第二十二話:Status Code
あの抗議文――アーク・セイバーの事実誤認の発表に対して六人で作成し送付した声明文への反応が、何も起こらなかった。その「何も起こらない」という事実こそが、柏木修にとっては最も気に食わない結果だった。
マンションのリビングでノートパソコンを開き、修は冷えたコーヒーに口をつけずに画面を眺めていた。アーク・セイバーの公式サイトには、いまだ「提携検討中」のリストが残ったままだった。訂正も、削除も、返信もない。
「――無視か」
非効率的だ、と思う。事実誤認を指摘されたなら、訂正するか、反論するか。それが筋というものだ。だが桐生カイトは、おそらくそのどちらも選ばない。沈黙という第三の選択肢を取れる人間だということを、修は前世で痛いほど知っていた。
既読をつけたまま黙る。返事をしない。相手が焦れて動いた瞬間に、初めて口を開く。それが、桐生カイトという男の戦い方だった。
「修さん、おはようございます」
雪音がキッチンから顔を出した。トーストを片手に持ち、もう片方の手で前髪を耳にかけている。今日は休養日で、六人は午後からギルド本部での簡易研修――E級登録ギルドに義務付けられた説明会に出席する予定だった。
「アーク・セイバーから、まだ何も?」
「ああ」
「……それは、いいことなんでしょうか」
「悪いことだ」
修は端的に答えた。雪音の表情が少し曇る。
「バグの中には、エラーログを吐かずに進行するものがある。一番厄介な種類だ。何が起きているか、外からは分からない」
「桐生さんが、何か仕掛けてくるということですか」
「仕掛けてくる」
修は断定した。問題は、どこに、どう来るかだ。
インターホンが鳴ったのは、ちょうどその時だった。
画面に映ったのは、見知らぬ宅配業者の制服を着た男だった。ギルド『ライジング』宛、と書かれた小さな段ボール箱を抱えている。差出人の欄には、聞いたことのない法律事務所の名前があった。
雪音が応対に出ようとするのを、修は手で制した。
「俺が出る」
受け取った箱は軽い。中身は紙の束だ。封を切ると、一枚目に印字された文字が目に入った。
『貴ギルドの一部メンバーによる、当社所属冒険者への業務妨害行為に関する警告及び損害賠償請求の予告について』
修は数秒、その紙面を眺めた。
「……は」
声に出たのは、感情というより反射だった。読み進める。内容は、E級ダンジョン『渇きの蟻塚』での一件――アーク・セイバーの部隊が半壊した、あの作戦に関する話だった。匿名の情報提供者(=Null)の警告を信じて行動した結果、所属冒険者が負傷したというのが彼らの言い分らしい。文書は、その情報提供者が『ライジング』関係者である可能性を「調査中」としながら、暗に修たちを名指ししていた。
証拠は、何もない。あって当然だ。Nullの活動は完全に匿名で、痕跡を残していない。
「これは……」
ソファに移動した修の手元を、雪音が覗き込む。
「脅しだ」
修は紙をテーブルに置いた。
「証拠がないから訴訟にはならない。だが、こういう文書を送ること自体が目的だ。受け取った側を疲弊させる。弁護士への相談、対応の検討、心理的な負荷――全部、向こうのリソース消費は最小限で、こちらのリソースを大量に削る」
「DoS攻撃、ってやつですか」
ソファの後ろから声がした。寝間着のまま起きてきたカイが、欠伸を噛み殺しながら覗き込んでいる。
「サービス拒否攻撃。正確には少し違うが、近い」
修は答えた。直接攻撃ではなく、対応コストそのものを武器にする。物量で押し切るタイプの嫌がらせだ。前世の修なら――純粋なサポート系冒険者だった頃なら、こうした文書を受け取った瞬間に手が震えていたかもしれない。今は違う。これは単に、リソース消費の最適化問題だ。
「弁護士を雇う金は、ある」
「あるんですか」
「ギルドの活動資金からは出さない。俺の個人資産から出す」
タクミの錬金品売却、初期の鑑定オーブ転売、その他の蓄財。前世の知識と今世のスキルを組み合わせて積み上げた額は、十八歳の少年が持つには不釣り合いなほどあった。
「だが、今回は弁護士を雇うこと自体が、向こうの狙いに半分乗ることになる」
「どういうことっス?」
「相手は、こちらが慌てて専門家を雇い、時間と金を使うところまでを想定している。一番効率的な対応は、向こうが想定していない速度で、想定していない形の返答をすることだ」
修はノートパソコンを引き寄せ、キーボードに手を置いた。
「返答する、ってどうやって……」
雪音が言いかけたところで、修の指が止まった。
画面の向こうに、見慣れたウィンドウが浮かんでいる。本人にしか見えない、青白い半透明の表示。世界そのものに干渉する権能の入り口だ。だが今、修が見ているのは魔法でもスキルでもなく、ごく普通の検索エンジンの画面だった。
「ミカゲ」
修はスマートフォンを取り、短く文面を打った。すぐに既読がつく。返信は数秒で来た。
『……行く』
古代語解読の専門家としての出番、ということは、ミカゲ自身も察しているらしい。
***
六人が再びマンションに集まったのは、それから二時間後だった。セシルは墓参りではなく普通に呼び出しに応じ、いつものように影の薄い足取りで現れた。タクミは工具箱を持ったまま、ミカゲは大きな杖を持たずに来た――今日は戦闘ではない、と分かっているからだ。
修はテーブルに、送られてきた文書のコピーを並べた。
「読んでくれ」
ミカゲが先に手を伸ばす。古文書を扱うような速さで、しかし今回は古代語ではなく、ただの法律用語が並んだ日本語の文章を、彼女は一語一語確かめるように読んでいった。
「……これ」
しばらくして、ミカゲがぽつりと言った。
「ん?」
「『調査中』……主語、ない」
「主語がない?」
「『可能性がある』『調査中』……誰が、何を、調査してるか……書いてない」
修は紙面に視線を落とす。確かに、文書全体を通して、誰がどの根拠で調査を進めているのかという記述が一切ない。法律事務所の名前はあるが、依頼者であるアーク・セイバー側が実際に調査機関を動かしているという証拠の提示もない。
「つまり、これは法的な実態のある警告じゃなく――」
「圧力、だけ」
ミカゲが続けた言葉に、修は小さく頷いた。
「実体のない警告文。送ること自体に意味がある。脆弱性スキャンに似ている。何も中身がなくても、ポートを叩けば相手は反応する」
「あの……それって、私たちが反応しなければ、向こうの攻撃は無効ってことですか?」
雪音が尋ねる。
「いや」
修は首を振った。
「無反応も向こうにとっては材料になる。『警告を無視した』という事実を、後から別の形で使われる可能性がある。だから、無視も放置も最適解じゃない」
「じゃあ、どうするんスか」
「事実だけを淡々と書いた返信を出す。感情論ではなく、向こうの文書の論理的な穴を、向こうの言葉で指摘する」
タクミが、それまで黙って工具箱を抱えていた手を、そっとテーブルの上に置いた。
「あの……僕、何か手伝えることありますか」
「ある」
修はタクミに視線を向けた。
「お前が作った『ヴォイド・レゾナンス』や他の装備の鑑定記録、製造記録は残っているか」
「は、はい。全部、製造ログを取ってます」
「アーク・セイバーの装備品にも、お前の工房を通った物がある」
タクミが目を見開く。
「……あります。何点か、修理依頼で……」
「向こうが今回のことでうちを業務妨害だと主張するなら、こちらにも、向こうの装備の不具合や不適切な扱いの記録という材料が、ある程度ある。攻撃材料として使うわけじゃない。あくまで『対等な立場である』という事実の提示だ」
「保留、にしてあった物的証拠……ですか」
タクミがぽつりと言う。声明文作成の際に挙げた、装備型番の不一致という保留事項を思い出しているらしい。
「使うかどうかは分からない。だが手札として持っておく価値はある」
セシルが、誰よりも先にペンを取った。
「……契約も、警告も。言葉という呪文の一種」
「セシル?」
「正しい言葉を、正しい順序で並べれば。呪いも、祝福になる」
ポエティックな呟きに、雪音が小さく微笑む。ボキャブラリーは相変わらず難解だが、言いたいことは伝わった。
六人それぞれが、自分の役割を確認していく。ミカゲは文書の論理的な穴を一文ずつ洗い出す。タクミは記録の整理。セシルは文面の最終チェックを――今度は「祈り」ではなく、純粋な誤字脱字と語調の確認という、地味だが確実な役割を担う。カイは内容のレイアウトより先に、外部に漏れないよう情報統制の役を買って出た。
「俺、外回りで誰かに聞かれたりしたらヤバいんで、今日は誰にも喋らないっス」
「それで十分だ」
雪音は、何も書かない代わりに、修の横に座って画面を見つめていた。
「修さん。今回は、雪音は何を……」
「お前は今、何もしなくていい」
修は素っ気なく言った。雪音が一瞬、傷ついたような顔をする。
「いや」
修は言葉を継いだ。
「正確には。お前がここにいることが役割だ」
「……?」
「これは法律文書への対応だ。攻撃力も、回復力も要らない。だが、誰かが弱気になった時に、隣にいる人間がいるかどうかは、文書の質に関係なくチームの判断速度に影響する」
雪音が目を瞬かせる。
「それは……それも、効率化の話、ですか」
「そうだ」
修は即答した。だが、その答えにわずかな間があったことに、誰も――いや、雪音だけが気づいた。
***
返信文書の作成は、三時間ほどで終わった。
内容は淡々としていた。送付された警告文に法的根拠の明示がないことを丁寧に指摘し、もし正式な調査が進行しているのであれば、その機関名と調査番号の提示を求める。事実認定がなされていない段階での一方的な業務妨害の主張は、むしろ受け取った側に対する不当な圧力と解釈される可能性がある、と最後に一文加えた。
感情的な言葉は、一つもない。
「これでいいのか?」
修が画面を見せると、ミカゲが一度だけ頷いた。
「穴、塞いだ」
「タクミ」
「は、はい」
「証拠資料は、今回は添付しない。手元に置いておくだけでいい」
「……分かりました」
「見せない手札の方が、効く時がある」
修はそう言って、送信ボタンに指を置いた。
クリックする。画面に「送信完了」の表示が出る。それだけのことだったが、修の中で、何かのプロセスが一つ正常終了したような感覚があった。
「終わった、んスか?」
「向こうの反応待ちだ。だが今回は、向こうが何もしてこなかった場合の準備もしてある」
「準備、ですか」
修は頷いた。
「相手が沈黙を選ぶ前提で動いている。だから今回は、こちらの沈黙も向こうへの牽制として機能する」
黒い画面に映る自分の顔を、修は一瞬見た。
復讐のためだけに動いていた頃なら、この程度の脅しに、もっと攻撃的な対応を取っていたかもしれない。サーバーに侵入する。情報を全公開する。前世で得た技術を使えば、できないことではない。
だが、今その選択をすれば、巻き込まれるのは目の前にいる五人だ。
修は紙の束をまとめ、引き出しに仕舞った。
「今日は、もういい」
「お疲れ様でした、修さん」
雪音の声に、修は短く頷いた。
窓の外はもう夕方に近い。台所からは、タクミが見つけてきたらしい菓子の匂いがする。セシルが、誰かに気づかれないように、小さな包みを一つ自分の鞄に隠していた。
復讐のための盾だったはずのギルドが、いつの間にか、こうして全員で守る対象になっている。修はその変化を、今回はもう「効率化のためだ」とは説明しなかった。
ただ、引き出しを閉める音だけが、静かに部屋に響いた。
【現在のステータス】
■柏木 修
Lv: 19
HP: 850
MP: 240
STR: 75 / VIT: 70 / INT: 245 / DEX: 195 / AGI: 95 / LUK: 7
ATK: 92 / DEF: 78 / RES: 230
装備: 浄化の片手剣、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン
スキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブ『不遇の記憶』、パッシブ『並列演算』
■白石 雪音
Lv: 24
HP: 2250
MP: 600
STR: 5 / VIT: 350 / INT: 80 / DEX: 60 / AGI: 52 / LUK: 105
ATK: 0 / DEF: 420 / RES: 285
装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾
スキル: 【聖域守護】、【反射装甲】、パッシブ『不屈の精神』
■カイ
Lv: 21
HP: 780
MP: 195
STR: 155 / VIT: 122 / INT: 98 / DEX: 380 / AGI: 450 / LUK: 185
ATK: 250 / DEF: 115 / RES: 95
装備: タクティカル・サバイバルナイフ、浄化の片手剣、強化軽量レザーベスト、特注防塵ゴーグル、高機動型ダンジョンシューズ
スキル: 『罠感知(ランクA)』、『パルクール・アクション』、『お調子者の空元気』
■ミカゲ
Lv: 22
HP: 580
MP: 1600
STR: 25 / VIT: 44 / INT: 375 / DEX: 110 / AGI: 135 / LUK: 68
ATK: 210 / DEF: 64 / RES: 420
装備: 深淵の魔導杖・改式、魔導銀の装飾ローブ、深淵を覗く者のフード、身代わりの守り
スキル: 固有スキル『極大消滅』、古代語魔法、古文書解読、沈黙の集中
■タクミ
Lv: 12
HP: 210
MP: 280
STR: 18 / VIT: 24 / INT: 85 / DEX: 120 / AGI: 38 / LUK: 55
ATK: 28 / DEF: 35 / RES: 65
装備: 煤けた作業用エプロン、特製指ぬきグローブ、指定学生服、初心者の小型錬金釜
スキル: 固有スキル『錬金術(論理構築/オーバーライド)』、特殊技能『アイテムの目利き』
■セシル
Lv: 19
HP: 240
MP: 1500
STR: 15 / VIT: 22 / INT: 115 / DEX: 45 / AGI: 32 / LUK: 9
ATK: 20 / DEF: 32 / RES: 145
装備: 古銀のロザリオ、夜色の修道服(ダンジョン産繊維製)、隠者のヴェール
スキル: 『浄化の光』、『鎮魂の調べ』、『甘露の直感』、パッシブ『生者への慈愛』
事務的な話ばかりですみません。
ギルド創設部分に関してはまとめていたので一気に行きたいと思います。




