Episode 69:中編
Episode 69:中編
「共鳴の残響(S-C-O-T-L-A-N-D)――じる、という暗号」
主任としての重圧と、遠隔の解析
スコットランドヤードに新設された『広報課兼務・特別捜査室』。その初代主任となったハナコ・ハート刑事のデスクでは、バーバラの残した音声ログが、今も不気味に「じる……じる……」と微かな電子ノイズを立てて繰り返されていた。
「これ、ただのノイズじゃないべ……。バーバラが私たちに向けて、命がけで発信した言語グリッドだべ!」
焦りから故郷の訛りを滲ませるハナコ刑事は、その優れた写真記憶のデータベースをフル回転させ、バーバラの過去のタイピングの癖や発言パターンとノイズの波形を照合しようとしていた。しかし、今回の敵はハート刑事の行動特性を完璧に掴んでいるアイリーンの生まれ変わり。
一筋縄では解けないように、音声データの根底にあるプロトコルが巧妙に歪められている。
(落ち着くんだ、ハート主任。君がパニックに陥れば、それこそ『あの女』の脚本通りだ。役職は変われど、君の正義のロジックは11ミリもブレてはいないはずだぞ)
ホームズはデスクの端からハナコ刑事の手元をじっと見つめ、励ますように低くワンと鳴いた。そして、前足でキーボードのボリュームスライダーを動かし、ノイズの「ある一定の周波数」だけを強調させた。
「じる」の正体
強調されたノイズは、次第に一定の規則性を持ったリズムへと変化していく。
「……! ポチ君、これ、ただの雑音じゃなくて、私たちの故郷の言葉を使った『音節パズル』だわ!」
ハナコ刑事の脳内測定器が正確な数値を弾き出した。
バーバラが残した「じる(Zill...)」という奇妙な響き。それは、北アイルランドの古い口語表現や、彼女たちが幼い頃にリンド・ファームの敷地内で使っていた、身内だけの秘密の暗号の周波数だったのだ。ロンドン広報課のシステムに潜り込ませたこのログは、ヤードの一般的な解析班にはただの「通信不良」にしか見えないが、同じ血を引くハート刑事と、それを論理的に補正できるホームズにだけは、明確なメッセージとして機能する。
「『じる』は、ゲール語の古い方言で『地下の貯水池(Sil)』……転じて、ロンドン中枢の地下を走る**『旧郵便地下鉄道』**の廃駅のことだ!」
バーバラはアイリーンに捕らえられ、データを奪われそうになりながらも、その明晰な頭脳で現在の監禁場所、あるいは奴らのアジトの座標をハッキングし、この音声に編み込んでいたのだ。
張り巡らされた蜘蛛の巣
(見事な推論だ、バーバラ君。そしてそれを解き明かした君もな、ハート主任。……だが、不穏なのは、この『じる』というログが、あまりにも綺麗に広報課のサーバーへ残されていた点だ)
ホームズは鋭いオードブル色の瞳を細め、画面に映る波形の「不自然なシンメトリー(対称性)」を肉眼で精査していた。
(アイリーンが君のデータを研究し尽くしているのなら、バーバラ君がこの暗号を残す行動すらも『予測』の範疇に組み込んでいる可能性がある。つまり、この座標は私たちを誘い出すための――)
その瞬間、特別捜査室のメインモニターが突如として激しく明滅した。
バーバラの音声ログが強制的に書き換えられ、画面いっぱいに美しい薔薇の紋章と、一本のカウントダウン・タイマーが表示される。
残り時間は、わずか30分。
ロンドンの地下深く、暗闇に閉ざされた廃駅のグリッド。そこには、キャサリンとバーバラ、二人の少女の命を乗せた、アイリーンの冷徹な罠がすでに起動の瞬間を待っていた。主任としての初任務は、一歩間違えればすべてを失う、最悪のチェックメイト(王手)からのスタートとなったのだ。




