Episode 36:前編
Episode 36:前編
「牧場の言語と、ブロックの沈黙(B-L-O-C-K)」
ホネホネビルのテナントを巡り、ハート刑事はかつてない気合を入れていた。
今回の出店希望者は、どれも一癖も二癖もある猛者たちばかり。
『ホームズシネマ』のシネフィル店主
『ホームズ書店』の偏屈な古書収集家
『ホームズ玩具店』の職人気質な機械技師
『ホームズCAFE』のこだわりのバリスタ
「ホームズ、今日は大事な商談よ。あなたの鋭いビジネスセンス(と、私の超翻訳)で、このホネホネビルを世界一のブランドビルにするわよ!」
ハート刑事は、相変わらず新聞紙とアルファベットブロックを抱えたホームズを連れ、ホネホネビルの管理人であるバーバラのもとを訪れた。
通じ合わない「牧場の会話」
「おぉぉ! ハナコ姉様に、ホームズ様だべ! 待ってたべ!」
バーバラは満面の笑みで一行を迎えた。彼女は、牧場で牛や豚、羊や牧童犬たちと四六時中過ごしていた。
彼女にとって動物と会話するのは呼吸をするのと同じ自然な行為だった。
「ホームズ様、昨日は夜更かししてブロックで何を描いてたんだべ? 難しいお話、たくさん聞かせてほしいべ!」
バーバラはホームズの目をじっと見つめ、まるで深い哲学を語り合うように頷き合う。
ホームズもまた、それに応えるように「クゥン」と小首をかしげる。
傍から見れば、完璧な「名探偵と管理人」の対話に見える。
(……いや、バーバラ君。君の言っていることは、羊の鳴き声のニュアンスに近すぎて、私の論理的思考には翻訳できない。……今はただ、ドーナツの脂っこさがビルに与える影響の確率論を考えているだけだ)
そう、ホームズは必死に頭を使っているが、ガジェットがない今、バーバラにはその複雑な計算式は伝わっていない。
バーバラはただ「ホームズ様は今日も静かに思索に耽っているべ」
と、勝手に解釈して満足しているだけだった。
テナント商談会、開始
ビルの一室に、4人の出店希望者が集まった。
ハート刑事は意気揚々と交渉を始める。
「さあ皆さん、ホネホネビルのコンセプトは『ロンドン最高峰のエンタメと癒やし』よ。家賃は高いわよ、でもそれに見合うホームズの経営指南(と私の腕っぷし)がついてくるわ!」
しかし、出店者たちは冷ややかだった。
「刑事さん、あんたが連れているそのビーグル犬が経営コンサルタントだって? 笑わせるな。この犬に何がわかるんだ?」
シネマの店主が嘲笑い、玩具店の主人は「この犬がブロック遊びをしている間に、うちの最新玩具の企画を通させてもらう」と強気に出る。
(……やれやれ。私の経営戦略を見くびるな。まずは『ホームズシネマ』の収支計画に、このホネホネビル独自の客層データを組み込む必要がある)
ホームズは新聞紙の上に、アルファベットブロックを滑らせる。
『P - R - O - F - I - T』(利益)
しかし――。
「……? 刑事さん、この犬が並べたのは『プロフィット(利益)』か? でも、ブロックの並びが逆さまだし、何より犬が並べた文字なんて、ただの子供のイタズラにしか見えないよ」
ホームズは青ざめた。ガジェットによる翻訳がない今、彼の緻密な戦略は「ただの犬のブロック遊び」として処理されてしまう。
バーバラだけは「ホームズ様は『プロフィット(牧場のプロがフィットする)!』って言ってるべ! このビルは牧場の相性抜群だべ!」と的外れな大盛り上がりを見せている。
天才の「ブロック・プラン」
(……状況は最悪だ。このままでは、ただの『可愛いだけのビーグル』として、無意味なテナント契約をさせられてしまう。ハート君、私の「経営の真髄」を読み取れ!)
ホームズは、残された最後のアルファベットブロックを床に広げた。
それは、彼がシネマ、書店、玩具、カフェのすべてを一瞬で再編する、驚異的な収益化プランの頭文字。
[ S - Y - N - E - R - G - Y ]
しかし、床に広がるのは、バラバラに散らばったアルファベットの羅列。
出店者たちの目は、冷たい。
「おいおい、刑事さん。そろそろ帰ってくれないか? この犬のブロック遊びに付き合ってる暇はないんだ」
(……違う! それはシナジーだ! 4つの店舗を相互リンクさせ、ホネホネビルを巨大な循環型経済モデルにするための……!)
ホームズの喉から、言葉にならない悔しい唸り声が漏れる。
その時、バーバラがホームズのブロックをパッと手に取り、適当に並べ替えた。
「ホームズ様は『おやつ(SNACK)』が食べたいんだべ! みんな、商談は一旦休憩だべ! 手作りのミルクドーナツを振る舞うべ!」
「おお、それはいい!」
商談の空気が、台無しになっていく。
ホームズは、自ら組んだ完璧な収益モデルのブロックが、バーバラの無邪気な手によって「SNACK」という単語に書き換えられるのを、ただ呆然と見つめるしかなかった。
(……天才の孤独とは、まさにこのことか。だが、まだだ。この「おやつ(SNACK)」という言葉に、私の最後の反撃の論理を組み込んでやる……!)




