第28話:新春の誓い 加速する絶望
新年、一月一日。
都心の喧騒を遠くに置き、古の空気を湛えた神社は、突き抜けるような冬の青空の下で活気に沸いていた。
石畳を叩く乾いた下駄の音。屋台から漂う甘酒の芳しい香りと、焚き火の爆ぜる音。新しい年の始まりを祝う人々の笑顔が、冬の冷たい空気をわずかに和らげている。
そんな賑わいの中に、僕たち五人の姿があった。
「――見て見て! おみくじ、大吉だよぉぉ! 『願い事、思うがままに叶う』だって! 今年の私、マジ無敵じゃない!?」
色鮮やかな振袖に身を包んだ陽向が、おみくじの紙を高く掲げてはしゃいでいる。その後ろでは、慣れない羽織袴に身を凝らした雷翔が、ぶっきらぼうに後頭部を掻いていた。
「……五級に受かった途端にそれか。調子に乗って魔道具を爆発させるなよ、陽向。……お前の『思うがまま』ってのは、大抵ろくなことにならないからな」
「むー! ライトは末吉だったからって、僻まないの! ほら、一ノ瀬くんも何か言ってよ!」
陽向に振られ、僕は苦笑いしながら頷いた。
「いいんじゃないかな。陽向の運が良ければ、僕たちのパーティも安泰だ」
「でしょでしょ! よーし、次はあそこの林檎飴、全種類制覇だー!」
二人のいつもの掛け合いを、雪の精のように凛とした着物姿のかりんが、静かに見守っていた。
「……ふふ。平和ね。……ねえ、一ノ瀬くん。今年もこうして、みんなで笑っていられるといいわね」
「……そうだね。きっと、いい一年になるよ」
僕は努めて明るく答えた。視線の先には、同じく艶やかな着物を纏ったレイがいる。数日前までの、どこか魂の抜けたような「キレのなさ」は消え、今の彼女は頬に朱が差し、瞳にも強い光が宿っていた。
(……よかった。僕の魔素を分け与えたことで、彼女の存在が安定してくれたみたいだ)
『――ふん。蓮、何をニヤニヤしているの? 貴方の魔素、なんだか少し「和菓子」の匂いがして落ち着かないわ。……ほら、あそこの屋台の林檎飴を買いに行きなさい。私の魔素を補充する「燃料」として、特別に認めてあげるわよ』
レイがいつもの不敵な、それでいてどこか愛らしい笑みを浮かべ、僕の袖をぐいと引く。毒舌のキレも申し分ない。
本堂の前で、僕たちは並んで手を合わせた。
二拍手。
(……どうか、この時間が一日でも長く続きますように。魔法なんてなくても、みんなが笑い合える未来へ、彼女を連れて行けますように)
僕が願ったのは、賢者としての栄光でも、世界の変革でもない。
ただ、この四人と一人の精霊と過ごす、あまりにも脆く、尊い日常の継続だけだった。
「よし! 今年も五人で力を合わせて頑張るぞー!」
陽向の掛け声に、僕たちは力強く頷いた。
透き通った冬の空に、僕たちの決意が溶けていく。
この時までは、誰もが信じていたのだ。この眩しい光が、明日も同じように降り注ぐのだと。
夕刻。
賑やかな一日の余韻を胸に、僕はレイと共に自宅の玄関をくぐった。
暖房の入っていない冷え切った廊下を、冷たい月明かりが青白く照らしている。
「……疲れたね、レイ。でも、みんな楽しそうだっただろ?」
僕が振り返り、彼女に声をかけた、その時だった。
『…………蓮』
短く、消え入りそうな声。
レイが糸の切れた人形のように、その場に膝をついた。
「レイ!? おい、どうした!?」
慌てて駆け寄り、彼女の肩を抱く。
レイの身体は、驚くほど熱く、同時に氷のように冷たく感じられた。彼女の銀髪が、現実の光を透過させるほどに薄くなり、存在そのものが霧散しようとしているかのようだ。
『……ごめんなさい……。……なんだか、ひどく……深い闇が、見えるの……。……理が、壊されて……ゆく……っ』
レイは苦しげに胸を押さえ、そのまま僕の腕の中で意識を失った。
魔法そのものである彼女の変調。それは、僕が分けた魔素だけでは補いきれないほどの「世界の歪み」が、決定的な段階に達したことを物語っていた。
リビングに彼女を運び込み、看病を続けていた深夜。
テーブルの上に置かれた僕の私用端末が、不吉な赤い点滅を繰り返した。
それは、賢者専用の秘匿回線からの緊急通知。
這いずるような思いで画面を開くと、そこには、昨夜の「一条氷介の引退」に続く、さらなる絶望の連鎖が綴られていた。
『――葵さま。……申し訳、ありません……っ』
震える声の音声メッセージ。紫苑からだった。
『……魔法省からの圧力が、私の故郷のお花たちにまで……及び始めて……。……これ以上、皆さまにご迷惑はかけられません。研究に専念するという名目で、私……七賢者を、引退することに、なりました……。……葵さま、一人にして、ごめんなさい……っ、本当に、ごめんなさい……!』
続いて届いたのは、煌々(きらら)からの、悲痛な叫びを孕んだテキストだった。
『葵っち、マジでごめん。ウチ、これ以上政治の道具にされるの耐えられない。……「大学受験に専念するから辞める」って、無理やり辞表叩きつけてきた。……葵っち、逃げて。軍拡派はマジで頭おかしくなってる。……生きて、絶対に』
一条氷介の引退。
藤田紫苑の辞任。
不知火煌々の離脱。
穏健派を支えていた四本の柱が、一夜にして三本までへし折られた。
残されたのは、「葵」――僕一人だけ。
「……はは、ひどいな。……新年早々、全部奪い取る気かよ」
僕は床に膝をついたまま、乾いた笑いを漏らした。
日常という名の砂の城が、無慈悲な怒濤にさらわれていく。
腕の中で、レイが浅い呼吸を繰り返している。
窓の外、先ほどまで僕たちを祝福していたはずの星空が、赤黒い魔素の霧に侵食されていた。
魔法省の『エリア0』で目覚めた古代の悪意が、ついにこの世界の「秩序」を完全に塗り替え、新しい覇権の産声を上げたのだ。
冬の静寂が、家の中に冷たく充満していく。
魔法が消える、その瞬間まで。
僕が守り抜くと誓ったものは、あまりにも脆く、そして果てしなく遠い。




