Episode 17:後編
Episode 17:後編
暗闇の五線譜(L-O-N-D-O-N)
狂気のカノンと、狂った暗号
(ハート君、スープの注文は後回しだ! この地下に、
劇場を揺るがす不協和音が満ちている!)
オペラ座の薄暗い地下調律室へと滑り込んだホームズの耳に、
強烈な電子の唸りが襲いかかる。
重厚なレンガ壁の奥から響くのは、
人間の耳にはほとんど聞こえない、
しかし犬の聴覚を激しく逆撫でする「超低周波」の振動だった。
「ちょっとホームズ、お店はあっち……って、
うわぁ! 何この部屋、すごいホコリ!」
追ってきたハート刑事のスマホのライトが、
無人の調律室の壁を照らし出す。
部屋の中央には、
劇場の舞台へと直結している
特大の「パイプオルガン」の空気圧コンソールが剥き出しになっていた。
しかし、その制御盤には、
本来あるはずのない怪しげな周波数変調器が歪に取り付けられ、
すでに緑色のインジケーターが高速で点滅している。
(……しまっ──! 奴らの狙いはこれか!
連続空き巣事件で盗まれた『リリィ邸』や『ネルソン邸』の美術品……
あれはすべて、この変調器を組み立てるための、
旧時代の精密なレアメタル(希少金属)部品だったのだ!)
このまま超低周波が最大出力に達すれば、
共振現象によってオペラ座の土台そのものが粉砕され、
今夜の公演を待たずに劇場全体が生き埋めになる。
写真記憶の「音響超解釈」
「うーん、スープの匂いはしないけど……」
ハートがコンソールの前にしゃがみ込み、
その眼球が高速で動き始めた。彼女の脳内で、
これまで訪れた5つの空き巣被害邸宅の
「現場写真(間取り図)」が鮮やかにフラッシュバックする。
「……あ! 分かったわ!」
ハートが突然、コンソールのメーターを指差した。
「リリィ邸の住所は『3番地』、ネルソン邸は『5番地』……。
あの泥棒たちが残していった被害の順番の数列、
あれは『住所』じゃなくて、
このパイプオルガンの
『低音音域』のバルブ設定ナンバーとミリ単位で完全一致よ!」
(素晴らしい! プロセスのポタージュ妄想は完全に消え去り、
事件の数値的な核心へと一瞬で着地した!)
「つまり、今朝ホームズが並べた
『L・O・N・D-O-N』のブロックの『N』と『D』の位置……。
第3バルブと第4バルブの回路を同時に遮断すれば、
この暴走は止まるわ!」
「ワンッ!!」(その通りだ、ハート君! だが、
制御盤のレバーには高圧電流の罠が仕掛けられている!
手で触るな!)
名探偵のブロック・ブロック(妨害)
「ハハハ! 気づくのが遅かったな、ロンドン市警!」
暗闇の影から、
特殊な防音イヤーマフをつけた
モリアーティの残党──音響ハッカーの男が、
手動の増幅スイッチを掲げて飛び出してきた。
「このスイッチを入れれば、即座に最大出力だ!
お前らもろとも、この音楽の墓場に埋めてやる!」
(させるか!)
「ワンッ!!!」
ホームズは床を激しく蹴り、
今朝ハートがバッグに放り込んでいた
『 N 』と『 D 』のアルファベットブロックへと飛びついた。
牙で正確にその2つの木片を咥え上げると、
電光石火の早さで高圧電流が走る制御盤の隙間へと、
ピンポイントで突っ込んだ!
パチパチパチッ!!!
木製のブロックが、電流の流れる端子同士を物理的に絶縁し、
同時にハッカーの遠隔回路を強制的にジャミング(妨害)する。
「な、何ぃっ!? 犬が、システムを『ブロック』しただと!?」
驚愕するハッカーの男。その一瞬の死角を、
熱血刑事が逃すはずはなかった。
「てりゃぁぁぁーーーっ!!」
ハート刑事の容赦のない豪快なラリアットが、
ハッカーの首元に完璧に炸裂した。
ドガシャーーーン!!
男は調律室の壁に激しく叩きつけられ、
そのまま目を回して床に沈んだ。
同時に、オルガンの不気味な低音の唸りはプツンと途絶え、
劇場に静寂が戻った。
五線譜の上の残影
「ふぅ……! 劇場爆破テロ、
未然に阻止完了! よくやったわ、ホームズ!」
ハートは男に手錠をガチリと嵌め、
床の『N』と『D』のブロックを拾い上げて、
ホームズを強く抱きしめた。
危機を脱した地上からは、
今夜のオペラを心待ちにする観客たちの華やかな話し声が、
通気口を通じて微かに響いてくる。
ホームズが、
ガスの引いていく調律室の天井近く──
太いパイプオルガンの金属管が並ぶ暗がりに視線を向けると。
そこには、パイプの隙間から差し込む月光を浴びて、
静かに佇む“白猫の影”があった。
白猫モリアーティは、
自らの音響計画が「ブロックの絶縁」
という極めて原始的な論理によって叩き潰されたというのに、
どこか楽しそうにフッと喉を鳴らし、
オッドアイを細めた。
そして、五線譜のように並ぶパイプの影の中に、
音もなく溶け込んで消え去った。
(モリアーティ……ロンドンを揺るがす不協和音を奏でようとも、
私とハート君が紡ぐ完璧なカノン(論理)を崩すことはできん。
次の文字が何であろうと、必ず解き明かしてみせる)
「さあホームズ! お腹もペコペコだし、
今度こそ本物の『ロンドン・ポタージュ』を飲みに行きましょ!」
ハートが満面の笑みでホームズの頭をくしゃくしゃに撫回す。
(ふむ、ポタージュか。悪くない。
大英帝国の芸術が守られたご褒美として、
その温かいスープを一切れのトーストと共にいただくとするかね、
ハート君)
「ワン!」と気高く一鳴きする名探偵。
暗闇を抜けた二人の前には、勝利の夜明けの光が、
美しく差し込み始めていた。




