第十九話:Pending
ギルド設立申請書類を提出してから、三日が経っていた。
冒険者ギルド管理局の審査には、通常一週間から十日かかるという。受付の職員はそう言って、何の感情もなく印鑑を押した。修にとってその数字は、ただのリードタイムでしかなかった。
非効率だ、と思う。本来であれば即時承認されるべき申請が、人間の手続きという名のボトルネックに引っかかって滞留している。だが――この「待機」というステータス自体に、修はまだ慣れていなかった。
前世では、こんな時間はなかった。常に誰かに追われ、誰かを追い、効率を削り出すことだけに必死だった。何もすることがない数日間。それは、修の人生に存在しなかった種類のバグだった。
いや、バグではない。これは――仕様だ。
そう自分に言い聞かせながら、修は喫茶店の窓際で安物のノートパソコンを開いていた。画面には何も表示されていない。考えることをやめると、勝手に頭の中で前世の記憶が再生され始める。それを止めるために、修はいつも何かのタスクを探していた。
だが今は、本当に何もなかった。
ギルドは申請中。ダンジョン攻略は控えるよう局から指導が入っている(審査中の事故は申請の不利になるらしい)。アーク・セイバーへの妨害も、Null活動も、今は様子見の段階だ。
「……非効率だな」
誰もいない店内で、修はひとりそう呟いた。
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その日の夕方、雪音から連絡が来た。
『修さん、今晩お時間ありますか? 皆さんに、晩ご飯を作ろうと思っていて』
文面には、いつもの丁寧な言葉遣いの奥に、少しだけ浮かれた気配があった。
修のマンションのキッチンに、その日六人が集まった。正確には、雪音が「材料を買ったので来てください」と半ば強引に全員を招集した形だった。
「雪音、料理できるのか」
修が尋ねると、雪音はエプロンの紐を結びながら頷いた。
「はい! 実家にいた頃、よく祖母に教わっていました。冒険者になってからは外食ばかりでしたから……久しぶりです」
雪音が包丁を握る手は、聖域守護を展開する時とは違う種類の慎重さを持っていた。野菜を切る音が、規則的にキッチンに響く。
カイは興味本位でキッチンを覗き込み、すぐに雪音に追い払われた。
「カイさん、危ないですから離れていてください!」
「えー姉さん、手伝うッスよ!」
「カイさんは皮剥きでお願いします。火は使わせません」
「うっす……」
しょげるカイの隣で、ミカゲは終始無言で窓辺に座っていた。修のマンションのベランダには、いつの間にか小さな鳥の餌台が設置されている。誰が置いたのか聞かずとも分かった。
「……来た」
ミカゲがぽつりと言った。窓の外、灰色の小鳥が一羽、餌台に止まっている。ミカゲの硬い表情が、わずかに緩んだ。動物相手にだけ饒舌になる、というのは聞いていたが、修はその場面を初めて直接目にした。
「……名前、つけた」
「鳥に名前を?」
「……うん。シグマ」
なぜシグマなのか、修は聞かなかった。聞いても答えが「……ん」で終わる可能性が高いことは、これまでの経験から学習済みだった。
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タクミは、修のリビングの隅に小さな作業スペースを作っていた。
「タクミ、何をしてる」
「あ、修さん……。これ、その、皆さんの装備の手入れを」
タクミの手元には、雪音の軽量銀鎧、カイの防塵ゴーグル、修自身の片手剣が並んでいた。研磨布で丁寧に磨かれた剣身が、部屋の灯りを反射している。
「頼んでいない」
「はい、すみません……。でも、申請が通ったらすぐ次の依頼に出ると思うので、今のうちにできることをしておきたくて」
タクミは申し訳なさそうに肩をすくめたが、その手は止まらなかった。錬金術師としての几帳面さが、こんな形で表れるのかと修は思った。効率的かどうかで言えば、装備の手入れは戦闘前のルーティンに含めればいいだけの作業だ。だが、タクミにとってこれは「待機時間の浪費」ではなく、彼なりの準備運動なのだろう。
修は何も言わず、磨かれていく自分の剣を見ていた。
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セシルだけが、その晩遅れて現れた。
「……遅れた。墓に、寄っていた」
誰も何も聞かなかった。スタンピードで家族を失ったセシルにとって、決まった日に墓参りをすることは、もう何年も続けている習慣なのだろうということは、何となく察せられた。
セシルはいつも通り感情の薄い声で、しかしいつもより少しだけ早口で続けた。
「……雪音の、料理の匂いがする。腹が減った」
その一言に、リビングがわずかに笑いに包まれた。中二病的な物言いの中に紛れ込んだ、あまりにも普通の食欲。雪音が嬉しそうに「もうすぐできますから!」と声を張る。
修はそれを少し離れた場所から眺めていた。
効率化のためだ、と思う。仲間の状態を把握することは、パーティ運営において合理的な行動だ。だから、こうして全員の様子を観察するのも――
考えがそこで止まる。
いつものように自己弁明の文を組み立てようとしたが、続きが出てこなかった。ただ単純に、目の前の光景を見ていたかった。それだけだった。
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晩ご飯は、特別な料理ではなかった。野菜と肉を煮込んだだけのシチューと、白米。だが、誰も文句を言わなかった。カイは三杯おかわりし、タクミは「お米の炊き方が完璧です」と妙な角度から感心し、ミカゲは無言で完食し、セシルはおかわりを要求した上で「……甘い物は、ないのか」とこっそり聞いていた。
「セシルさん、デザートはちゃんと用意してますよ」
雪音がそう言うと、セシルの表情がほんの少しだけ動いた気がした。フードの奥で、それを見たのは恐らく雪音だけだった。
食卓を囲む六人を、修はテーブルの端から見ていた。
ステータスボードには表示されない数値が、ここにはある気がした。HPでもMPでもない、何か別の指標。それを言語化しようとして、修は途中でやめた。今はまだ、コードに落とし込む必要はない。
ただ、悪くない、とだけ思った。
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夜が更け、メンバーが順番にマンションを後にしていく中、最後まで残ったのはカイだった。
「兄貴、ちょっといいッスか」
「何だ」
いつもの軽い口調とは違う、わずかに固い声だった。修はノートパソコンを閉じ、カイに向き直った。
「ギルド申請、通ると思いますか」
「通る。手続き上の不備はない。職員の腐敗を告発した実績もある。審査が長引いているのは単純な業務量の問題だ」
「……そうじゃなくて」
カイは言葉を選ぶように、一度視線を逸らした。
「審査が終わったら、本格的に動き出すじゃないッスか。アーク・セイバーとの関係も、もっと激しくなる。俺、罠感知しかできないッス。戦闘力で言ったら、ミカゲ姉さんやセシル姉さんに全然敵わない」
「だから何だ」
「……足、引っ張んないかなって」
修はしばらく黙ってカイを見ていた。
罠感知ランクAは、攻略における事故率を大幅に下げる。ダンジョン内での生存率という観点で見れば、カイの存在価値はアタッカー陣に劣らない。それは事実として説明できる。
だが、修はそれを言わなかった。
「お前の罠感知がなければ、嘆きの廃都で六人のうち何人かは今ここにいない」
「……それは」
「数字の話をしている。感情論じゃない」
カイは一瞬きょとんとした顔をして、それから小さく笑った。
「兄貴、それ慰めてるッスよね」
「事実を述べているだけだ」
「はいはい、わかったッス。……ありがとうッス、兄貴」
カイが部屋を出ていく。ドアが閉まる音を聞きながら、修は窓の外、ベランダの餌台を見た。シグマと名付けられた小鳥は、もう姿を消していた。
審査はまだ続いている。だが、不思議なことに、修はその「非効率な待機時間」を、もう非効率だとは思わなくなっていた。
これも――仕様、なのかもしれない。
【現在のステータス】
■柏木 修
Lv: 19
HP: 850
MP: 240
STR: 75 / VIT: 70 / INT: 245 / DEX: 195 / AGI: 95 / LUK: 7
ATK: 92 / DEF: 78 / RES: 230
装備: 浄化の片手剣、改良された革鎧(Eランク相当)、使い古したスマートフォン
スキル: エクストラスキル『プログラマー』、パッシブ『不遇の記憶』、パッシブ『並列演算』
■白石 雪音
Lv: 24
HP: 2250
MP: 600
STR: 5 / VIT: 350 / INT: 80 / DEX: 60 / AGI: 52 / LUK: 105
ATK: 0 / DEF: 420 / RES: 285
装備: 訓練用ショートワンド、見習い聖女の軽量銀鎧、白銀の円盾
スキル: 【聖域守護】、【反射装甲】、パッシブ『不屈の精神』
■カイ
Lv: 21
HP: 780
MP: 195
STR: 155 / VIT: 122 / INT: 98 / DEX: 380 / AGI: 450 / LUK: 185
ATK: 250 / DEF: 115 / RES: 95
装備: タクティカル・サバイバルナイフ、浄化の片手剣、強化軽量レザーベスト、特注防塵ゴーグル、高機動型ダンジョンシューズ
スキル: 『罠感知(ランクA)』、『パルクール・アクション』、『お調子者の空元気』
■ミカゲ
Lv: 22
HP: 580
MP: 1600
STR: 25 / VIT: 44 / INT: 375 / DEX: 110 / AGI: 135 / LUK: 68
ATK: 210 / DEF: 64 / RES: 420
装備: 深淵の魔導杖・改式、魔導銀の装飾ローブ、深淵を覗く者のフード、身代わりの守り
スキル: 固有スキル『極大消滅』、古代語魔法、古文書解読、沈黙の集中
■タクミ
Lv: 12
HP: 210
MP: 280
STR: 18 / VIT: 24 / INT: 85 / DEX: 120 / AGI: 38 / LUK: 55
ATK: 28 / DEF: 35 / RES: 65
装備: 煤けた作業用エプロン、特製指ぬきグローブ、指定学生服、初心者の小型錬金釜
スキル: 固有スキル『錬金術(論理構築/オーバーライド)』、特殊技能『アイテムの目利き』
■セシル
Lv: 19
HP: 240
MP: 1500
STR: 15 / VIT: 22 / INT: 115 / DEX: 45 / AGI: 32 / LUK: 9
ATK: 20 / DEF: 32 / RES: 145
装備: 古銀のロザリオ、夜色の修道服(ダンジョン産繊維製)、隠者のヴェール
スキル: 『浄化の光』、『鎮魂の調べ』、『甘露の直感』、パッシブ『生者への慈愛』




