表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/160

Episode 5:後編

Episode 5:後編


ステージの上で、ホームズは白猫モリアーティを睨みつけた。

しかし、白猫は優雅に尻尾をひと振りすると、

客席の暗闇へと音もなく飛び降り、そのまま姿を消してしまった。


(待て、モリアーティ……!)

追おうとしたホームズだったが、

足元に散らばる楽譜の一枚に目が留まり、足を止めた。


それはクリス・エヴァンスが演奏するはずだった、

バッハの『無伴奏チェロ組曲』の楽譜。

だが、音符のいくつかが不自然に黒いインク

(血の混じったあのインクだ)で塗りつぶされ、

五線譜の余白に奇妙なアルファベットが書き殴られていた。


[ E - A - D - G ]


「あ、白猫ちゃん消えちゃった……。

って、ホームズ、また何か見つけたの?」


ハート刑事がステージに駆け上がり、

ホームズが前足で押さえている楽譜を覗き込む。


(ハート君、これを見るんだ。

これはチェロの4本の弦の基本音名

。だが、塗りつぶされた音符の数と位置を照らし合わせると、

これは文字通りの音楽ではなく、

ある『場所』を示す暗号コードになっている!)


ホームズは必死に頭を回転させ、

生前のロンドンの記憶と、

現在の知識をリンクさせようとした。

しかし、ハートの「写真記憶」は、

全く別のベクトルから答えに直結した。


「……あ、この文字列! さっきホールの楽屋口にあった、

『最新式デジタル電子ロッカー』の初期設定パスワードの並びだわ!」


(……何だと?)

ホームズは思わずズッコケそうになった。

暗号の解読ではなく、ただの視覚情報のマッチング。

だが、それが最適解だった。


「あのロッカー、確か楽屋の奥にあるやつよね。行こう、ホームズ!」


二人が楽屋へ飛び込むと、予感は的中していた。

大型ロッカーの中から、ゴトゴトと鈍い音が響いている。


「クリスさん!? 中にいるのね!?」

ハートがすぐさまタッチパネルに

E - A - D - G と入力すると、

電子ロックがガチャリと外れた。


中から転がり出てきたのは、猿ぐつわをされ、

ロープでグルグル巻きにされた天才チェリスト

、クリス・エヴァンスだった。


「た、助かった……! 突然、黒いマントを着た大男と、

不気味な白猫に襲われて……」

ハートがロープを解くと、クリスは青ざめた顔で時計を見上げた。


「まずい、開演まであと10分だ!

観客がもう入ってきている。ステージに戻らなきゃ……

でも、私のチェロが……!」


(待て。奴の狙いはチェリストの監禁ではない。

ならば、なぜわざわざ暗号を残して彼を救出させた?)


ホームズの脳裏に、最前列でニヤリと笑った白猫の顔が浮かぶ。

その瞬間、ステージの方から、

微かに「チチチ……」というあの忌々しい機械音が聞こえてきた。


(……しまずい! ターゲットはチェロそのものだ!)


ホームズは弾かれたようにステージへ引き返した。

椅子に立てかけられた美しいチェロ。

ホームズはそのエンドピン

(床に接する金属の棒)の根元に鼻を近づけた。


(やはりだ……! 松脂の匂いに隠されていたが、

本体の内部に液体の振動感知式高周波爆弾が仕込まれている!

チェロを激しく演奏し、特定の高音ハイポジション

を奏でた瞬間、共鳴して破裂する仕掛けだ!)


「クリスさん、早く演奏の準備を──って、

ホームズ!? なんでチェロに威嚇してるの?」

ステージに戻ってきたハートが首を傾げる。


「ワン! ワンワンワンッ!」

(弾くな! 弾けばホールごと消し飛ぶぞ!)

ホームズはチェロの前に立ちはだかり、

激しく吠え立てる。しかし、クリスは

「退いてくれ、僕には演奏の義務が……」

とチェロに手を伸ばそうとする。


(言葉が通じない……! このままでは全員爆死だ。

どうする、シャーロック・ホームズ!?)


残り時間はあと3分。観客席からは、

開演を待つざわざわとした声が聞こえ始めている。

絶体絶命の瞬間、

ホームズはハート刑事のトレンチコートのポケットに目を向けた。


そこから覗いているのは、彼女がいつも持ち歩いている

「警察用の防犯ホイッスル(超高音が出るタイプ)」。


(ハート君、すまないが君のその『大雑把な行動力』に賭ける!)


ホームズはハートのポケットに飛びつき、

鋭い歯でホイッスルを咥え取ると、

それを床に落として前足で思い切り踏みつけた。


──ピーーーーーーーーッ!!!


ホール全体に、鼓膜を突き刺すような超高音のノイズが響き渡る。


「きゃっ!? 耳が痛い!」

ハートが耳を塞いだ瞬間、その超高音の振動が、

チェロの内部に仕込まれていた不完全な爆弾の信管を刺激した。


パキィィィン!!!


チェロの内部から、小さく爆発するような音が響き、

裏蓋の隙間からプシューと紫色の煙が吹き出した

。激しい破裂を免れ、不発のままガスが抜けたのだ。


「えっ……? チェロから煙が……?」

呆然とするクリスとハート。


(ふぅ……。ホイッスルの高周波で、

信管を強制的に暴発ショートさせた

。荒技だが、これしか手がなかったな)


ホームズは煤のついた鼻を鳴らし、ふうと息を吐いた。


「……あ! 分かったわ!」

ハートがポンと手を叩いた。


「このチェロ、不良品だったのね!

湿気で中が腐って煙が出たんだわ!

だからホームズは、

危険を知らせるためにホイッスルを鳴らしたのね!」


(……なぜそうなる、ハート君。

爆弾だ、爆弾。

まぁ、全員の命が助かったのだから、

その恐るべき勘違いには目を瞑ろう)


事件は未遂に終わり、

クリスは予備のチェロで無事に演奏会を終えることができた。


その夜。雨が上がったロンドンの街を、

ハート刑事はホームズを抱っこして歩いていた。


「今日も大活躍だったね、ホームズ。

あなたがホイッスルを鳴らさなきゃ、

あのイケメンチェリストの顔に煙が直撃するところだったわ」


(私の意図とは180度違うが、まぁいい……)


ホームズがふと夜空を見上げると、

水溜りに映る街灯の光の向こう

、劇場の屋根の上に、あの白猫のシルエットが見えた。

モリアーティは悔しがる風でもなく、

ただ静かに一礼するような仕草を見せ、闇へと溶けていった。


(モリアーティ……。奴のゲームは、

回を追うごとに過激になっている。

だが、次に仕掛けてくるのが何であろうと、

この私と──そしてこの奇妙な相棒が、必ず阻止してみせる)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ