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第33話:白き祈り 雪解けの時

古代都市の静寂は、死の重みを孕んでいた。

 クリスタルが連なる大通りを抜けた先、蓮とかりんが辿り着いたのは、かつて「大図書館」と呼ばれていたであろう巨大な円形ドームだった。頭上には、魔素によって駆動し続ける人工の天球儀が、冷たく無機質な光を放ちながら回っている。

「……はぁ、はぁ……。一ノ瀬くん、大丈夫?」

 かりんが、蓮の肩を支えながら周囲を警戒する。

 先ほどから、二人の周囲には「音」がない。風の鳴る音も、自分たちの足音さえも、何かに吸い取られているような奇妙な感覚。

「……ああ、ごめん。……っ、身体が……重いんだ」

 蓮は胸元のネックレスを握りしめ、膝をついた。

 異常だった。世界最強の賢者と謳われた彼の体内から、魔力が急速に失われていく。いや、失われているのではない。発動しようとした術式が、形を成す前に「霧散」しているのだ。

「……レイの真の魔素があれば、少しは抵抗できるんだろうけど……。今の僕は、外付けの魔素に頼りすぎていたみたいだ。……ここは、現代魔法の理が通用しない……」

「一ノ瀬くん……」

 かりんが悲しげに眉をひそめる。彼女の手のひらから伝わる温もりが、今の蓮にとって唯一の現実だった。



「ねえ、一ノ瀬くん。少し休もう? 追手はまだ来ていないみたいだし……それに、こうして二人きりで話すの、なんだか久しぶりな気がするわ」

 かりんはドームの隅、クリスタルの柱の影に蓮を座らせた。

 静寂の中で、二人の距離が近づく。

「……雪城さん、ごめん。こんなところにまで巻き込んで。本当なら、君は学園で平穏に過ごしているはずだったのに」

「……ふふ。今さら何を言ってるの? 巻き込んだのは、私の方よ」

 かりんは自らの膝を抱え、遠い目をした。

「覚えてる? 入学してすぐの頃。私が自分の魔力を制御できなくて、自習室を氷漬けにしそうになった時。……あの時、誰もが私を化け物を見るような目で見て、逃げ出した。……でも、君だけは違った」

「……僕はただ、掃除が面倒だと思っただけだよ」

「嘘ばっかり。……あの時、君は私に駆け寄って助けてくれた。その瞬間、荒れ狂っていた私の魔素が、嘘みたいに凪いだの。……あの日からよ。私の世界に、一人の『男の子』が入り込んできたのは」

 かりんの頬が、冬の夜空に浮かぶ月のように淡く赤らむ。

「深層の時もそう。あの絶望的な闇の中で、君が葵として現れて私たちを救ってくれた。……一ノ瀬くん、ずっと言いたかったの。……ありがとう。私を見捨てないでくれて。私に、自分の力を恐れなくていいって教えてくれて。……君がいたから、私は私のままでいられたの」



 蓮は黙って彼女の言葉を聞いていた。

 偽りの自分を演じ、誰とも深く関わらないように生きてきた。けれど、いつの間にか、この少女の真っ直ぐな想いに救われていたのは自分の方だったのかもしれない。

「……僕は、君が思っているような英雄じゃないよ、雪城さん。……ただの、臆病者だ」

「臆病者は、あんなに優しい魔法は使わないわ。……だから、今度は私の番」


 その時、ドームの空気が凍りついた。

 中央の天球儀から、ドロリとした黒い影が滴り落ちる。

 それは不定形の霧のような魔物だった。古代の防衛術式が、侵入者を排除するために生み出した『魔素喰いの亡霊エーテル・イーター』。

 亡霊が咆哮を上げると、周囲の魔素が真空へと吸い込まれるように消失した。

「――っ! 来るわ!」

「……くそっ、展開……『水鏡』……ッ!?」

 蓮が手を翳すが、術式は火花を散らすこともなくかき消される。

 現代魔法は、魔素を「展開」することで発動する。だが、この亡霊は構成された魔素をそのまま捕食し、無効化する特性を持っていた。

 レイの「真の魔素」を分け与えられている蓮だが、その根源的な操作権はレイにある。レイが眠っている今、蓮の魔法は、亡霊にとって最高のご馳走に過ぎなかった。

「……あ、ああ……魔力が……っ」

 蓮が苦痛に顔を歪め、その場に倒れ伏す。亡霊は獲物を定めたように、蓮へとその鋭い魔力の触手を伸ばした。

「――一ノ瀬くんに、触るなッ!!」

 かりんが叫びながら、蓮の前に立ちはだかった。

 杖を強く握りしめ、彼女は自らの中に眠る「違和感」に意識を集中させる。

 彼女が生まれ持った、現代の理にそぐわない強大すぎる魔力。それは「真の魔素」の種子そのもの。

「『展開』なんていらない……! 私の想いを、そのままカタチにするだけ……!!」

 かりんの周囲に、透き通るような白銀のオーラが吹き荒れた。

 亡霊が放った魔素吸収の触手が、かりんのオーラに触れた瞬間――吸い取るどころか、触手そのものが根元から凍りつき、砕け散った。

「な……っ!? 亡霊が……凍った?」

 蓮は目を見開いた。

 かりんの魔力は、亡霊に「捕食」されるよりも早く、亡霊そのものの存在定数を固定し、沈黙させている。現代魔法というフィルターを通さない、純粋な『意思』の具現化。

「……はぁ、はぁ……っ」

 だが、亡霊は一体ではない。ドームの天井から、数十、数百の黒い影が雪崩のように降り注ぐ。

「雪城さん、逃げろ! 君一人じゃ、この数は……っ」

「逃げない……! ここで逃げたら、私はまた、あの日と同じ……独りぼっちに戻っちゃう!」



 暗い自室で、自分の手が凍りついていくのを震えて見ていた幼い頃。

 両親の怯えた視線。親戚たちの囁き声。

 誰にも触れられず、誰にも理解されない、孤独な極北。

(……怖い。……また、みんなを傷つけてしまうかもしれない。……この力を使えば、私は本当に人間に戻れなくなるかもしれない……)




 かりんの足元が、自分の放つ冷気で白く染まっていく。

 恐怖で足がすくみ、伸ばした手が震える。亡霊たちの黒い影が、彼女を飲み込もうと迫る。

「――雪城さん!!」

 蓮の叫びが、ドームに響いた。

「……君は、化け物なんかじゃない! 優しい魔法だって、言っただろ! 君のその力は、誰かを傷つけるためのものじゃない……君の心そのものなんだ!」

 蓮の言葉が、かりんの凍てついた心に火を灯した。

「……一ノ瀬くん……」


「自分を信じろ! 僕がついてる! 君の魔法は、世界で一番……綺麗だ!!」


 その言葉が、最後のピースだった。

 かりんは瞳を閉じ、深く息を吸い込んだ。

 恐怖は消えない。けれど、その隣には、自分を信じてくれる少年がいる。

「……そうね。私は、もう……迷わない」

 かりんが目を見開いた。その瞳は、深海のような碧から、純白の輝きへと変色していた。

「――全て、眠りなさい。私の祈りの、果てに」

 かりんが地面を強く踏み締める。

 爆発的な冷気が、彼女を中心に円状に広がった。

 それは「魔法」という既存の概念を超越した、絶対的な氷の世界。

 襲いかかっていた数百の亡霊たちは、逃げる暇さえ与えられず、空中で一瞬にして美しいクリスタルの彫像へと変えられた。吸収の理さえ、彼女の『凍土』の前では無力だった。

 ドーム全体が、純白の氷の結晶で覆い尽くされる。

 天球儀も、クリスタルの柱も、全てが静寂の中に封じ込められた。

 

 かりんは静かに杖を下ろし、荒い息をつきながら蓮の方を振り返った。

 白銀に輝く魔素の残滓が、雪のように彼女の髪に降り注ぐ。


「……一ノ瀬くん。……倒せた、みたい」

 蓮は呆然と、その光景を見つめていた。

「……すごいな。これが、君の……真の魔素」

 かりんは蓮の元へ歩み寄り、その場に屈み込んだ。

 そして、まだ震える蓮の手を、自分の両手でそっと包み込む。

「一ノ瀬くん。……ううん、蓮」

 彼女は、蓮の瞳を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。その笑顔には、もう迷いも、怯えもない。

「今までは、君が私を守ってくれた。……でも、これからは、私が君を守ってあげる」

「……え?」

「君が最強の賢者でも、追われる反逆者でも、関係ない。……私が、君の隣にいるわ。二人で支え合って、この地獄を歩いていきましょう」

 それは告白に等しい、魂の誓いだった。

 蓮は、かりんの手から伝わる「真の魔素」の力強く、それでいて温かな拍動を感じていた。

「……ああ。……頼りにしてるよ、雪城さん」

「……かりん、でいいって言ってるのに。……ま、今はいいわ。急ぎましょう。雷翔と陽向が待ってる」

 かりんは蓮を立たせ、しっかりと彼の腕を引いた。


 古代の静寂の中、白銀の氷に彩られた道を、二人の影が進んでいく。

 絶望の底で掴み取った絆。それは、どんな古代魔法よりも気高く、どんな暗闇をも照らす、真実の光だった。

こんにちは!よつばです!

物語も佳境に入ってきました!私、気合い入っております。

そのため、いつもより文字数が1000も多い!

さあ、覚醒の時、真相に向けて物語は加速します!

次回もお楽しみに

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