Episode 65:中編
Episode 65:中編
「気流のパズル(W-I-N-D-Y)――白猫の企みと、風の地図」
芝生を走る「人工のベクトル」
子供の帽子を見事にキャッチしたポケット・ビーグルのホームズは、ハート刑事の腕の中で誇らしげに胸を張っていた。
しかし、名探偵の冷徹かつ健全な視線は、すでに公園の木の上に座る「白い影」へと完全にロックされていた。
その白猫は、風の流れに合わせて尻尾をゆっくりと揺らしている。
(……あの尻尾の動き、ただの習性ではないな。肉眼では捉えきれない微細な角度で気圧を操作し、風の方向を意図的に“操っている”……!)
ハート刑事はまだ上空の悪意に気づかず、無邪気に笑っていた。
(ハート君、褒められるのは悪くないが……今はそれどころではないのだ)
白猫はホームズの視線に気づいたように、優雅に、そして冷酷に立ち上がった。その瞬間――風向きが180度反転した。突風ではない。
しかし、大自然の気象グリッドではありえない不自然な方向から吹く風。
芝生が一方向だけ不気味に波打ち、木の葉が白猫の周囲だけで螺旋の渦を巻く。
ハート刑事もさすがに首をかしげた。
「え? なんか変な風……? 私の脳内測定器がちょっとだけパニックを起こしそうだわ」
残された「天気欄」の暗号
(ふむ。この風……ただの気まぐれでも自然の悪戯でもない。明確な意志を持って“デザインされた風”だ)
白猫は木の上から、小さな紙切れをヒラリと落とした。計算された風がその紙を運び、ホームズの足元へ滑り込ませる。ハート刑事がそれを素早く拾い上げた。
「……新聞の切れ端? しかも、今日の天気予報の欄ね」
ホームズが鼻を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぐ。
(……芝生の匂い、そして、あの忌まわしい白猫の匂い。これはあいつからの明確な“挑戦状”だ)
紙には、風でわざと滲まされたインクが奇妙なアンバランスの形を作っていた。
ハート刑事は美しい瞳を細めた。「……これ、よく見るとインクの滲みが“風(W-I-N-D-Y)”って文字に読める……?」
(そうだ。奴は風を使ってわざと痕跡を残した。まるで大英帝国最高の名探偵である私に“このパズルを解いてみせろ”と言っているようにな)
尻尾が描く風の地図と、消えた白い影
白猫は木の上で、さらにゆっくりと尻尾を揺らし続けた。その動きは、まるで電子の海でタクトを振る指揮者のようだった。
左へ一度。
右へ二度。
そして、最後に大きく一度。
ホームズはその動きを瞬時に脳内でグリッド化し、風の連動を逆算した。
(左へ一度――弱い風のトラップ。
右へ二度――気流の方向転換による隔離空間。
最後の一度――インフラを麻痺させる強風。
なるほど、これは……ロンドンを襲う大規模な気流テロの“風の地図”だ!)
ハート刑事は、その不気味なシンメトリーにまったく気づいていない。「ホームズ……あの猫、なんか変なダンスしてない? 新しいステップかしら?」
ホームズは心の中で呆れた。(ダンスではない。あれは“犯罪プロトコル”だ、ハート君)
白猫は最後の地図を示し終えると、芝生の上へ軽く飛び降りた。その瞬間、局所的な突風が白猫の周囲だけで渦を巻き、視界を遮るように砂埃を舞い上げる。
「え!? なにあれ!? 風が……猫の周りだけ逆流してるわ!」
ハナコ刑事が驚いて叫んだ時には、すでに遅かった。
(奴は風を使って自らの足跡(痕跡)を消し、風を使って情報を運び、風を使ってロンドン全体を巻き込む事件を操ろうとしている……)
白猫は消える直前、ホームズをじっと見つめた。その瞳には、人間のように冷たく、歪んだ知性が宿っていた。そして、風に乗るようにして芝生の奥へ完全に消え去った。
ハート刑事は呆然と立ち尽くした。「ホームズ……あの猫、野良猫じゃないよね……?」
ホームズは静かに、しかし覚悟を込めて吼えた。
「……ワン」
(ああ、ハート君。あれはただの猫ではない。このロンドンの気流の調和を脅かす“風を操る犯罪者”だ。)
風が再び冷たく吹き抜ける。




