Episode 24:その2
Episode 24:その2
「北アイルランドの黒い霧と、古城の密室(C-A-S-T-L-E)」
豪華客船からの生還と、緑の魔宮
(……生き、返った……。大地の固さ、なんと素晴らしいことか……)
アイルランド海の荒波と、ハート刑事の親切心という名の「地獄のダンスフロア」から5回連続で生還したホームズは、北アイルランドの港に降り立ち、涙ぐみながら地面の草の匂いを嗅いでいた。やはり犬たるもの、四肢はしっかりと大地についていなければならない。
港には、ハナコの実家である「ハート財閥」が手配した黒塗りの高級リムジンが待機していた。
車窓から見えるのは、広大な緑の丘陵地帯と、その奥にそびえ立つ中世の面影を残した巨大な古城──ハート家の本邸、**【ブレイズ・キャッスル】**である。
「パパー! ママー! ただいまー!」
リムジンから飛び出したハート刑事を出迎えたのは、英国風の仕立ての良いツイードジャケットを着こなした、いかにも厳格そうなアイルランドの大富豪、ハナコの父・エドワードと、気品あふれる母だった。
「よく帰ったな、ハナコ。ロンドンでの活躍は聞いているぞ。……ふむ、それがヤードの総監も絶賛したという、お前の『相棒』か」
エドワードがモノクル(片眼鏡)越しにホームズを鋭く見下ろす。
ホームズはポケット・ビーグルの小さな体を精一杯伸ばし、英国紳士としての完璧な一礼(お座り姿勢)を決めた。
(初めまして、エドワード殿。大英帝国の名探偵シャーロック・ホームズだ。……む? この城の空気……ただの古いカビの臭いではないな。微かに、だが確実に**『高級ウイスキーの樽から漏れ出たアルコール』と『最新の電子基盤』**のオゾンの臭いが混ざり合っている)
古城の密室と、引き裂かれた家宝
旅の疲れを癒やす暇もなく、事件は古城の最深部で起きた。
「何ということだ……! 先祖代々伝わる『ハートの聖杯』の展示ケースが……!」
エドワードの悲鳴が、石造りの広間に響き渡る。
そこは、厚さ50センチの強固な石壁に囲まれ、窓にはすべて頑丈な鉄格子がはめられた、城の中で最も安全なはずの「密室の宝物庫」だった。
扉の鍵はエドワード自身が厳重に管理していたというのに、中央のガラスケースが見事に破壊され、数億円の価値があると言われるダイヤ散りばめられた黄金の聖杯が、跡形もなく消え去っていたのだ。
現場の床には、破壊されたガラスの破片とともに、犯人がわざと残していったらしい「焦げ茶色の煤」で、何らかの文字が殴り書きされていた。
[ C - A - S - T ]
「これは……! 我がハート家を呪う、いにしえの幽霊の仕業に違いない!」
青ざめるエドワード。
(フッ、幽霊な訳があるまい。この煤の正体は、12年物のアイリッシュ・ウイスキーの樽を急激に炭化させたものだ。そして、この文字……これは単なるオカルトの呪詛ではない。犯人が、この城の構造そのものを利用したハッキングのサインだ!)
ホームズは宝物庫の床を駆け回り、ハート刑事の靴を甘噛みして、宝物庫の壁に隠された「古い暖炉の排気口」へと誘導しようとした。
「ワン! ワンワンッ!」
バディの歴史ロマン超翻訳
「『C』『A』『S』『T』……キャスト。配役、あるいは投げかける……。……あーーーーっ!」
ハート刑事は床の煤の文字を見つめ、ハッと目を見開くと、実家の古城の天井を見上げて胸を熱くした。
「分かったわ、ホームズ! これは、この古いお城を舞台にした、先祖代々の**『歴史スペクタクル演劇(CASTLE)』**の開幕ベルよ!」
(なぜだぁぁぁーーー!! 聖杯が盗まれた現場で、なぜ『お家騒動の舞台劇』が始まってしまうんだ!!)
「確かにさっき、パパの書斎のスケジュール帳(写真記憶)で『今夜、親族を集めたホリデー歓迎の晩餐会(キャスト紹介)を行う』って書いてあるのを見たわ! あなた、その晩餐会を盛り上げるために、私たちが主役として、この宝物庫の幽霊を退治するサプライズ演出をしろって言ってるのね!?」
ハートは感動のあまり、ホームズをツイードの衣装(実家用に新調された緑のチェック柄)ごと小脇に抱え、古城の入り組んだ地下通路へと猛然と走り出した。
(違う! 演劇ではない! 暖炉の排気口だと言っているんだ! ……だが待て、地下通路の奥にあるのは、ハート財閥が所有する『ウイスキーの巨大貯蔵庫』ではないか!? 犯人がウイスキーの煤を残した理由……まさか、奴らの逃走経路はそこか!)
ハートの狂った妄想力による爆走は、奇跡的かつミリ単位の精度で、聖杯を盗み出した真犯人の背後へと、まっすぐに突き進んでいくのだった。
琥珀色の迷宮と、白い観客
地下のウイスキー貯蔵庫。そこには、数千樽のウイスキーが並ぶ闇の中で、盗み出した『ハートの聖杯』を特殊な精密カッターで解体し、埋め込まれたダイヤだけを密輸しようとしていた、ハート家の古参の執事の姿があった。
「ひひひ、この聖杯のダイヤさえあれば、お前のような世間知らずの令嬢に仕える日々ともおさらばだ……」
「そこまでよ! ハート家のキャストは、身内の裏切りを許さないわ!」
ハート刑事が闇を切り裂いて突入する。驚いた執事は、精製用の高周波カッターをハサミのように振り回し、ハートに襲いかかった。
(ハート君、危ない! 樽の隙間から回り込むんだ!)
「ワンッ!」
ホームズはハートの小脇からロケットのように飛び出すと、チェック柄の衣装の軽さを活かしてウイスキー樽の山を縦横無尽に跳躍した。
ポケット・ビーグルのサイズだからこそ通れる、樽と樽のわずか15センチの隙間。
ホームズは執事の背後に回り込むと、彼のツイードのズボンの裾を力いっぱい引っ張った!
「うわっ!? なんだこの犬は!?」
執事が体勢を崩した瞬間。
「てりゃぁぁぁーーーーっ!!!」
ハート刑事の容赦のない、古城の石柱をも砕かんばかりの上段回し蹴りが、執事の顎にクリーンヒットした。
ドガシャーーーン!!
執事はウイスキーの空樽の山に突っ込み、そのまま目を回して御用となった。
聖杯は無事に奪還され、ハート家の名誉は守られた。
事件解決の直後、ホームズが貯蔵庫の天井近くにある、月明かりが差し込む小さな換気窓を見上げると──
そこには、ウイスキーの琥珀色の蒸気が漂う闇の中、冷たい鉄格子の隙間に美しく腰掛ける、一匹の白猫の姿があった。
奴は、北アイルランドのこんな辺境の古城にまで先回りし、ホームズが「船酔い」を克服してどんな推理を見せるのかを、ただ楽しむためだけに潜んでいたのだ。オッドアイが怪しく光り、白猫は「まずは1勝だね」とでも言うように静かに首を傾げると、夜の霧の中に溶けるように消え去った。
(モリアーティ……この地をホリデーの舞台に選んだ時から、貴様との『小さなゲーム』はすでに配役されていたというわけか。
いいだろう、アイルランドの豊かな自然の中で、どちらの知性が勝るか、とことん試してやろうじゃないか)
「やったわねホームズ! パパもママも大喜びよ! 今夜の晩餐会は、最高のウイスキーで乾杯ね!」
ハートがホームズを抱き上げ、頬ずりをして笑う。
(……ウイスキーの匂いは、今は少し勘弁してくれたまえよ、ハート君。まだ少し、船の揺れが残っているのだから……)
「ワン」と少し弱々しく、しかし知的に鳴く名探偵。
大富豪の実家で幕を開けた特別休暇は、さらなる「奇妙な事件」の香りを漂わせながら、その夜を深く更けさせていくのだった。




