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第四章 告白、告白、告白……⑭

 その日の放課後、永井は顔を真っ赤に染めて、ドアをゆっくりと開けながら、部室へ入ってきた。耳まで真っ赤になって、恥ずかしそうにうつむいていた。

 常盤くんは、永井に告白をしたのだと、それで分かった。

「はるちゃん。どうしたの? 顔真っ赤だよ」

 美紀が椅子から立ち上がり、不思議そうに顔を傾げて、永井を部室に迎え入れた。

「う、うん。何でもないよ、その、何でもないの」

 永井は恥ずかしそうに小さく首と手を振る。何度も、何度も振った。

「本当に? 汗までかいてるじゃない。熱あるんじゃないの?」

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ。それよりも、部活、部活。みんな、原稿用紙出して。回し読みするよ」

 永井は、カバンを机の横にかけながら、早口で言う。

「はるちゃーん。どうしたの。何か、いつものはるちゃんらしくないよ」

 亮祐も、永井を心配そうに見つめて、椅子の下で足をぱたぱたとさせていた。

「本当に、何でもないから、心配しないでいいよ。ありがとうね、亮祐くん」

 永井はぎこちなく頬を緩めて、バッグの中を探り始めた。そして、原稿用紙を取り出す。今書いている短編小説だ。

「ごめんね、みんな。私が部室来るの遅れちゃったから、部活始められなかったよね。ちょっと、先生に呼ばれてて……」

「永井」

 自然と、言葉が口をついた。永井は驚いた顔で僕を見つめた。永井の瞳の中が、じんわりと滲んで、きらりと光った。

「遠野くん……。私の名前、呼んでくれた……」

 確かに久しぶりだった。思い返してみたら、タイムループしてきて、永井と付き合わないと決めてから、僕は自分から永井に声をかけることは一度もなかった。ただの一度もなかった。久しぶりに呼ぶ『永井』という響きは、泣きたくなるくらい耳と心に心地よく残った。

「永井は、常盤くんに、告白されたの?」

 永井は、驚いた顔をさらに驚かせて、潤んだ瞳を大きく見開いた。その拍子に、目の端から涙が一粒転がっていった。

「……うん」

 小さな、小さな永井の声だった。控えめな声で、少し高い音で、風鈴のように心に響くような声だった。

「放課後に、常盤くんに呼び出されたんだね?」

「さっき、言われたの……。屋上で」

「永井は、常盤くんと、付き合うことに、したの?」――しっかりと言ったつもりだったのに、声は微妙に震えてしまった。

 永井は黙ったまま、首を横に大きく振った。何度も何度も振った。髪の毛がさらさらと流れる。桜色のヘアピンが光ったり、影になったりする。

「……どうして?」

「どうしてって……」

 永井は指をもじもじとさせながらうつむいて、黙り込んでしまった。

 僕は、永井の言葉を待っている間、気持ちを落ち着かせようと、心の中で深呼吸をした。

 冷静に考えれば、常盤くんと永井が付き合わなくてよかったのかもしれない。常盤くんが永井と付き合うことは、時田からしてみれば、僕の立場が常盤くんに変わっただけで、状況は何も変わらないということになるからだ。時田にとっては、永井が誰かと付き合うことが問題なのだから。僕と付き合おうが、常盤くんと付き合おうが、それは同じことだった。結局、時田自身が永井と付き合うことにならなければ、時田としては納得がいかないのだろう。

「だって」

 永井は、頬を赤色ではなく桜色に染めて、うつむいたまま、ゆっくりと口を開いた。声はか細く揺れて、耳を澄ませていないと聞こえないほど小さな響きだったのに、僕の心の中にはっきりと届いた。

「私、好きな人が、いるから……」

 心臓に衝撃が走った。心を射抜かれたような感覚だった。まさか、という思いの中、僕は恐る恐る永井に尋ねた。

「永井の好きな人って、誰なの?」

「それは……」

 永井は、顔をあげて僕を見つめた。きらきらと潤む瞳で僕をじっと見つめ、その拍子に、光の粒が頬をころころと転がっていって、床に弾けた――それが、何よりの答えになってしまった。

永 井は、今でも僕のことが好きなのだった。話しかけなかったり、永井の話を無視したり……そんなことでは、永井の気持ちは揺るがなかった。

「それは、ね……」

 永井は、今にも告白しそうなほど、思いつめた表情を浮かべていた。口を小さく開けて、閉じて……を繰り返していた。何かを言おうとして、でも言えない、そんな苦しい沈黙が流れる。

 頼む――。僕は祈っていた。お願いだから、何も言わないでくれ。

「私の、私の好きな人は……」

 頼む――。

「はるちゃん!!」

 沈黙を破ったのは、美紀だった。

「さあ、部活始めようよ!」

 美紀は引きつった笑顔でそう言うと、自分のバッグの中からがさがさと原稿用紙を取り出した。

「短編の回し読みするんでしょ? だったら、早く始めないと日も暮れちゃうよ」

 永井は、美紀には応えずに黙って立ち尽くしていた。僕を見つめ、原稿用紙を手に持った美紀を見つめ、思い詰めた表情は、変わらなかった。

「誠太ちゃん」

 亮祐に、ぽんと肩を叩かれた。笑顔を向けられた。亮祐は目だけで笑って、真っ直ぐに僕を見すえていた。

 誠太ちゃんは、どうしたいんだよ……。誠太ちゃんだって、はるちゃんのこと、好きなんだろ……。そう訴えられているような気がして、ますます僕は何も言えなくなってしまう。

 美紀は、誰からも返事がなくても、一人で喋り続けていた。

「ねえ、はるちゃん。私さ、今回書いたの今までで最高傑作だったような気がするんだよね。だから、早くはるちゃんに読んでみて欲しいなって……」

「遠野くん! お願い、聞いて!」

 永井の声が部室に響き渡った。

「私、あのね、私……」

 何か言わなければ、僕が、何かを言わなければ……。そう思うのに、口はなかなか開いてくれない。永井の言葉を止めなければいけない。永井に告白させてはいけない。永井が僕に告白したことを知ったら、時田はまた、永井を奪われたと感じるだろう。永井を汚されたと考えるだろう。だから、永井からの告白は、あってはならないことだった。でも、僕は、今の永井に何を言えばいいのかも分からなかった。

「私、私……」

 永井は胸に手をあてて、精一杯の勇気を振り絞って、僕に自分の気持ちを伝えようとしている。

「私、遠野くんのこと、遠野くんのことが……」

 僕は怖くなって目をつむった。今はない桜のストラップを――お守りを握りしめるように、祈るように叫んだ。

「時田がさあ!」

 もう、永井の目を見ることはできなかった。うつむいて、机を見つめながら、僕は続ける。一度勢いがついた言葉は、止まらなかった。

「時田、永井のことが好きなんだよ! いいやつだし、優しいところもあってさ。いつもおどおどしてるし、そのくせ慣れてくると馴れ馴れしくなって、面倒くさくなるところもあるし、ちょっと周りが見えてないところとかもあるけど、化学の実験が大好きでさ、背の高いことにコンプレックスなんか持っちゃってて……」

「誠太ちゃん、何言って……」

 亮祐の声がする。僕は構わず続ける。机を見つめたまま一心に続ける。

「それでさ、時田は、期末テストが終わったら永井に告白したいと思ってるんだ! 僕にそう話してくれたとき、時田はものすごく恥ずかしそうな顔をしてた。でも、永井といっしょになることを夢見て、嬉しそうな笑顔でもあったんだ! 好きな女の子を一心に想う、素敵な笑顔だったんだ」

 息が荒くなる。胸が苦しくなる。涙腺が、熱くなる。自分が何を言っているのかも、分からなくなる。でも、僕はひたすらに叫び続けた。瞬いた瞼の奥で光がはじけて、流星のように頬を伝った。僕はその流星に祈りを捧げるようにして、叫んだ。

「時田と付き合いなよ! 時田だったら、永井のこと、絶対に幸せにしてくれると思うんだ! 時田は中学のときから永井のことが好きだったんだってさ。すごいよね、それだけ長い間思い続けられるって、本当にすごいと思うんだ。だって、もう五年になるんだよ? すごいよ。それだけ、時田は永井のことを想ってるんだよ。だから、永井には、時田と付き合ってほしい。時田、すっごく喜ぶと思うんだ。永井も、最初は戸惑うかもしれないけど、でもさ、絶対に時田といっしょになってよかったって、そう思うんじゃないかって。時田なら、永井を幸せにしてくれるんじゃないかって……」

「遠野くんの、ばかああああああ!」

 はっとして顔を上げた。永井は顔をぐしゃぐしゃにして、泣いていた。目元を乱暴に拭って、でも涙はとめどなく溢れ出していた。制服の袖で目元を覆った下から、涙が滴り落ちるのが見える。ぼたり、ぼたりと、涙は永井の足元で泣いて、透明な海になっていった。

「永井……」

「遠野くんの、バカ、バカ、バカ! 私、もう、どうしたらいいか分からないよ……」

 永井の悲しい顔なんか、見たくない。永井を苦しい思いをさせる出来事から守ってあげたい。僕はその思いでひたすらに自分の気持ちを押し込んで、頑張ってきたつもりだった。つもりだったのに……。

「もう、いやだ、いやだよ……。遠野くんに辛くされるのは、もう、イヤ!」

 永井は、勢いよくドアを開けて、部室を飛び出していってしまった。走り出した拍子に、永井の頬からは涙が千切れ、きらりと光りながら宙を舞った。美しかった。悲しく胸を締めつけるほどに、その光は美しかった。

「永井!」

 僕は叫んだ。永井は振り向きもしないまま、走り去って、そのまま姿は見えなくなってしまった。

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