Episode 15:後編
Episode 15:後編
世紀を越えたチェックメイト
現代の冷たい雨が、ビーグル犬の荒い毛並みを濡らしていた。
しかし、その瞳に宿る光は、もはやただの猟犬のものではなかった。 nineteenth-century(19世紀)の最高純度の知性──
シャーロック・ホームズそのものの輝き。
「……フフ、ハハハハ!」
不意に、目の前のコンクリートの壁の上から、男の、いや、
「あの男」の笑い声が聞こえた。
見上げれば、一匹の美しい白猫が、冷酷な、
それでいて歓喜に歪んだ琥珀色の瞳でこちらを見下ろしている。
その佇まいは、かつてベーカー街を脅かした犯罪のナポレオン、
モリアーティ教授そのものだった。
「ようやく思い出したかね、ホームズ。いや、
今の姿では何と呼べばいい?
哀れな野良犬とでも呼ぼうか」
白猫の口から発せられたのは、人間の言葉ではない。しかし、
互いの魂に刻まれた「執着の周波数」が、
その鳴き声を完璧な論理の言葉へと翻訳し、
ホームズの脳裏に直接響かせていた。
「モリアーティ……。君の『クロノス・マニフェスト』は失敗した。
時空を支配するはずが、
君自身も猫という家畜の肉体に閉じ込められている。
これが君の望んだ未来か?」
ホームズ(ビーグル)は低く唸りながら、前足を一歩踏み出した。
「失敗? 冗談を言ってもらっては困るな」
白猫はしなやかに尾を揺らし、レンガの塀の上を優雅に歩く。
「私は生き延びた。この強靭で、人間に深く入り込める肉体を得て、
私の知性はデジタル化されたこの現代社会のネットワークの隙間に、
再び『蜘蛛の巣』を張り巡らせつつある。むしろ、この姿こそ好都合。
人間どもは、
猫が世界を滅ぼすコードを打ち込んでいるとは夢にも思うまい」
モリアーティの言う通りだった。現代のロンドンは、
かつて彼らがいた霧の街とは違う。
すべての情報が目に見えない電磁波となって空中を飛び交う、
まさにモリアーティの「犯罪ネットワーク」の理想郷だった。
「だが、計算違いが一つあったはずだ」
ホームズは鋭い歯を剥き出し、不敵に笑い返した。
「君の魂の座標に引きずられ、私もまたここにいる。
四本足になろうとも、私の観察眼と演繹法は錆びついていない。
君がこの街で何を企んでいようと、私は君を阻止する。
それが、私たちが『あちら側』へ渡るのを拒んだ理由だからだ」
「素晴らしい! それでこそ我が宿敵だ!」
白猫が鋭い爪を突き立て、歓喜の声をあげる。
二人の天才は、かつて人間だった頃と変わらぬ、いや、
それ以上に濃密な殺意と歓喜を交錯させた。
大英帝国の霧の街から、現代のネオン揺れるロンドンへ。
姿を犬と猫に変え、肉体を失ってもなお、
二人の知性の戦争は終わらない。
「さあ、第二幕の始まりだ、
モリアーティ。ゲームは始まっている(The game is afoot)!」
ビーグル犬の咆哮が、現代の夜霧を引き裂いた。
白猫は音もなく闇へと消え、その残響だけが、
新たな戦いの幕開けを告げていた。




