Episode 10:後編
Episode 10:後編
直角の監禁部屋と、驚異のブロック崩し、狂気の「直角空間」
(ハート君、ウェディングドレス専門店ではない、
その二軒隣の『廃製粉工場』だ!)
商店街の裏路地に佇む、
錆びついたトタン壁の廃製粉工場。
ホームズはハート刑事のトレンチコートの裾をぐいぐいと引っ張り、
工場の重い鉄扉の前へと彼女を導いた。
「あれ? ドレスショップの近くの、この古い工場……。
ホームズ、あなたここが気になるの?」
ハートが鼻をクンクンと鳴らす。
「言われてみれば、ここ、かすかに小麦粉の匂いがするわね。
……って、大変! 犯人の動機がフラれた腹いせなら、
お母さんの思い出の小麦粉を全部台無しにする気かもしれないわ!」
(どんな思い出だ! だが、場所が伝わったならそれでいい!)
ホームズが鉄扉の隙間から滑り込むと、
ハートも銃を構えて静かに後に続いた。
工場内は、うっすらと白い小麦粉の粉塵が積もっていた。
そしてその床の上には、異様な光景が広がっていた。
トビーくんから奪われた何百個ものアルファベットブロックが、
床一面に寸分の狂いもなく、
完璧な格子状の直角で整列させられていたのだ。
そのブロックのグリッドの先、
大きな鉄製ミキサーの影に、
怯えた表情のトビーくんが縛り付けられていた。
そして、その傍らで定規を手に、
ブロックのズレを血眼になって微調整している大柄な男──
元時計職人の爆弾魔
『精密屋・ジャック』がそこにいた。
「あと1ミリ……。いや、0.5ミリのズレだ。
この完璧な配列
(グリッド)こそが、あのお方(M)の美学に相応しい……」
写真記憶の「超スピード間取り図
「動かないで! ロンドン市警よ!」
ハートが鋭く叫び、銃口をジャックに向ける。
「な、何ぃ!? なぜここが分かった!」
ジャックが驚愕して跳ね上がった。
その瞬間、彼の足が、
せっかく並べたブロックの端をわずかに崩してしまう。
「ああっ! 俺の、俺の直角がぁぁぁ!!」
ジャックは顔を真っ赤にして激昂し、
懐から無骨なリモコンを引っこ抜いた。
「邪魔をするな! この工場には、
粉塵爆発を起こすための即席の精密爆薬が仕掛けられている!
このリモコンのスイッチを押せば、
完璧な直角の炎がすべてを消し去るぞ!」
(人質を前に爆破の脅迫か。だが、奴の悪癖が最大の弱点だ!)
ホームズはすぐさま工場の構造と、
床のブロックの配置を凝視した。
しかし、ここでハート刑事の「写真記憶」が、
異次元の閃きを見せる。彼女の眼球が、
工場内の粉塵の積もり方と、
床のブロックの隙間を完璧にスキャンしていた。
「……あ、分かったわ!」
ハートが突然、ジャックを指差した。
「あなた、お母さんと
『お見合い』したとき、
テーブルの上の箸置きのズレが気になって、
ずっと直してたでしょ! だからフラれたのよ!」
(……まだその設定を引きずっているのか、君は)
「その証拠に、
あなたの後ろにある爆弾の配線ボックスのネジ!
左上と右下のネジだけ
、締め方の角度が完璧な45度で揃ってるわ!
私の脳内の指名手配データベースにある
、3年前の『精密爆破未遂事件』の信管の癖と、
ミリ単位で完全一致よ!」
(素晴らしい! 妄想は狂っているが、
爆弾の信管の位置を正確に見抜いた!)
「ホームズ、あの45度のネジのところよ! 突撃!」
3. 名探偵のブロック崩し
(よし、合点承知だ、ハート君!)
「ワンッ!!!」
ホームズは弾丸のように地を蹴った。
目指すはジャックの足元──ではなく、
彼が狂信的に並べ立てた「アルファベットブロックの配列」だ。
ホームズは短い四肢をフル回転させ、
完璧な格子状に並んだブロックの海へと猛烈に突っ込んだ。
そして、前足と後ろ足で床を引っ掻き、
ブロックを四方八方へとガラガラと派手にぶちまけた!
直角のグリッドが、無惨なカオスへと変貌していく。
「ヒ、ヒィィィィッ!? 俺の直角があぁぁぁ!
バラバラだ、文字が、配列がぁぁぁ!!」
完璧な対称性を汚されたジャックは、
文字通りのパニック状態に陥った。
精神的なショックのあまり、
リモコンを握る右手が激しく震え、
スイッチを押すことすら忘れて
ブロックを拾い集めようと四つん這いになる。
その一瞬の死角。
「てりゃぁぁぁーーーっ!!」
ハート刑事の容赦のないハイキックが、
ジャックの側頭部に炸裂した。
バキィィィン!!
「あぶっ……!」
ジャックはリモコンを手放し、
小麦粉の床の上に文字通り「直角」に倒れ込んで気絶した。
4. 紡がれるメッセージ
「トビーくん、もう大丈夫よ!」
ハートはすぐさまジャックに手錠をかけ、
ミキサーの影からトビーくんを救出した。
怪我はなく、ただ少し怯えているだけだった。
「ありがとう、お巡りさん! ……それから、ワンちゃんも!」
トビーくんは涙を拭い、
床に散らばったアルファベットブロックをいくつか拾い上げた。
ホームズはふぅと煤(小麦粉)のついた鼻を鳴らし、
散らばったブロックの中から、いくつかの文字を鼻先で静かに集めた。
完成したのは──
[ T - O - B - Y ]
「わぁ……! 僕の名前を並べてくれた!」
トビーくんが笑顔になる。
ハートはその光景を写真に収めながら、
嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱりホームズは優しいね。
トビーくんに『マリッジ(M)』の祝福を贈ってるんだわ!」
(……だから結婚ではないと言っているが、まぁ、
子供が笑顔になったのだから、今回の超翻訳も良しとしよう)
ホームズが窓の外を見上げると、廃工場の壊れた天窓の縁に、
あの白猫モリアーティが座っていた。
奴は、自分の手駒が
「直角のこだわり」という心理的弱点を突かれて自滅した様子を、
実につまらなそうに見下ろしていた。
そして、ホームズと目が合うと、
フッと鼻を鳴らして闇の中へ消えていった。
(モリアーティ……。
お前がどんなに緻密な犯罪を組み立てようとも、
人間の『心の隙』を、この私は絶対に逃さない。そして──)
ホームズは、自分を抱き上げて
「よくやったね、ポチくん!」
と頬ずりしてくる熱血刑事の顔を見つめた。
(この、論理を超越した最強のバディがいる限り、
お前の敗北はすでに決定しているのだ)
下町の廃工場に、安堵の笑顔と、
名探偵(犬)の誇らしげな遠吠えが響き渡るのだった。




