Episode 24:その1
Episode 24:その1
「豪華客船のロイヤル船酔い(S-E-A-S-I-C-K)」
栄光の特別報奨休暇
国王陛下の王冠を守り抜いた。
前代未聞の国事での大手柄により、ハート・ハナコ刑事にはヤードの総監から直々に**「特別報奨休暇」**が与えられた。
「やったわホームズ! 臨時のボーナスも出たし、今年のホリデーは私の実家に帰省するわよ! 私のパパとママに、世界一の相棒を紹介しなくちゃ!」
ハート刑事の実家──それは、霧のロンドンから遥か海を越えた、独自の自然と歴史遺産が残る北アイルランドの広大な領地を持つ大富豪だった。
ロンドンの港には、ハナコの実家が手配したプライベート超豪華客船が停泊していた。
タキシードを着たクルーたちが、国旗柄のドッグウェアを着たホームズをうやうやしく迎え入れる。
(フッ、国事犯を捕らえた報酬が、アイルランド海を巡る豪華クルーズとは悪くない。大英帝国の名探偵にふさわしい優雅な旅路──)
カラン、コロン。
船が港を離れ、波に揺られたその瞬間だった。
(……む? なんだ、この内臓が上下にひっくり返るような奇妙な感覚は……)
名探偵、波飛沫に散る
ズゥゥゥン……。ウプッ。
ホームズは忘れていた。
自分が現在、人間の180センチ超の屈強な肉体ではなく、体重わずか数キロの**「ポケット・ビーグルの子犬」**であることを。
三半規管の小ささも子犬サイズ。さらに犬の超鋭敏な五感は、船のディーゼルエンジンの微細な振動と、アイルランド海の荒波の揺れを「地球の崩壊」レベルの衝撃として脳細胞にダイレクト伝達してしまったのだ。
(あ、ありえん……。この私が、たかが船の揺れごときに……ウプッ、頭脳が……記憶の宮殿が……激しくローリングしている……!)
「キャン(情けない声)」
ホームズは豪華なベロアのソファーから床へとずり落ち、文字通り白目を剥いて四肢をピンと伸ばしたまま、絨毯の上をごろごろと転がった。完全なる**「猛烈な船酔い」**である。
紳士としての尊厳は、アイルランド海の波飛沫とともに虚空へと霧散した。
バディのトロピカル・バカンス超翻訳
「キャー! ホームズ、どうしたの!? 床にへばりついて……」
キッチンから特製の帰省祝いケーキを持ってきたハート刑事は、床でグロッキーになっている愛犬を目撃し、その場に硬直した。
彼女の「写真記憶」のレーダーが、ホームズが苦し紛れに前足で床の絨毯を引っ掻き、偶然残した「4つのアルファベットの跡」を脳内にスキャンする。
[ S - I - C - K ](シック / 吐き気・病気)
「『S』『I』『C』『K』……シック。……あーーーーっ!」
ハートはケーキのお皿を放り出し、顔を輝かせて叫んだ。
「分かったわ! あなた、船の揺れに合わせて全身でダンスを踊りながら、南国の**『トロピカル・ミュージック(SEASICK)』**を楽しみたいのね!?」
(なぜだぁぁぁーーー!! 死にかけている犬の SOS サインが、なぜ君の脳内を通ると『陽気なクルーズ・ダンス』に変換されるんだ!! ウプッ……!)
「確かに少し前に、旅行雑誌(写真記憶)で『アイルランド海を行く豪華客船では、大音量のダンスミュージックで船酔いを吹き飛ばすのが大流行!』って記事を見たわ! あなた、私を退屈させないために、必死にノリノリのポーズを取ってくれてたのね!? なんて健気な犬なの、ホームズ!」
ハートは感動のあまり、ぐったりしたホームズを抱き上げると、船のダンスフロアのスピーカーの真ん前へと連れていき、アップテンポな音楽に合わせて彼の前足を掴んでブンブンと激しく揺らし始めた。
(やめてくれぇぇぇ! 振動が、重低音が、私の胃袋の最終防衛ラインを突破しようとしている!! ハート君、頼むから静かに寝かせてくれ……!)
荒波の向こうの白い影
ズンチャチャ、ズンチャチャ♪
大音量の音楽に揉まれながら、ホームズが限界を迎えたその時。
船のラグジュアリーな窓枠の向こう、白く泡立つアイルランド海の荒波を激しく浴びる甲板の手すりの上に、ふと**「一匹の白い影」**が視界をよぎった。
激しい船酔いの朦朧とした意識の中で、ホームズはその姿を確かに捉えた。
塩のカーテンの向こう、波しぶきを一切浴びない完璧なバランス感覚で立ち、こちらのダンスフロアの生き地獄を、オッドアイを細めて愉快そうに見つめている──白猫モリアーティの姿を。
(モリアーティ……貴様、船酔いもしないのか……。くそ、この勝負、私の完全な、敗北、だ……ウプッ)
白猫はホームズの哀れな姿に満足したようにフッと喉を鳴らすと、そのまま荒波の霧の向こうへと、幻のように消え去っていった。
「さあホームズ! ダンスの後は、実家のパパが持ってるプライベート・ビーチで5回連続のサップ(SUP)体験よ!」
ハート刑事が満面の笑みでホームズを掲げる。
(ご、5回連続だと……!? 船の次はボードか……。モリアーティとの決戦の前に、私はアイルランド海で胃袋が消滅するかもしれん……)
こうして、名探偵にとって、これまでのどの凶悪事件よりも過酷で「揺れ動く」特別休暇が、幕を開けるのだった。




