Episode 29:後編
Episode 29:後編
「センターポジションの電脳戦と、世紀のアイドル・チェックメイト(A-I-D-O-G)」
暴走のライブステージ
「皆さん、落ち着いて! 今から『AI-DOG』の電撃デビューライブを始めるわよ!」
ハート刑事が中央特設ステージのど真ん中に飛び降りた。会場中の大型モニターには、未だにバグったAI翻訳機が弾き出す『高級クッキーを要求する凶悪テロリスト犬・ホームズ』の顔がデカデカと映し出されている。
そんなこととは露知らず、ハート刑事の耳のインカム(超試作機)には、ホームズの焦りと怒りの唸り声が、最新AIの手によってさらにアイドル風に超翻訳されて響いていた。
(ハート君! 早くステージの下の配線を引き抜くんだ! 翻訳機のBluetoothが混線して、私の脳細胞まで狂いそうなんだ!)
「ワン! ワンワンッ!」
『――翻訳:ヘイ、そこのハニー! 僕たちのビートは誰にも止められない! さあ、ステージのボルテージを最高潮(爆破)に引き上げようぜ!――』
「オッケー、ホームズ! あなたの熱いパッション、確かに受け取ったわ!」
ハート刑事は拳を握りしめ、ステージのスポットライトを浴びながら、写真記憶に刻まれた「ヤード式逮捕術・基本ステップ」を華麗なダンスのようになぞり始めた。
前足のハッキングと、狂った翻訳
(話を聞けぇぇぇ! 私はパッションなど放っていない! ……くそ、こうなれば私が直接システムを止める!)
ホームズはハートの腕からすり抜けると、ステージの床に設置された「保守用コントロールパネル」の隙間へと滑り込んだ。ポケット・ビーグルならではの柔軟な肉体。隙間の奥には、会場の全システムを制御するメインサーバーの光回線がとぐろを巻いている。
ホームズは耳のウェアラブルイヤホンマイクのノイズに耐えながら、前足で器用にパネルのタッチスクリーンを操作し、最後のアルファベットを画面に打ち込んだ。
[ A - I - D - O - G ](AI-DOG / 犬型AIシステム)
(この『AI-DOG』のプロセス自体を完全強制終了する!)
しかし、この画面がまたしても会場の巨大スクリーンにミラーリングされてしまった。
ハート刑事は激しいステップを刻みながら、逆さまの文字をスキャンする。
「『G』『O』『D』……『I』『A』。ゴッド・アイ・エー……!? あーーーーっ!」
ハート刑事のポニーテールが、電子の嵐の中で激しく踊る。
「分かったわ、ホームズ! これは、全ロボットを支配する**『電脳の神(GOD)』**の降臨を阻止するために、中央のメイン光ケーブル(センター)を一撃でブチ切れっていう神託ね!?」
(違う! 逆から読むな! 『AI-DOG』だと言っている! ……だが待て、中央のメイン光ケーブルを切断すれば、確かにこの狂ったAIシステムも、混線している会場のスピーカーも、すべて一瞬で完全沈黙する。ハート君、君の『ゴッド翻訳』はもはや人類の言語の限界を超えているが、破壊すべきターゲットの選定だけは、やはり世界一の名探偵(私)と完全に一致している!)
コンマ秒のライブ・フィナーレ
「これでおしまいよ! 暴走AI、アンコールは無しよ!!」
ハート刑事はステージの床を思い切り踏み抜くと、その恐るべき体幹から、重力を無視したような跳躍を披露した。
お掃除ロボットたちの突撃を空中できらびやかにかわし、着地の勢いのまま、ステージ中央の強化プラスチック製の床パネルを
**「てりゃぁぁぁーーーーっ!!!」**と容赦ない踵落としで粉砕!
バリバリバリシャーーーン!!!
床下に剥き出しになった、太いメイン光ケーブルの束。
そこへ、ホームズがすかさず滑り込み、鋭い名探偵の牙で、大元の電源供給カプラーをパチンと弾き飛ばした!
スパーク!!!
一瞬にして会場のすべての明かりが落ち、暴走していたお掃除ロボットたちも「スン……」と音を立ててただの四角い箱に戻った。大型スクリーンからホームズのテロリスト顔が消え、静寂が訪れる。
数秒後、予備電源が立ち上がり、会場に優しいキャンドル色のライトが灯った。
何千人もの観客が見守る中、破壊されたステージの穴から、ハイビスカス柄のドッグウェアを着た可愛い子犬を小脇に抱えた、凛々しい美貌のハート刑事がゆっくりと立ち上がる。
パチ……パチパチパチパチ!!!!
観客たちは、これが最新のAI技術を使った「体験型の防犯シミュレーション・エンターテインメント・ライブ」だったのだと完全に勘違いし、会場は割れんばかりのスタンディングオベーションに包まれたのだった。
宿敵のいない空に、新しいバディのカタチ
ヤードの科学捜査班が開発した超試作翻訳機は、木っ端微塵に噛み砕かれ(ホームズの仕業)、今回の「大バグ事件」の手口は、科学班のレポートに『予期せぬ超翻訳の共鳴による奇跡の解決』として記録された。
展示会の帰り道、夕暮れのテムズ川沿いを歩く二人。
今日は、あの白い宿敵のオッドアイはどこにもなかった。科学の暴走という、現代社会が生んだ純粋なトラブルだった。
「いやー、最新のイヤホンマイク(AI-DOG)はすごかったわね! あなたの声が『ハニー!』とか聞こえた時は、ちょっとドキッとしちゃったわ!」
ハート刑事がフフッと笑いながら、ホームズの頭を優しく撫でる。
(……やれやれ。機械の力など借りずとも、私の魂の咆哮は、君のその狂った妄想力(超翻訳)によって、いつもミリ単位の精度で現実の正義へと変換されている。科学の進歩など、私たちのバディシップの前には形無しだな)
ホームズは耳の後ろを前足でポリポリと掻くと、首輪の通信機を完全にポケットにしまい込んだ。
「ワン!」
と、いつもの、機械を通さない、世界で一番知的な生の声で一鳴きする。
大英帝国の首都に夜の帳が降りる中、凸凹バディの足音は、テクノロジーの未来よりも明るく、しっかりとロンドンの石畳を叩くのだった。




