第六章 また、いつかの春に⑨
永井がいなくなってから、二ヶ月が過ぎた。梅雨が目の前に迫っていて、じとじとと蒸し暑くなる日が続いていた。
今日は、六月七日――僕と美紀が死ぬ日だ。
「やあ、こんばんみー」
亮祐は、自分の両頬に人差し指を突き刺しておどけて笑う。東京行きの夜行バスが発車するターミナル駅を背景に、僕は亮祐と向き合う。
「早いな、亮祐」
「あら、元気そうだね、誠太ちゃん。何だか、いつもの誠太ちゃんっぽいよ」
「じゃあ、行くよ」
美紀の呼びかけに、僕たちはバス停に向かって歩き出す。
「誠太ちゃん。東京、楽しもうぜ!」
亮祐が、僕の肩に手を回しながら笑った。僕は亮祐に「離れろって」と言おうと思ったが、口を閉ざした。
まあ、このままでも、いいかな。首筋に添えられた亮祐の腕から、生きている者の肌の温もりを感じる。間違いなく、亮祐の体温だ。僕の大好きな、亮祐の身体だ。
僕は、今日から後の亮祐を見ることはできない。これからバスに乗って、そして、死んで、再びタイムループしていくだろう。
ありがとう、亮祐。僕は亮祐を見て、声には出さずに笑った。亮祐は、そんな僕を見て、不思議そうに首を傾げて、でも、笑い返してくれた。
「今まで誠太ちゃんに抱きつくの、我慢してたんだからね! 今日くらい、このままでもいいでしょ?」
「ああ、いいよ」
僕は静かに微笑む。
「これからも、こうやって抱きついてもいいでしょ?」
亮祐は重ねて聞いてきた。僕の穏やかな笑顔から何かを読み取ったのか、亮祐は笑いながら不安そうな声で尋ねてくる。
「ね、いいよね?」
僕の返事がなかったのが、亮祐をさらに不安にさせたのか、亮祐の笑顔が何だか辛そうに見える。僕は亮祐に言った。
「当たり前だろ、僕たち、友達なんだから。これからだって、ずうっと、ずうっと、友達なんだから」
「なに湿っぽいこと言ってるのよ。そんな当たり前のこと、言わなくても分かってることでしょ」
前を歩いていた美紀が、僕たちを振り返りながら言った。
「あ、もしかして、今野、妬いてるの?」
亮祐がいたずらっぽい笑顔を美紀に向ける。美紀は「は、はあ?」と慌てたような声を出して「どうして誠太と亮ちゃんが仲良くしてたからって、嫉妬しないといけないのよ」と答えて、腕を組みながら前に向き直った。
「美紀」
「何よ」
「美紀は、東京に行くの、楽しみか?」
美紀は振り返らなかった。前を見つめて、ポニーテールを揺らしながら、美紀の背中から声が聞こえる。
「私は、誠太がいて、亮ちゃんがいて……はるちゃんも、いて。みんながいるところなら、どこにいたって、いい。どんな時間を過ごしても、いい。みんながいてくれたら、私はきっと生きていける。それが、例え涙で濡れていても、例えどうしようもならないことばかりでも、いつも通りの私で、いつも通りのみんなと、素敵な人生を送ることができる」
僕は、頷いた。美紀に見えなくても、見えないからこそ、何度も頷いた。それが、美紀の人生なんだ、と。美紀の気持ちに応えられないこんな僕が安易に頷いていいことではないのだけど、それが、美紀の人生なんだな、と何度も肯定するように頷いた。
「亮ちゃん」
美紀は、前を向いたまま、続けた。亮祐は僕の肩から腕を話して「なに?」と尋ね返した。
「亮ちゃんは、幸せになってね。私みたいな無粋な女の子じゃなくて、他に素敵な人を見つけて、ずうっと、ずうっと、幸せに暮らしていってね。……って、これじゃあ、まるで私が幸せじゃないみたいになっちゃうか。私も幸せだから、亮ちゃんも、幸せになって。お願い」
「今野……?」
「だって、私は、亮ちゃんのこと、好きだから。誠太が私を大切に思ってくれているみたいに、好きなんだから」
亮祐は、泣きそうな目で、僕と美紀を見つめていた。亮祐の表情の意味は、何なのだろうか。例え、間接的であっても、美紀に振られたから? それとも、これから、僕と美紀がいなくなってしまうんじゃないかって、そんな気がしたから?
僕は、いつかの永井の涙を思い浮かべた。僕がタイムループしてきた日に流した永井の涙だ。あのときと同じように、僕は、亮祐の流れない涙の意味は、分からない。
だから、こうやって、亮祐と肩を組み合う。そして、「そんな表情するなって、亮祐らしくないぞ」と亮祐の頭をはたいて、美紀に「自分だって、湿っぽい話してるんじゃん」と文句をつけて「自分のこと、女の子だって。自分で言うなよなー」と笑ってやった。
「そうだな」
亮祐の顔に、笑顔が戻る。それに反応して美紀が「その流れで『そうだな』なんて言ったら、まるで私が自分のことを『女の子』って言っちゃいけないみたいじゃない」と頬を膨らませた。
いつもの会話だ。いつもの僕たちだ。僕と亮祐は顔を見合わせて笑い合う。
バス停に着く。僕たちが到着するのに合わせるように、大型バスが、「プシュー」という排気音とともに、バス停に停まった。
「さあ、行こう! 東京に!」
亮祐が右手を高々と上げながら、バスに乗り込んでいく。
亮祐が、バスのステップの二段目に足をかけたとき、僕は小さな声で「またね」と小さく手を振った。亮祐には僕の声は聞こえなかったのだろう。そのまま階段を上り、車内を進み始める。
それでいい。ただの自己満足のための言葉だったのだから。聞こえない方が、いい。
僕と美紀も、亮祐のあとに続いてバスの中へ入っていった。
これは東京行きのバスではない。永井に会いに行くためのバスなのだ。
苦しみよ、還ってこい。そして、何度も巡るがいい。なぜなら、すべての喜びは、永遠を欲するのだから。
大きなクラッシュ音がした。バスの車内は大きく揺れる。
視界はすうっと眠りに落ちるみたいに、暗闇に閉ざされていった。




