Episode 23:後編
Episode 23:後編
華やかなパレードが終わりを告げ、国王陛下の馬車がバッキンガム宮殿へと帰還した。
熱狂の余韻が残る宮殿の東棟ホール。厳重な警備のもと、パレードで使われた本物の王冠が、一時的にベロアのクッションの上に安置されていた。
ハート刑事の礼服の内ポケットから、ホームズは鼻先だけを突き出して周囲の匂いを識別していた。
(……張り詰めた空気。だが、私の鼻は騙せん。この部屋の中に、宮殿の衛兵の制服に塗られたウール用洗剤の匂いに混じって、ごく微かに**「宝石用接着剤」**の甘い溶剤の臭いが漂っている!)
その時、一人の衛兵が王冠の点検と称してクッションへと近づいた。
彼の袖口から、今朝盗まれたはずの「レプリカのダイヤモンド」が滑り落ちようとしている。
(ビンゴだ! 奴が内部に潜むすり替え犯だ!)
「ちょっと、そこのあなた! 動きを止めなさい!」
ハート刑事が鋭く声を上げた。
驚いた偽衛兵は、本物の王冠をひったくり、窓を破って宮殿の中庭へと飛び降りた。
「待てぇーーーっ!」
ハートも迷わず窓から中庭の芝生へと飛び降りる。
広大な宮殿の庭園は、美しく整えられた巨大な生垣の迷路になっていた。
入り組んだ緑の壁の向こうへ、犯人の足音が消えていく。
「どっちに逃げたの!? 霧で見えないわ!」
(ハート君、焦るな! 今朝の案内板の文字を思い出すんだ!)
ホームズはポケットの中から「ワン! ワンッ!」と吠え、ハートの胸元を鼻先で突いた。
彼女の驚異的な「写真記憶」の回路が高速で回転を始める。
今朝ホームズが並べ替えた『C-R-O-W-N』の文字、そして彼女がパンフレットで見た「バッキンガム宮殿・伝統の王冠の装飾デザイン図」が、目の前の生垣の構造と脳内で完全にオーバーレイした。
「……あ! 分かったわ!」
ハートが叫んだ。
「あの文字の並びと王冠のアーチの曲線……これ、この庭園を上空から見たときの**『緊急脱出ルートの分岐パターン』**と完全に一致しているわ! 犯人は王冠の形をトレースするように、右、左、そして中央の噴水へと向かっているんだわ!」
(素晴らしい! 宮殿の構造図と王冠のデザインを結びつけるとは、相変わらず狂気じみた超解釈だが……ルートは完璧だ!)
「そこよっ!!」
生垣の迷路を最短距離で突き抜けたハートは、中庭の中央にそびえる大噴水の前に先回りし、犯人の行く手を完全に塞いだ。
「おのれ、なぜ先回りを……! 寄るな、この王冠を叩き割るぞ!」
追い詰められた犯人は、至宝『アフリカの星』が輝く王冠を掲げ、噴水の縁に叩きつけようと脅してきた。
下は硬い大理石だ。
下手に飛びかかれば、ダイヤモンドに傷がつくか、最悪の場合、欠けてしまう。
ハートが動きを止めた、その一瞬の隙。
(大英帝国の至宝を、貴様のような小悪党に傷つけさせはせん!)
「ワンッ!!!」
ハートの礼服のポケットから、国旗柄のドッグウェアをまとったホームズが、弾丸のように飛び出した。
ポケット・ビーグルならではの超軽量・最小サイズの肉体は、重力を無視したかのような放物線を描き、犯人の顔面へと正確にクリーンヒットした。
「ぶふっ!?」
ホームズの肉球アタックを目元に喰らった犯人は、視界を奪われてよろめき、手から王冠が離れた。
「てりゃぁぁぁーーーーっ!!」
空中から落下する王冠を、ハート刑事がダイビングキャッチで完璧に死守!
と同時に、彼女の容赦のない鋭いローキックが犯人の足元を払い、ドガシャーン! と激しい音を立てて犯人は芝生の上にへたり込んだ。
「ふぅ……! 大英帝国の王冠、ミリ単位の傷もなく死守完了よ!」
ハートは犯人に手錠をかけ、胸に抱いた王冠のダイヤモンドを朝日にかざして満足そうに微笑んだ。
ホームズは着地し、ブルブルと体を揺らして国旗柄の服を整えると、ふと大噴水の最上部、彫刻の頭上に視線を向けた。
そこには、噴水の水しぶきを浴びることもなく、優雅に座ってこちらのドタバタ劇を見下ろしている一匹の白猫がいた。
白猫モリアーティは、今回の宮殿の盗難劇に直接手を下したわけではなかった。
しかし、そのオッドアイは「大英帝国の象徴が揺らぐ様を、ただ特等席で眺めて楽しんでいた」と言わんばかりの、深い知性と愉悦に満ちていた。
奴はホームズと目が合うと、フッと満足そうに喉を鳴らし、噴水の水煙の中に消えるように、音もなく姿を消した。
(モリアーティ……貴様、国家の至宝すら奴らの『遊び道具』の一つに過ぎないというわけか。
だが、このちいさな肉体がある限り、大英帝国の光は決して曇らせん)
「すごいわホームズ! あなたの突撃、まるで王冠に飾られた本物のロイヤル・ナイトみたいだったわ! さすが未来のプリンセスの相棒ね!」
ハートが笑顔でホームズを拾い上げ、礼服のポケットに再び仕舞い込んで顔中を撫で回す。
(……やれやれ。プリンセス刑事の件は忘れてほしいのだがね。
まぁ、陛下の大事なダイヤが守られたのだから、今回もその『ロイヤル超翻訳』に免じて、大目に見てあげよう)
「ワン!」とポケットの中から誇らしげに一鳴きする名探偵。
守り抜かれたダイヤモンドのように、二人の絆は、ロンドンの空の下でより一層、固く気高く輝くのだった。




