Episode 65:前編
Episode 65:前編
「風のいたずらと、空中戦のグリッド(W-I-N-D-Y)――霧の街の再会」
ハイドパークの穏やかな「風のバグ」
ロンドンの朝。霧が薄く晴れ、ハイドパークの広大な芝生が柔らかな陽光を受けて輝いていた。
ハナコ・ハート刑事は、ポケット・ビーグルのホームズと共に、いつもの軽やかな足取りで散歩を楽しんでいた。
ホームズは鼻をわずかに上げ、ロンドンの空気を“読む”ように歩いている。その小さな脳内では、気圧、湿度、微細な風の流れが、グリッド化されていた。
(ふむ。南西からの安定した気流……だが、この一点のみ、空気の渦に不自然な『乱れ』がある。まるで誰かが巨大な扇風機を空に向けて回しているような……)
ビュオォッ!
その予感は的中した。公園の静寂を切り裂くような強烈な突風が吹き荒れ、近くにいた小さな女の子の帽子が、まるで何者かに掴まれたかのように空へと舞い上がった。
「きゃっ!」
母親が叫ぶ。
ハート刑事も反射的に振り返る。「危ない!」
だが、ホームズはすでに走り出していた。
ポケット・ビーグルの小さな体が、芝生の上を矢のように駆け抜ける。
(次の突風で帽子は左へ旋回する。……今だ!)
跳んだ。
ホームズの体は風の渦を計算し尽くした弧を描き、宙を舞う帽子を完璧なキャッチした。
華麗な着地を決め、帽子をくわえて女の子のもとへ戻る。
「わぁ……! すごい!」
母親は胸を撫で下ろしながら言った。
「ありがとう……ありがとう、本当に賢いワンちゃん……!」
街灯の上の白い悪意
ハート刑事は駆け寄り、ホームズを愛おしそうに抱き上げた。
「ホームズ……すごいよ! まるで風の動きを最初から読んでたみたい……!」
ホームズは誇らしげに胸を張った。
(当然だ。
私は名探偵なのだから)
しかし、ホームズの冷徹かつ健全な瞳は、帽子をさらった風の“乱れ”の出所を追っていた。
帽子が飛んだ瞬間、空気が急激に圧縮され、人工的な圧力波が発生した痕跡……これは自然現象ではない。
ホームズはそっと空を見上げた。ハイドパークの古い街灯の影に、不気味なほど真っ白な影が座っていた。
白猫。その尻尾が、風の指向性を制御するように、優雅かつ悪辣に左右へと揺れている。
(……やはり、奴か。私の推理グリッドを翻弄し、ロンドンの平穏を歪めようというわけだな……!)
のんびりできない「休日」のチェックメイト
ハート刑事はまだ、上空の影には気づいていない。
「ホームズ、行こっか。今日はのんびり散歩の日だよ!」
ホームズは小さく「ワン!」と鳴き、ハート刑事の歩調に合わせて歩き出した。
(ハート君……のんびりできる日は、今日も来ないようだ。奴がこのハイドパークに降り立ったということは、この風の乱れは、大規模な電脳テロの序曲かもしれない)
ホームズの瞳に、再び鋭い探偵の光が宿る。ロンドンの風は、白猫が仕掛けた新たな事件の匂いを運んでいた。
ハート刑事の何気ない休日が、今、知能戦へと姿を変える。




