Episode 30:後編
Episode 30:後編
「エレガント・ステップの交差点と、街角のチェックメイト(S-A-F-E)」
ランウェイの上の暴走車
「ロンドン市民の皆さん! 目を離しちゃダメよ、これがヤードの『魅せる交通安全』なんだから!」
突っ込んでくるスポーツカーのヘッドライトに照らされながら、ハート刑事は初夏の風を全身に受けて跳躍した。彼女の脳内では、暴走車の時速、タイヤの摩耗度、そして風向きに至るまでのすべてのデータ(写真記憶)が完璧なランウェイの背景へと変換されていた。
運転手はスマホを放り出し、フロントガラス越しに目を見開いて絶叫した。
「な、なんだあの女は!? 赤信号の真ん中で踊りながら突っ込んでくるぞ!?」
(ハート君、右前輪のサスペンションが軋んでいる! 奴が急ハンドルを切るコンマ3秒前、その風圧を利用して歩行者を巻き込みながらステップを踏むんだ!)
「ワン! ワンワンッ!」
ハート刑事の耳のインカム(バグり散らしたヤード新型マイク)には、ホームズの的確なナビゲーションが、周囲の歓声と混線して最高にロックなクラブミュージック風に翻訳されて響いていた。
『――翻訳:ヘイ、マイ・シスター! 次のコーナーで最高のターン(回避)を決めてくれ! 観客のハートをドライブ(逮捕)する時間は今だ!――』
「オッケー、ホームズ! あなたの熱いファンク、確かに五感でシノプシスしたわ!」
前足の交通管制
(言葉の意味は分からんが、とにかくやるしか無い! 私はあのアスファルトの油分を計算して、車体の挙動を制御する!)
ホームズはハートの腕の中から弾丸のように飛び出すと、交差点の隅に設置されていた「ヤード直轄・新型スマート交通信号制御ボックス」へと突進した。小さな警察帽を投げ捨て、ポケット・ビーグルならではの器用さで、ボックスのメンテナンス用タッチパネルに前足を叩きつける。
ホームズは素早く、路面の危険信号を全方位に発信するためのコードを打ち込んだ。
[ S - A - F - E ](安全)
(この交差点の全信号を『緊急全面赤』に変更し、後続車の追突を防ぐ!)
しかし、このハッキング画面が、またしても街頭の「交通量調査用デジタルサイネージ(巨大電光掲示板)」にリアルタイムでミラーリングされてしまった。
空中で1回転ひねりの跳躍を見せていたハート刑事は、逆さまになった文字を瞬時に網膜に焼き付ける。
「『E』『F』『A』『S』……エファス! 顔面直撃! ……あーーーーっ!」
ハート刑事のポニーテールが、ロンドンの空に美しい弧を描く。
「分かったわ、ホームズ! これは、暴走車の『E』『F』『A』『S』……つまり、**『フロントグリルの真ん中をキックの衝撃で粉砕して物理的にエンジンを止めろ
(EFAS)』**っていう、スタイリッシュな制動コマンドね!?」
(違う! 逆から読むな! 『SAFE』だと言っている! ……だが待て。あのスポーツカー、フロントのラジエーターコアが完全に露出している。あそこへ彼女の常軌を逸した脚力が直撃すれば、エンジンブロックが瞬時に停止し、車体はスピンすることなくその場でロックされる……! ハート君、君のフェイス・アタック妄想は狂気の極みだが、破壊すべき物理的弱点の選定だけは、やはり世界一の名探偵(私)と寸分の狂いもない!)
エレガント・フィナーレの一撃
「これでおしまいよ! 速度超過(スピード違反)のドレスコードは、ヤードじゃ通用しないんだから!!」
ハート刑事は、スポーツカーのボンネットが鼻先を掠めるコンマ数秒の瞬間、横断歩道でへたり込んでいた老人と子供を両腕でフワリと抱きかかえ、そのまま空中へ舞い上がった。
二人を安全な歩道へと優しく「着地」させたその戻り足。
彼女は驚異的な体幹のバネを使い、空中で体を反転させると、暴走車のフロントグリルのど真ん中へ向けて、容赦のないヒールキックを**「てりゃぁぁぁーーーーっ!!!」**と叩き込んだ!
バリバリバリシャーーーン!!!
ハートの強烈な一撃が、スポーツカーのエンジンフードを紙細工のように陥没させる。同時に、ホームズが信号制御ボックスから送った緊急ロック信号により、車のABSが強制作動。
鉄の塊は、歩行者に1ミリも触れることなく、激しい白煙を上げて「スン……」とその場に完全停止した。
交差点に、奇妙な静寂が訪れる。
数秒後、大破したスポーツカーの運転席から、スマホを握りしめたまま気絶した犯人(前方不注意の危険運転致死傷未遂)がドサリと転がり落ちた。
パチ……パチパチパチパチ!!!!
「ブラボー!!」「なんて素晴らしい交通安全スタントなんだ!!」
周囲で見守っていた何百人ものロンドン市民、そして観光客たちが、これがヤードの「体験型ハイパー交通安全アトラクション(新作の広報ポスター用)」だったのだと完全に勘違いし、交差点は割れんばかりの歓声とフラッシュの嵐に包まれたのだった。
青空の下の安全地帯
ヤードの科学捜査班が開発した新型ワイヤレスマイクは、キックの衝撃の風圧で跡形もなく吹き飛んで粉砕され(ホームズがこっそり踏み潰した)、今回の「大暴走街頭事件」の手口は、ヤードの広報日誌に『ハート刑事の美しき機転による、一人の負傷者も出さない完璧な交通指導』として永久保存されることになった。
事件解決後、初夏の青空が広がるロンドンの交差点。
今回もまた、あの白い宿敵のオッドアイはどこにもなかった。人間の不注意と、それを超絶技巧で解決したバディの、純粋な正義の1ページだった。
「いやー、今日の『エレガント・フェイス・アタック・ショー(EFAS)』は最高だったわね、ホームズ! ほら見て、街頭の電光掲示板、私たちの写真で『ロンドン一安全な街』って大バズりよ!」
ハート刑事がホームズを抱き上げ、小さな警察帽を再びその頭に優しく乗せる。
(……やれやれ。私の緻密なハッキング(SAFE)が、君の脚力にかかると『物理的粉砕(EFAS)』に翻訳されてしまう。だが……市民の命が救われ、この街に本当の『安全』が戻ったのなら、名探偵の広報活動としては、100点満点をくれてやってもいいかね、ハート君)
ホームズは小さな警察帽のツバを前足でキュッと直すと、カメラを向ける子供たちに向かって、誇らしげに胸を張った。
「ワン!」
と、機械の翻訳を通さない、世界で一番凛々しい生の声で一鳴きする。
夏の光がロンドンの街角を眩しく照らす中、凸凹バディの足音は、どんな信号機よりも正しく、未来の平和へと進んでいくのだった。




