式サイトを開いていた。訂正発表のページは、すでに何度も確認した内容だ。間違いはない。提携検討中のリストからの言及も、きちんと削除されている。


「終わったッスね、これで」


 カイが、隣の椅子に足を投げ出しながら言った。


「終わった、というのは正確じゃない」


 修は画面を見たまま答える。


「一区切りがついた、が正しい。向こうがこの程度で大人しくなるとは思っていない」


「えー、まだ続くんスか」

「相手の性質を考えれば、当然だ。一度負けを認めた人間は、次は同じ手段では負けないように調整してくる。それは仕様だ」


 カイは肩をすくめたが、それ以上は何も言わなかった。


 奥のテーブルでは、ミカゲが古い魔導書を黒石の杖の横に置いて、無言で頁をめくっている。セシルは事務所の隅に飾られた紋章――先日セシルがデザインしたものだ――の傾きを直しながら、何やら小さく呟いていた。タクミは装備の手入れの手を止め、画面の向こうの様子を気にするように修を見ていた。


 雪音だけが、給湯室から戻ってきて、皆の前にカップを並べていく。


「皆さん、お疲れさまでした」


 その声に、事務所の空気が少しだけ緩んだ。


 修は、画面を閉じた。アーク・セイバーがこの先どう動くかは、現時点では予測の域を出ない。だが、相手が一度修正を強いられたという事実は、確実にデータとして残った。次の妨害がどんな形を取るにせよ、その対応に必要な情報は、すでに十分に揃っている。


「次の依頼を探すぞ」


 修がそう言うと、カイが「了解ッス」と声を上げ、タクミも手入れの道具を片付け始めた。


 窓の外では、夕方の光が街を染め始めていた。


【現在のステータス】


 ■柏木 修

 Lv: 19

 HP: 850

 MP: 240

 STR: 75 / VIT: 70 / INT: 245 / DEX: 195 / AGI: 95 / LUK: 7

 ATK: 92 / DEF: 78 / RES: 230

 装備: 浄化の片手剣、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン

 スキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブ『不遇の記憶』、パッシブ『並列演算』


 ■白石 雪音

 Lv: 24

 HP: 2250

 MP: 600

 STR: 5 / VIT: 350 / INT: 80 / DEX: 60 / AGI: 52 / LUK: 105

 ATK: 0 / DEF: 420 / RES: 285

 装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾

 スキル: 【聖域守護】、【反射装甲リアクティブアーマー】、パッシブ『不屈の精神』


 ■カイ

 Lv: 21

 HP: 780

 MP: 195

 STR: 155 / VIT: 122 / INT: 98 / DEX: 380 / AGI: 450 / LUK: 185

 ATK: 250 / DEF: 115 / RES: 95

 装備: タクティカル・サバイバルナイフ、浄化の片手剣サブ、強化軽量レザーベスト、特注防塵ゴーグル、高機動型ダンジョンシューズ

 スキル: 『罠感知(ランクA)』、『パルクール・アクション』、『お調子者の空元気』


 ■ミカゲ

 Lv: 22

 HP: 580

 MP: 1600

 STR: 25 / VIT: 44 / INT: 375 / DEX: 110 / AGI: 135 / LUK: 68

 ATK: 210 / DEF: 64 / RES: 420

 装備: 深淵の魔導杖・改式ヴォイド・レゾナンス、魔導銀の装飾ローブ、深淵を覗く者のフード、身代わりの守り

 スキル: 固有スキル『極大消滅アビス・イレイザー』、古代語魔法、古文書解読、沈黙の集中


 ■タクミ

 Lv: 12

 HP: 210

 MP: 280

 STR: 18 / VIT: 24 / INT: 85 / DEX: 120 / AGI: 38 / LUK: 55

 ATK: 28 / DEF: 35 / RES: 65

 装備: 煤けた作業用エプロン、特製指ぬきグローブ、指定学生服ズボン、初心者の小型錬金釜

 スキル: 固有スキル『錬金術(論理構築/オーバーライド)』、特殊技能『アイテムの目利き』


 ■セシル

 Lv: 19

 HP: 240

 MP: 1500

 STR: 15 / VIT: 22 / INT: 115 / DEX: 45 / AGI: 32 / LUK: 9

 ATK: 20 / DEF: 32 / RES: 145

 装備: 古銀のロザリオ、夜色の修道服(ダンジョン産繊維製)、隠者のヴェール

 スキル: 『浄化の光』、『鎮魂の調べ』、『甘露の直感』、パッシブ『生者への慈愛』

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