Episode 14:後編
Episode 14:後編
モザイクの迷宮と、直感のオーバーレイ
美術館の「対岸」
テート・モダン美術館の広大なタービン・ホール。
巨大な現代アートのオブジェが並ぶ中、
ハート刑事は「わあ、あの赤と青の配置、
今朝のホームズの積み木にそっくり!」と、
無邪気に感嘆の声を上げていた。
しかし、ハートの腕から抜け出したホームズは、
展示物には目もくれず、
ガラス張りの巨大な窓辺へと駆け寄っていた。
窓の向こう、テムズ川を挟んだ対岸にそびえ立つのは、
ロンドン全域の電力を一手に担う『テート・コントロールセンター』。
ホームズは、
今朝絨毯の上に並べたブロックの「高低差」を脳内で反転させ、
対岸の建物の影に重ね合わせた。
(……やはりだ。私の地図は間違っていなかった。
モリアーティの狙いは美術館ではない。
あのコントロールセンターの地下にある、主幹高圧変電所だ!)
その時、ホームズの鋭い嗅覚が、
エアコンの吹き出し口から流れてくる微かな臭いを捉えた。
それは、美術品の保存用ワックスの匂いに混じる、
特異な「フッ素系絶縁ガスの臭気」。
コントロールセンターの超高圧トランスが、
何者かによって過負荷に追い込まれ、
密かに融解を始めている証拠だった。
(しまっ──! 奴らはすでに、
対岸のシステムをハッキングして、
ロンドン全域の大停電を引き起こそうとしている!)
写真記憶の「レイヤー・オーバーラップ」
「ワンッ! ワンワンッ!」
ホームズは窓ガラスを前足で激しく叩き、
対岸の建物を真っ直ぐに指し示した。
「どうしたのホームズ? そんなに窓の外を見て……。あ」
ハート刑事はホームズの横にしゃがみ込み、窓の外の景色と、
今朝自宅の絨毯の上で撮影した
「ブロックの地図」の写真をスマホの画面に表示した。
彼女の驚異的な「写真記憶」の回路が起動する。
画面の中のブロックの配置、色、そしてその高低差のデータが、
窓の外のロンドンの街並みへと、
ミリ単位の精度で高速レイヤー合成されていく。
「……待って。このブロックの赤いラインは、
美術館の順路じゃない。
テムズ川の地下を通る『旧・送電用共同溝』のルートだわ!」
(気づいたか、ハート君!)
「そして、あなたが真ん中に高く積み上げた黄色のブロックの塔……。
あれは、対岸のコントロールセンターの『緊急冷却塔』の配置と、
影の角度まで完璧に一致してる! つまり、
あなたの積み木遊びは──」
ハートは目を見開いた。
「ロンドン全域を狙った『大停電テロ』の、
完全な立体作戦指示図だったんだわ!!」
(解釈プロセスの大修正完了だ!
よくぞ見抜いた、ハート君!)
「ターゲットは対岸の地下よ! 行くわよ、ホームズ!」
停電の暗闇と、名探偵のパズル
二人が地下の共同溝を駆け抜け、
コントロールセンターの心臓部へ突入したその瞬間、
ロンドンの街が一斉に深い闇に包まれた。
大停電だ。
非常用の赤い警告灯だけが不気味に回転する配電室。
そこには、コントロールセンターのメインレバーを固定し、
過電流を流し続けようとしている、
モリアーティの残党たちの姿があった。
「警察よ! 動かないで!」
ハートが銃を構えるが、暗闇の中、
男たちが一斉に襲いかかってくる。
(ハート君、闇の中での乱戦は危険だ!
私が奴らの配置を『ブロック』してやろう!)
「ワンッ!!!」
ホームズは暗闇の中、
ビーグル犬の夜盲症に負けない「聴覚」と「嗅覚」
で敵の位置を完全に捕捉した。
床に転がっていた作業用の工具箱へと突進し、
牙でそのラッチを跳ね上げる。中からバラバラと散らばる、
大量の重い金属製ボルトやナット。
ホームズは前足と後ろ足をフル回転させ、その金属パーツを、
今朝のブロックさながらに、
床の特定のグリッドへと高速で弾き飛ばした。
「うおっ!? 足元に何かが──」
「うわあああっ! 滑るっ!」
暗闇の中、突撃してきた男たちが、
ホームズの配置した「金属の罠」に見事に乗っかり、
次々と派手に転倒していく。
彼らの倒れる正確な「音」を、
ハートの写真記憶が完璧にロックした。
「そこねっ!!」
ハート刑事の容赦のないストレートと回し蹴りが、
暗闇の残像を切り裂いて男たちの顎にクリーンヒットする。
バキィ、ドカッ!!
「あぶっ……!」
男たちは次々と床に沈み、最後に残った主犯格の男の手首に、
ハートが鮮やかに手錠をガチリと嵌めた。
紡がれたロンドンの光
ホームズはすぐさま過負荷で
火花を散らしていたメインコンソールへと跳躍し、
固定されていたレバーのロックピンを、
短い牙で力任せに引き抜いた。
ガチャン!!!
レバーが正常位置に戻り、安全装置が作動する。
次の瞬間、コントロールセンター、
そして対岸の美術館、さらにはロンドン全域の街灯やビルに、
一斉に目映いばかりの「光」が戻ってきた。
大停電テロは、未遂のまま完全に鎮圧されたのだ。
「ふぅ……! ロンドンの光を守りきったわね、ホームズ!」
ハートは男たちを拘束し、光を取り戻した街並みを見渡しながら、
ホームズをぎゅっと抱きしめた。
ホームズが、
美しくライトアップされた対岸のテート・モダン美術館の屋上を見上げると──
そこには、夜風に白い毛並みを揺らしながら、
一匹の白猫モリアーティが佇んでいた。
奴は、自分が仕掛けた最大規模の『面のチェス』が、
ホームズの積み木から始まった驚異の連携によって完璧に叩き潰されたことを確信し、どこか満足げにオッドアイを細めた。
そして、勝利を祝う街の明かりの中に、静かに溶け込んで消えていった。
(モリアーティ……。
お前がロンドンをどれほど深い闇に突き落とそうとも、
私とハート君が紡ぐ論理の光を消し去ることはできん)
「それにしてもホームズ、あなたの『積み木アート』、
本当に天才的だったわ! 帰ったら、
もっとたくさんブロックを買ってあげるから、
今度は私のお城を作ってね!」
ハートが笑顔でホームズの頭をくしゃくしゃに撫でる。
(ふむ、私のお城ではなく、君のお城か
。……悪くない。大英帝国の平和が保たれたご褒美として、
今度はスコットランドヤードの立体模型でも作って、
次の事件の予習をさせてあげるとしようかね、ハート君)
「ワン!」と誇らしげに一鳴きする名探偵。
光あふれるロンドンの夜、噛み合わない二人の最強のパズルは、
誰よりも美しく、完璧な街の景色を描き出すのだった。




