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Episode 67:後編

Episode 67:後編


「不条理な残響(B-E-L-F-A-S-T)――霧の空白と、あざ笑うアドラー」

弾かれたロック、走る空白


男が這うようにして後退するのと同時に、ホームズは前足で地面のスマートフォンを強く踏みつけた。しかし、スピーカーから流れる甘美な笑い声は、すでにフェードアウトを始めていた。


(……足止めは完了した、というわけか。ハート君の身体能力、バーバラ君の介入速度。すべてを『計測』し、完璧に浪費させた。この数十秒の空白こそが、奴の欲したマージン(取り分)だ!)


その瞬間、路地裏のコンクリートの壁を隔てた大通りから、短い悲鳴と、ラグジュアリーな高級リムジンの急ブレーキの金属音が激しく響き渡った。

空っぽの揺りかご

「しまっていった……本当の狙いは、あっちだべ!」


バーバラがタブレットを抱えて走り出す。ハート刑事もルブタンの真っ赤なソールを翻し、弾かれたように路地裏を飛び出した。

ホームズはポケット・ビーグルの屈強な四肢でアスファルトを蹴り、バディの先頭を駆ける。


大通りに出た一人と一匹の目に飛び込んできたのは、ドアが開け放たれたまま停車している、キャサリンのマンションの専属リムジンだった。

車内には、つい先ほどまでタワマンで一緒に紅茶を飲んでいたはずの妹・キャサリンの姿はなかった。


「キャサリン……!?」

ハート刑事の顔から血の気が引いていく。

後部座席の革張りのシートの上には、キャサリンが身に付けていた琥珀のブローチだけがポツンと残され、その傍らでスマートフォンが静かに明滅していた。


ホームズがシートへ跳び乗り、画面を睨みつける。そこには、先ほどの路地裏の男の端末と全く同じ、優雅な筆記体のテキストが浮かび上がっていた。


『優秀なハート刑事。あなたの輝かしい活躍のデータは、私の新しい舞台の素晴らしい脚本シナリオになったわ。この妹君は、私がしばらくお預かりするわね』


(……おのれ。白猫が『風のノイズ』なら、この女は人間の心理と行動を完全に支配する『見えないスパイダーウェブ』か。姿も見せぬまま、大英帝国の探偵とヤードのエースをこうも鮮やかに躍らせるとは!)


たどり着けない「あの女」の足跡

「バーバラ、逆探知よ! 誘拐ルートのグリッドを割り出して!」


ハート刑事が悲痛な声を上げ、バーバラが狂ったようにキーボードを叩く。

「やってるべ、やってるべ!……でも、だめだべ! ハッキングの経由地がベルファストの海底ケーブルから、大西洋を越えて一瞬で分散されていくべ! ログが、ログが砂のように消えていくべ……!」


バーバラの明晰な頭脳をしても、その通信経路の末端を捉えることすら許されなかった。

奴が残したデジタルな足跡は、まるで霧の中に消える煙のように、完全にロンドンのネットワークの海へと溶けていく。


自称『アイリーン・アドラーの生まれ変わり』――。

ハナコ・ハートという一人の刑事の「正義感」と「卓越した能力」を完璧に研究し、その美徳すらも犯罪の歯車として利用した、新たなる絶対的な宿敵。

一人と一匹、そしてバーバラは、その尻尾に触れることすらできぬまま、冷たいロンドンの街角に立ち尽くすしかなかった。


ハート刑事は残されたブローチを激しく握りしめ、唇を噛む。

「キャサリン……。待っていなさい、アイリーン。あなたが私のデータを研究し尽くしたというのなら、私はその予測の『先』へ行って、必ずあなたを捕まえてみせる……!」


夕暮れの霧が、サウス・ケンジントンの街並みを容赦なく覆い隠していく。名探偵ホームズは、沈む夕日に向かって、これまでにない冷徹で静かな闘志を秘めた瞳で、低く、鋭く「ワン」と吼えるのだった。

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