第30話:一ノ瀬蓮
一月。街を彩っていたクリスマスの装飾も、学園祭の熱狂も、今は遠い過去の記憶だ。深夜の静寂を切り裂くように、窓の外では乾いた寒風が吹き荒れている。
僕は震える指先で、アパートのカーテンを僅かに開けた。路地裏には、昨日までは存在しなかった黒塗りのセダンが数台、獲物を待つ獣のように静まり返っている。
(……特定された。魔素の残滓を追われたか)
僕は最低限の荷物をカバンに詰め、意識を失ったままのレイをゆっくりと背負い上げた。彼女の身体は、驚くほどに軽く、そして透き通るように冷たい。かつては毒舌で僕を振り回していたあの傲岸不遜な精霊が、今はただの、壊れそうな硝子の細工のように僕の背中にしがみついている。
アパートの裏階段を、足音を殺して下りる。錆びついた鉄の匂い。
路地裏の影を縫うようにして、僕はかりんから送られてきた座標へと急いだ。
背後で、ドォォォォン!! という重低音が響いた。僕が数分前までいた部屋が、魔法省の執行官たちによって破壊されたのだ。暴力的な魔力が冬の夜空に渦巻く。
振り返る余裕などない。僕はただ、背中の温もり――消え入りそうなレイの鼓動だけを支えに、闇の中を走り続けた。
辿り着いたのは、都心から少し離れた古いマンションの一室。かりんが極秘に借りているというその場所は、生活感のない無機質な空間だった。合図を伝え、重い鉄の扉を開ける。
「……一ノ瀬くん!?」
真っ先に声を上げたのは、陽向だった。室内には、かりん、そして雷翔も揃っていた。数ヶ月前の学園祭の時のように笑い合える空気は、そこには微塵もなかった。
三人は、僕の背中でぐったりとしているレイを見て、息を呑んだ。
「……一ノ瀬。その子、顔色が真っ青じゃないか。……一体、何があったんだよ」
雷翔が、動揺を隠せない声で問いかける。僕はパーカーの袖で額の汗を拭い、レイをゆっくりとソファに横たえた。
三人の視線が、眠れる銀髪の少女に集中する。その肌は、月明かりを透過させるほどに白く、人間のものではない「何か」を予感させていた。
「……一ノ瀬くん。……その子、本当は人間ではないのでしょう?」
かりんが、鋭い、けれどどこか悲痛な声で切り出した。彼女の予想はそこにある。
僕は窓の外、遠くを走るパトカーの赤色灯を見つめながら、静かに口を開いた。
「……ああ。レイは、現代の魔法師たちが定義するような存在じゃない。彼女は、数千年以上前……かつてこの星で魔法文明が滅んだ時に、その『種』を封印するために残された、本物の精霊なんだ」
陽向が瞬きを忘れ、雷翔が拳を握りしめる。
「魔法省の長官、鬼龍院 仁が手に入れた『古代魔法』は、その封印を無理やりこじ開けた結果だ。……レイの不調は、全部魔法省のせいなんだよ。彼らが理を歪めたせいで、彼女は今、存在が消えかかっている。彼女を救うには、現代魔法では不可能な……失われた『ロスト・マジック』が必要なんだ」
部屋の空気が、一気に重くなる。
「魔法省が狙っている……? 嘘だろ、あいつらがそんな……」
雷翔の声が、現実味を求めて揺れる。
「……だから、僕は魔法省に対抗しようと思っている。」
僕の言葉に、かりんが溜息をつき、首を振った。
「……無茶よ、一ノ瀬くん。気持ちはわかるけれど……学園で十級の評価しか受けていない君に、そんな力はないわ。あんな巨大な組織を相手にするなんて、規模が大きすぎるのよ。君が死ぬだけだわ」
正論だった。本来なら、十級の「冴えない一ノ瀬蓮」には、何もできないはずだ。
僕は一歩、彼女たちの方へ歩み寄った。
パーカーのポケットに手を突っ込み、どこにでもいる高校生の格好のまま、僕はかつてないほど真剣な、研ぎ澄まされた表情で彼女たちを見つめた。
「……いいや。僕なら、できるよ」
「……え?」
三人が困惑し、顔を見合わせる。
僕は静かに、胸元にある魔素の『栓』を、ゆっくりと、丁寧に引き抜いていった。
瞬間。
室内を満たしていた、かりんたちの現代魔法による魔力反応が、圧倒的な「格」の差によって、一瞬で掻き消された。
空気の重さが劇的に変わる。陽向が、雷翔が、反射的に息を止めた。
僕は、彼女たちの瞳を、一人ずつ真っ直ぐに見つめた。
嘘を脱ぎ捨て、真実だけをその瞳に刻むために。
「――僕が、七賢者が一人。水の賢者、『葵』だ」
(『……ふん。蓮、ついに言ってしまったわね。……もう、引き返せないわよ。……ねえ、後悔していない? 私のために、貴方のすべてを投げ出すことを…』)
そんな声が聞こえた気がした。
こんにちは!よつばです!
蓮がついに正体を明かしました。
私はこの物語を書き始めた時、強大な何かに襲われた主人公が仲間に正体を打ち明ける。そんなシーンが書きたくて書き始めました。まさか30話を超える大作になるとは、、
でも、物語はまだまだ続きます!
この世界の運命。最後まで見届けましょう!




