Episode 28:後編
Episode 28:後編
「逆さ文字のクロック・タワーと、コンマ5秒のチェックメイト(T-I-M-E)」
崩壊したタイムライン
「な、なぜそれを……! なぜ僕たちが時計の針を『巻き戻した』と分かったんだ!」
執事は自分の口を両手で塞いだが、時すでに遅かった。ホームズの首輪のバグによる「二重の咆哮」が、完璧だったはずのアリバイに決定的な亀裂を入れてしまったのだ。
「ワン!……ワン!(往生際が悪いぞ、犯人はお前たちだ!)」
再び重なって響く二重音声。
コンマ5秒遅れて届く電子の残響が、まるで嘘を見透かす裁判官の宣告のように応接室に冷たく響き渡る。
「ひぃっ! その『二重の証拠』を突きつけられては、もう言い逃れできない! 逃げるぞ!」
観念した執事と共犯の警備員は、テーブルを派手にひっくり返すと、美術品が隠されている屋敷の時計塔へと走り出した。
「待ちなさい! 殺人電磁波の首謀者たち、現行犯でタイホよ!」
ハート刑事も即座に反応し、ポニーテールを揺らして後を追う。
タブレット盤面の「逆転劇」
逃げ込んだのは、屋敷の最上階にある巨大な歯車が噛み合う時計塔。
犯人たちは、すでに盗み出していた絵画や彫刻を詰め込んだ大きなトランクを抱え、非常階段から逃走を図ろうとしていた。
「ホームズ、敵は時計の文字盤の裏よ! でも、歯車の回転が速くて近づけないわ!」
(ハート君、慌てるな。私の前足を見てみろ!)
ホームズは、前足に固定されたタッチペンシルで、手元のタブレット画面に素早く指示を書き殴った。
[ T - I - M - E ](時間)
そして、今度はタブレットの画面をあえて**「ハナコから見て逆さま(上下反転)」**にして突きつけた。
ハート刑事の写真記憶が、逆さまになった『T-I-M-E』をスキャンする。
「『E』『M』『I』『T』……エミット! 放射する! ……あーーーーっ!」
ハートは脳内で文字を180度回転させ、時計塔の巨大な文字盤の裏側とシンクロさせた。
「分かったわ、ホームズ! 文字盤の『E(3時)』『M(移動)』『I(1時)』『T』……これ、時計の針を**『1時から3時の方向へ強制的に進めろ(EMIT)』**っていう、歯車停止の裏コマンド(物理)のサインね!?」
(違う! 普通に『TIME』を逆から読んだだけだ! ……いや、待て。1時から3時の方向にあるレバー……あれは、時計塔の『緊急保守用ブレーキレバー』だ! ハート君、君の逆立ち超翻訳はもはやオカルトだが、構造的な弱点を見抜く目だけはノーベル賞級だ!)
コンマ5秒の突撃
「てりゃぁぁぁーーーーっ!!!」
ハート刑事は躊躇なく跳躍すると、文字盤の3時の位置にある巨大な鉄製レバーを全力で引き下げた。
ガガガガガシャーーーン!!!
猛烈な火花を散らしながら、時計塔のすべての歯車が急停止する。通路を塞いでいた障害物が消え、犯人たちの退路が完全に断たれた。
「バ、バカな! 我々の完璧な『時間トリック』が……!」
追い詰められた執事が、最後の悪あがきとばかりにトランクを振り回してハートに殴りかかろうとした。
(ここで決めるぞ、ハート君! 音声のズレを攻撃に変えるんだ!)
「ワンッ!」
ホームズが叫ぶ。その直後、首輪のスピーカーから、コンマ5秒遅れて爆音の電子音声が放たれた。
『ワンッ!!!』
時間差で響いた超至近距離の二重咆哮は、時計塔の狭い空間で反響し、犯人たちの鼓膜と三半規管を完全にマヒさせた。
「うわあああ! 耳が、耳がズレる――!?」
犯人が完全に隙を見せた、そのコンマ5秒の瞬間。
「これで……ゲームオーバーよ!!!」
ハート刑事の、軸足が1ミリもブレない完璧な上段後ろ回し蹴りが、執事の顔面にクリーンヒット。さらにその勢いのまま、警備員の腹部へ強烈な前蹴りが炸裂した。
ドガッ、バキッ、ドカシャーン!
犯人たちは美術品のトランクもろとも床に転がり、あえなく御用となった。
嘘の晴れた時計塔で
すべての美術品は無傷で回収され、大富豪の屋敷に本当の「正しい時間」が戻ってきた。
執事たちが仕組んだ「時計の針を巻き戻す」という小細工は、ホームズの機械のバグによる「ズレ」と、ハート刑事の「逆さま写真記憶」という、予測不可能なふたつのイレギュラーによって完全に粉砕されたのだ。
事件解決後、夕暮れの時計塔の窓辺で、ホームズは自らの首輪の電源をオフにした。
今日は、あの白い宿敵の影はどこにもなかった。本当に、ただの人間の欲が生んだ事件だった。
(フッ。モリアーティ、貴様が不在でも、ロンドンの街には退屈しないだけの謎がある。そして、この相棒がいる限り、どんな嘘のタイムラインも瞬時にひっくり返してみせるさ)
「すごかったわね、ホームズ! あなたの音声バグと私の逆さま翻訳が合わさったら、どんな殺人電磁波もイチコロね! ヤードに戻ったら、広報課の最新機材を全部逆さまに設置しましょ!」
ハート刑事がホームズを抱き上げ、満面の笑みで鼻先をツンツンと突っつく。
(……それだけは絶対にやめてくれ、ハート君。文字を普通に読むという人類の基本を失わないでほしいのだよ……)
「ワン」と、今度はズレのない澄んだ声で一鳴きする名探偵。
大英帝国の夕日を浴びながら、凸凹バディの固い絆と、少しばかりおかしな論理は、ロンドンの街にまたひとつ、確かな平和を刻むのだった。




