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第一章 いつかの春④

 電車から降りて、僕と美紀は駅の改札を抜けた。各駅停車しか停まらない小さな町の小さな駅だ。僕たちはこの町で生まれて、この十六年間、いっしょに過ごしてきた。当たり前だが、幼稚園のころからずっと幼馴染で、そして、これからも、たぶん、ずっとこの関係は続くだろう。続いていけばいいな、とも思う。

 だからこそ、美紀には一番に話しておきたかった。僕が永井と付き合うようになったということを。

 僕と美紀は、駅の小さなロータリーを並んで歩き出した。夕方のロータリーには、オレンジ色の染みが広がっている。

 一歩、二歩、三歩、と進んだところで、僕は美紀には顔を向けず、口を開いた。美紀の顔を見つめて話すには、気恥ずかしい話でもあるから。

「ねえ、美紀」

「何よ、そんな変な声出して」

 美紀は、僕とほとんど身長が変わらない。僕の背が低いのではなく、美紀の背が高いのだ。だから、美紀が僕の目を見つめると、真っ直ぐに視線が交わって、美紀の鋭い目つきと相まって、威圧感すらある。

「変な声? 僕の声、変だった?」

「うん、変だった。何か、上擦っているのに真っ直ぐ、みたいな」

「ええー。恥ずかしい……」

「それに、部活中も変だったでしょ。そわそわしちゃってさ、はるちゃんの顔ばかり、ちらちらと見て。しかも、嬉しそうにはにかんでさ」

 美紀も僕には視線を向けず、頭の後ろ、ポニーテールの結び目の位置で手を組んだ。

「うう……」

「何かあったんでしょ。それも、とびっきりにいいことが」

 美紀には、お見通しのようだった。

「う、うん」

「それで、なに? そのことを話したかったんでしょ?」

「今日さ、永井に告白したんだ」

 ロータリーを抜けた。横断歩道で赤信号を待っている間も、美紀は言葉を発しなかった。怪訝に思って美紀の顔を覗こうとすると、不意に「そうなんだ」とぶっきらぼうな応えが返ってきた。

「うん。部活が始まる前に、ずっと好きだったって、伝えたんだ。付き合ってくださいって、伝えたんだ」

「それで、どうだったの。結果は」

 青信号になって横断歩道を進み始める。僕は、美紀の顔を覗き込んで、白い歯を見せてピースサインを送った。

「そう。まあ、はるちゃんも、ずっと誠太のことしか見てなかったからね。当然と言えば当然か。でも、よかったじゃない」

「うん。だから、今日から永井と付き合うことになったんだ」

「おめでとう」

「ありがとう。やっぱり、このことを一番最初に話すのは美紀しかいないかなって、思ってたんだ」

「誠太は、本当にはるちゃんのこと好きだったもんね」

「えへへ。美紀も、もし、誰か好きな人ができたら、いつでも話してね。僕でよかったら、いつでも相談に乗るから! ろくなアドバイスとかはできないかもしれないけど、話を聞くことくらいはできるし、それに、美紀がどんな人を好きになるのか、興味あるし」

「ありがとう。でも、それは、きっと無理だよ」

 美紀の表情が曇る。寂しそうな笑顔になる。いや、さっきからずっと、だったような気もする。

 僕は小首を傾げて、「どうして?」と呟いた。美紀は寂しそうな苦笑いのまま、言った。

「ううん。やっぱり、何でもない。それよりも、文芸部、ちゃんと一年生入ってきてくれるかな。ちょっと心配」

「大丈夫だよ。二年前の僕たちみたいに、きっと、何人か入ってくるよ」

「そうだよね。まあ、今から不安になっててもしょうがないか」

 美紀は一歩だけ駆け出して、僕をくるりと振り返って、にこりと笑った。美紀のポニーテールが、ふわりと舞う。

 視線の先に、僕たちの家が見えてきた。一階建ての僕の家と、その向かいの立派な二階建ての美紀の家――僕の家は、窓から明かりがこぼれているのに、美紀の家には明かりがついていない。美紀の家は、日付が変わるころに父親が帰ってくるまで、誰もいない。だから、美紀はいつも一人ぼっちで、二階にある自分の部屋で過ごしている。

 きっと、いや、絶対に、寂しいはずなのだ。

「今日の晩ご飯、カレーでいいかなあ。冷蔵庫に材料はそろってるし」

 美紀がぽつりと息を吐くように呟いた。僕はそんな美紀を見て辛い気持ちになって、永井に告白する時とは違った胸の苦しみに襲われる。


 去年の――僕たちがまだ二年生だったころの――十二月の最初の日曜日だった。美紀の母親の美幸さんが、亡くなった。マラソン大会中に、急性心不全を起こし、倒れてしまった。

 毎年、十二月の第一週の日曜日には、市民マラソン大会が開催される。その大会に、美紀は美幸さんを誘っていっしょに出場した。

 美紀は小学校のときから陸上をやっていた。中学でも陸上部に入り、当然のように高校でも陸上部に入った。僕が文芸部に入ると、美紀は陸上部の練習が休みの日は文芸部に顔を出すようになり、陸上部と文芸部の兼部という形になった。とは言っても、美紀は陸上部では副部長を務めていて、忙しくてなかなか文芸部には来られなかった。

 そんな中、マラソン大会中に、美幸さんが亡くなった。美紀は、その日をきっかけに陸上部をやめた。

 大会の全行程は二十キロ。普段から鍛えていた美紀にとっては、何でもない距離だった。だから、折り返し地点に差し掛かったところで、美紀はスピードを上げ、美幸さんを置いて一人で走って行ってしまった。美幸さんが倒れたのは、その後の、十五キロ付近。美紀はすでにゴールを決めていたころだった。

 美紀は休憩所でスポーツドリンクを飲んで休んでいた。大会の役員の人に呼び出された。そして、意識をなくした美幸さんといっしょに病院へ向かった。

 美幸さんは、そのまま、帰らぬ人となった。

 その後の美紀は、目も当てられぬほど、憔悴しきっていた。

い っしょに歩いていても、「私が悪いんだ。私のせいでお母さんは死んじゃった」と、突然うわ言のように繰り返すことも、あった。僕はその度に美紀の目を真っ直ぐに見て、「美紀が悪いんじゃない。絶対に、美紀が悪いんじゃないんだから」と繰り返すことしかできなかった。

 あれから四ヶ月近くが経った。今の美紀は、何とか普通に――頑張って暮らしている。


「今日は、僕の家で晩ご飯食べていく?」

「別にいいよ。遠慮しとく。この前もご馳走になっちゃったし、そんなに毎回お世話になってたら申し訳ないから」

「別に、そんなの気にするなよ」

「誠太に、じゃなくて、誠太のお母さんに申し訳ないって意味だからね。勘違いしないでよ」

 ぷいっとそっぽを向いて唇を尖らせる。美紀は、そういう女の子なのだ。

「美紀は、大丈夫なの?」

「何が?」

「その、いつも一人で辛くないのかなって。もし寂しかったり、一人でいたくないときとかあったら、遠慮しないで、いつでもうちに来てもいいんだよ」

「そんなこと、言われなくても分かってるよ。だから、この前はお邪魔したんじゃない」

「辛かったら、いつでも言ってくれていいんだから。僕は、美紀の幼馴染なんだから」

「だ、か、ら、そんなに心配されなくても、大丈夫だって。もう四ヶ月も経ってるんだよ? 私みたいなバカでも、いい加減立ち直るって」

 美紀は、強がるように、「へへっ」と笑って、「誠太は不安になりすぎ。バカなんじゃないの?」とそっぽを向いてしまった。ポニーテールが翻って、美紀の表情が見えなくなってしまう。

 僕に心配をかけまいとしているのか、それとも、美幸さんを死なせてしまったのは自分だからという罪悪感からなのか、一人で強くなりたいというプライドなのか……。美紀の本当の気持ちは、いくら幼馴染の僕でも、分からない。

 でも、美紀がずっと辛い思いをしているということだけは、そばにいて分かる。分かるから、分からない美紀の気持ちが、辛い。

 先週、美紀の部屋へ遊びに行った。そのとき、美紀はベッドに肘をかけてうたた寝をしながら「お母さん、ごめんなさい。私のせいで、ごめんなさい……」と繰り返し呟いていたのだ。


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