Episode 40:前編
Episode 40:前編
「キャットウォークの監視人(W-A-T-C-H)――ロンドンの空を埋める1万の瞳」
誰も見上げない「特等席」からの視線
ロンドンの街並みを真夏の朝の光が照らす中、ベーカー街の作戦室にいるポケット・ビーグルのホームズは、窓の外の奇妙な光景に神経を研ぎ澄ませていた。
一見すると、いつもの騒がしい大都会の風景だ。だが、建物の屋根の縁、古びたレンガの突起、防犯カメラの真上、そして街路樹の枝の上――。人間たちが忙しなく足元を見て歩き去るその遥か頭上、ロンドン中の「キャットウォーク(高所の狭い足場)」という足場に、尋常ではない数の野良猫たちが静かに座り込み、じっと街を見下ろしているのだ。
(……ふむ。前回の1万缶のフードハイストで『猫の帝国』のインフラ(肉球グリッド)は物理的に破壊したはず。
だが、白猫は諦めていなかったな。奴はロンドン中の野良猫たちの『視覚』そのものをネットワーク化し、大英帝国の全土を網羅する、目に見えない高所監視システム(キャットウォーク・アイ)を完成させたのだ)
街を行き交う市民も、ヤードの一般的な警察官たちも、頭上の「猫の視線」など単なる日常の一部として完全に見過ごしている。
広報課のハナコ・ハート刑事も例外ではなく、
「今日のロンドンは本当に平和ね! 雲ひとつない青空で、お洗濯物がよく乾きそうだわ!」
と、デスクで書類にスタンプをポンポンと押し、鼻歌を交じりに完璧にリラックスしていた。
だが、ホームズの鋭いロジックは、頭上の猫たちが規則的に首を動かし、特定の「顔認識データ」をどこかへ送信している微弱な電波を完全に捉えていた。
ホームズのブロック配列と、バーバラの「素直な防犯解読」
「ホームズ様、ハナコ姉様! これ、さっきフロントの防犯モニターを見ていて気づいたべ。なんだか変だべ!」
お茶を運んできた臨時お手伝いのバーバラが、いつも通り素直で曇りのない視線で、持参したノートのスケッチをデスクに広げた。そこには、ヤードの周囲に配置された猫たちの位置が、精密な格子状にプロットされていた。
「猫たちが座っている場所、全部『街の防犯カメラの死角』ぴったりだべ。カメラが写せない路地裏や建物の隙間を、この猫たちが代わりにじっと監視してるみたいだべ!」
(素晴らしい着眼点だ、バーバラ君! 君の素直な観察眼は、白猫の仕掛けたパズルの核心を完璧に捉えている!)
ホームズは椅子からデスクへ飛び乗ると、アルファベットブロックを5つ、短い前足で猛スピードで並べ替えた。
[ W - A - T - C - H ](ウォッチ / 監視・時計)
(ハート君、バーバラ君。白猫の罠は、この『W-A-T-C-H』、すなわち高所キャットウォークに配置された1万匹の猫の瞳を連動させた**『広域生体追跡システム(キャット・ウォッチ)』**だ。ヤードの無線やGPSを欺いて移動する重要人物の動きすら、この猫たちの視線ネットワークに引っかかれば、リアルタイムで座標が白猫のメインサーバーへ筒抜けになる。この包囲網(監視網)を破らなければ、ヤードの隠密捜査は完全に無力化されるぞ!)
ハート刑事は、デスクに並んだ5つの文字を静かに見つめた。
大英帝国のプライバシーと治安の根幹を揺るがす、冷徹な電脳パズルだ。
「……なるほど。ウォッチ(W-A-T-C-H)。白猫は私たち警察の目を盗んで、ロンドンそのものを巨大なパノプティコン(全方位監視の檻)に変えようとしているのね。バーバラちゃんの言う通り、カメラの死角を埋めるための『猫の配置』だわ。これを一時的にでも遮断しなければ、私たちの次の捜査の『1手』がすべて先回りされて潰されてしまう!」
「そういうことだべ、ハナコ姉様!」
バーバラが素直にホームズのロジックをトレースする。
「猫たちの視線が交差する結節点があるはずだべ。そこを叩けば、この1万の瞳が一斉にブラインド(目潰し)になるべ!」
キャットウォークへの宣戦布告
(フッ……。完璧な監視網のようだが、高所から見下ろすシステムには、唯一の致命的な欠点がある。ハート君、バーバラ君、結節点の座標は確定した。ロンドン東部の古い繊維工場の巨大煙突のキャットウォーク――あそこに、白猫の『マスター・アイ』となるボス猫が潜んでいる!)
「ワン!」
ホームズの鋭い一鳴きに、ハート刑事がトレンチコートの襟を正し、ルブタン・スニーカーの真っ赤なソールをカチリと床に弾ませた。
「行くわよ、ホームズ、バーバラちゃん! ロンドンの空を白猫の監視の檻からノーリミッツに解放するわよ!」
「おうだべ!」とバーバラも力強く拳を握る。
ハート刑事の大ボケを完全に封印し、バーバラの素直なデータ分析と名探偵のロジックが完璧にシンクロした3人は、頭上から見下ろす1万の視線を打ち破るため、決戦の地へと向かってヤードを飛び出した。
(モリアーティ……。大英帝国の空を貴様のキャットウォークにはさせん。見下ろす瞳が万全ならば、こちらはその網膜を論理の光で焼き切ってやろう。チェックメイトの時間だ)
「ワン!」
真夏のロンドンの空に向かって、世界一知的な小さきポケット・ビーグルが、宣戦布告の声を高く響かせるのだった。




