Episode 45:後編
Episode 45:後編
「濃厚バターの防波堤と、電脳放火のチェックメイト(N-U-R-S)」
密室の熱地獄と、乳母の「いつも通り」
「あら、なんだか急に部屋が蒸し暑くなってきたねぇ。都会の床暖房は威力がすごいねぇ」
スマート家電の暴走により、テラスハウスのリビングはまたたく間に熱風に包まれ、キッチンのコンロからは怪しい火花が散り始めていた。しかし、田舎育ちのクララ乳母は、国際的スプリンター(※ハート刑事の誤解)の貫禄を見せるどころか、のんびりと団扇で涼み始めている。
(乳母ちゃん、のんきに涼んでいる場合ではない! 隣の空き家からドローンの高周波レーザーが、この部屋のガス配管の基盤を狙っているんだ。このままではあと60秒でバックヤードごと木っ端微塵だぞ!)
ホームズはソファから飛び降りると、カチャカチャと文字ブロックを動かした。ガジェットのない今、ハート刑事の「誤読キック」の軌道を物理的に誘導するしかない。
[ N - U - R - S ]
その文字の真下に、ホームズはクララが持ってきた「巨大なバターの木箱」を鼻先で突っついて移動させた。
ハート刑事の「乳母(NURS)超翻訳・実戦編」
「そこまでよ、偽物の乳母ちゃん! その巨大バターの中に、ヤードを爆破するための液体火薬を隠しているのはお見通しなんだから!」
ハート刑事はトレンチコートをバサリと脱ぎ捨て、床のブロックを上下反転で網膜にロックオンした。
「『S』『R』『U』『N』……スラン! 滑走! ……あーーーーっ!」
(だから滑走ではない! 『NURSE(乳母)』の……いや、待て。スライド・ラン……滑る、走る……バター……!)
「分かったわ、ホームズ! これは、あの巨大バターを**『摩擦係数ゼロの滑走用オイル(SRUN)』**として床一面にブチ撒け、その上を私がマッハ3でスライドしながら、窓の外のドローンを場外ホームランしろっていう、ハイドロ・格闘コマンドね!?」
(違う! ブチ撒くな! 絨毯が汚れる! ……いや、待て。ハート君の言っている『バターの遮蔽効果』……。あのクララさんが持ってきた特製バターは、水分を多く含んだ超高密度な塊だ。あれを窓枠に叩きつければ、ドローンから放たれるハッキング用の高周波電波を物理的に屈折・遮断できる……! ハート君、君の絨毯破壊テロ妄想は家主の悲鳴が聞こえるレベルだが、バターの密度を利用した『電波遮蔽』の計算だけは、やはり世界一の名探偵(私)と完全に一致している!)
ハニー・バター・スライド・フィナーレ
「お嬢様、何をごちゃごちゃ言ってるだね。バターは冷えてるうちに切らないと風味が――」
「乳母ちゃん、その高級バター、ロンドンの平和のために徴収させてもらうわよ!!」
ハート刑事は、クララの静止を聞くよりも早く、木箱から巨大なバターの塊を素手で引っ掴んだ。そして、ホームズが並べたブロックの線上を、まるで氷上のフィギュアスケーターのように華麗に滑走!
「てりゃぁぁぁーーーーっ!!」
滑り込んだ勢いのまま、ハート刑事の容赦のない、大英帝国の酪農の歴史を凝縮したかのような強烈なアッパーカット(?)が、バターの塊を空高くへと打ち上げた!
ボカァァァン!!!
ハート刑事の拳によって弾き飛ばされた巨大バターは、リビングの窓ガラスを(綺麗に鍵だけ外す神業で)突き破り、外のバックヤードを浮遊していたハッキングドローンのカメラレンズと電波アンテナへ、文字通り「100%の密度」でパーフェクトに密着・激突した!
ドチャァァァン!!!
のどかなテラスハウスで
アンテナをバターで完全に目潰し(物理ジャミング)されたドローンは、制御を失って隣の空き家の壁に激突し、火を噴いて墜落した。
同時に、テラスハウス内のスマート家電のハッキングも完全に解除され、キッチンのコンロは「安全に消火されました」と涼しい電子音を響かせた。
「あらまぁ……都会の犬のおやつ(バター)は、空を飛ぶんだねぇ。お嬢様も相変わらずお転婆で、おばあちゃん安心したよ」
クララ乳母は、窓の外の爆発を見ても動じることなく、お茶をズズッとすすっている。さすがはハート刑事を育てた大物である。
まもなくヤードのヤング刑事たちが隣の空き家へ突入し、ドローンを操作していた密猟団の残党(放火魔)を現行犯でタイホした。
事件解決後のリビング。
窓から心地よいロンドンの風が吹き込み、床にはクララが焼き直してくれた、バターたっぷりの香ばしいスコーンが並んでいる。
(フッ……。ガジェットを奪われ、文字ブロックしかない暗黒時代だが、ハート君の規格外の脚力と、乳母ちゃんの規格外のマイペースさがあれば、最新の電脳犯罪など敵ではないな。……まぁ、このスコーンの味に免じて、絨毯のバターのシミは見逃してやるとしようかね)
「おいしいわね、ホームズ! 今回の『超高速爆弾魔(SRUN)』退治作戦も大成功! 広報課の次のポスターは、このスコーンを片手に『火遊びは厳禁よ!』ってキャッチコピーにしましょう!」
ハート刑事が、スコーンを美味しそうに頬張りながら親指を立てる。
(……だから乳母ちゃんだし、普通に『NURSE』と読みたまえ、ハート君。だが……この平和な休日の香りは、名探偵のティータイムとしては、最高の『水揚げ』かね)
「ワン!」と、テラスハウスに響き渡る、世界一知的な生の声で一鳴きする名探偵。
凸凹バディと、都会に負けない最強の乳母ちゃんは、美味しいスコーンの香りに包まれながら、次の穏やかな日常(事件)へと歩みを進めるのだった。




