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Episode 8:後編

Episode 8:後編


限界突破のラストスパートと、路地裏のチェックメイト

執拗なる追跡者

(ゼェ……ゼェ……! 犬の肉体というのは、

これほどまでに持久力がないものか……!)


ホームズは短い四肢を死に物狂いで動かしながら、

心の中で恨み言を並べていた。

ハート刑事のネオンピンクのジャージは

、ロンドンの朝霧の中で完全な

『暴走特急』と化している。

彼女の「RUNランニング」へのモチベーションは、

すでに一般人の限界を超えていた。


しかし、背後の脅威は消え去っていなかった。

ショーウィンドウに映る影──

あの黒マントの暗殺者は、息を切らしながらも、

恐るべき執念で一定の距離を保ち、二人を追尾していた。

その手はマントの内側、

おそらくは消音銃サイレンサーのグリップへと伸びている。


「ハッ、ハッ、ホームズ!

良いペーーース! 脂肪が燃焼してるのを感じるわ!」


(ハート君、燃焼しているのは私の命の灯火だ!

後ろを見たまえ、奴はまだ諦めていない!)


ホームズは走りながら、前方の十字路に目を凝らした。

左へ曲がれば警察署への直線ルート。だが、今の速度で曲がれば、

暗殺者に狙撃の直線(射線)を与えてしまう。


「ワンッ! ワンッ!」(右だ! 右の細い路地へ誘い込むんだ!)


「えっ? 『もっと追い込め(RUN)』って? よし、

この先の急カーブを限界ギリギリで曲がるわよ!」


ハートはホームズの意図を「ドSな鬼コーチの鞭」と脳内変換し、

猛烈なステップで右の超狭隘きょうあいな路地へと突っ込んだ。


写真記憶が導く「袋小路」

右へ曲がった先は、古いレンガ造りの建物に挟まれた、

薄暗い一本道だった。


「あれ? 行き止まり……?」

ハートが足を止める。突き当たりは、

高さ3メートルはある頑丈な鉄柵で行き止まりになっていた。


(しまっ──私の記憶が確かなら、

ここは数日前まで開いていたはず……!

財閥の私有地化で閉鎖されたか!)


背後から、コツン、コツンと不気味な足音が近づいてくる。

路地の入り口を塞ぐように、

あの黒マントの暗殺者が立っていた。

その手には、やはり黒光りする銃が握られている。


「ハァ……ハァ……。よくもまぁ、

ここまで走ってくれたな、泥棒野郎ども……。

だが、ここが終着駅だ」


暗殺者が銃口をハートに向ける。絶体絶命。

しかし、ハート刑事の瞳が、

暗殺者の背後の景色──路地の入り口の壁に貼られた、

一枚の『古い街頭ポスター』を捉えた瞬間、

彼女の「写真記憶」の回路がパチリと繋がった。


「……あ。思い出した。あなた、

3年前の『大英博物館・美術品すり替え事件』の実行犯、

通称『早撃ちのジャック』ね!」


「な、何だと……!? なぜ俺の顔を……!」


「その、マントを翻したときの右肩の独特の下げ方、

そして銃を構えるときの左目の細め方!

当時の監視カメラの不鮮明な映像と、

いま目の前にいるあなたの骨格配置が、ミリ単位で完全一致よ!」


ハートの脳内で、3年前の未解決事件のデータが完璧に復元された。


「あの事件の犯人は、

銃の腕は一流だけど……確か、

極度の『方向音痴』で、

最後は自分で袋小路に迷い込んで、

相棒に置いていかれたっていうマヌケな記録が残ってたわ!」


「う、うるせえ! 過去の古傷をほじくり返すな!」

図星を突かれた暗殺者の動揺を見逃すホームズではなかった。


3. 名探偵の「足払い」

(ジャックと言ったか。方向音痴の君には、

この足元の『罠』は見えまい)


ホームズは、ハートが爆走中に投げ捨てていた

「最新ハイテクランニングシューズの空き箱」

(荷物になるからと路地の途中で落としていたものだ)

に目をつけた。その箱の紐が、

ちょうど暗殺者の足元に絡みついている。


「ワンッ!!!」


ホームズは地を這うように突進し、

暗殺者の足元にある箱の紐を、自らの小さな体ごと激しく引っ張った!


「うおっと!?」

元々ランニングの追跡で足がガクガクになっていたジャックは、

箱の紐に足をすくわれ、派手によろめいた。銃口が大きく天を向く。


「そこよ!!」

ハート刑事の、

容赦のないアッパーカットがジャックの顎を正確に撃ち抜いた。


バキィィィン!!!


「あぶっ……!」

巨体の暗殺者は白目を剥き、

そのままコンクリートの床へと崩れ落ちた。

銃が手からこぼれ落ち、カランと音を立てて転がる。


(ふぅ……。実に見事な一撃だ、ハート君。

やはり君は、頭脳より肉体を使っている時の方が、

遥かに頼りになるな)


ホームズは煤のついた前足で、倒れた暗殺者の懐をまさぐった。

そこから出てきたのは、一枚の湿ったメモ。そこには、

あの白猫の肉球のスタンプとともに、こう書かれていた。


『走る標的を仕留めてみせよ。 ── M』


(モリアーティ……。やはり、今回の件も奴の仕込みか。

私たちが毎朝ブロックで何をしているかまで、

奴は把握しているというわけだな……)


4. 燃え尽きた朝

「逮捕、完了! …ハァ、ハァ、でも、

今日のランニングは本当にハードだったわね、ホームズ」


ハートはジャックに手錠をかけ、その場にへたり込んだ。

ホームズもまた、

短い足を大の字に広げて絨毯ならぬアスファルトの上にひっくり返った。

子犬の体力は、完全に限界を迎えていた。


「でも、あなたの『RUN』っていうアドバイスのおかげで、

未解決事件の凶悪犯も捕まえられたし、

私の下半身も引き締まった気がするわ! 一石二鳥ね!」


(……アドバイスではない。『逃げろ』と言ったんだ、ハート君……)


ホームズは心の中で力なく突っ込みを入れた。

解釈プロセスは壊滅、しかし結果は100点満点。

この奇妙なバディの数式は、

今日もロンドンの悪を綺麗に証明してみせた。


霧が晴れ、朝の光が路地裏を照らし出す。

ふと見上げると、鉄柵の向こう側の屋根の上。

一匹の白猫が、まるで「今日のチェスも楽しかったよ」

とでも言うように、静かに尻尾を振って、光の中へと消えていった。


(モリアーティ……。

次は何の文字を並べてやろうか。

……いや、その前に、

私を家まで抱っこして帰ってくれ、

ハート君。一歩も動けん……)


名探偵の切実な心の声は、

ただの小さな「クゥーン」という甘え声となって、

ロンドンの朝空に溶けていくのだった。

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