Episode 56:前編
Episode 56:前編
「砂漠の鷹と、ハイドパークの白い牙(S-H-E-I-K-H)」
灼熱を逃れた王族と、真夏の「天才警察犬」
夏のロンドンはいつもと違う特別な熱気に包まれていた。
中東ドバイの灼熱の夏を避けるため、ドバイの支配者であるモハメド首長をはじめとする王族や政府要人たちが、毎年の恒例行事としてこの霧の都へ長期滞在に訪れていたのだ。
彼らはハイドパーク近くの一等地に居を構え、ある日は最高級デパート「ハロッズ」でカジュアルにショッピングを楽しみ、またある日はハイドパークを散策する。その優雅な姿はロンドン市民やSNSでも度々話題になっていた。
「いい、ホームズ? 今日はヤードの威信をかけた超・国際級の要人警護(VIPエスコート)よ! あなたも一応、警察犬学校の優秀な卒業生なんだから、ノーリミッツに引き締めていくわよ!」
ハイドパークの青々とした並木道を歩きながら、ハナコ・ハート刑事は、ヤードのロゴが涼しげにプリントされた吸汗速乾性抜群の「ハイテク・スポーツ用タンクトップ」と、動きやすさを極めたスリムな夏用ストレッチパンツ姿で胸を張った。
さすがにこの夏の暑さのなか、いつもの厚手のトレンチコートはクローゼットにお留守番だ。
ただし、足元だけは絶対に譲れない、太陽の光を浴びてギラリと輝く「クリスチャン・ルブタンの夏仕様ヒールサンダル」である。
その隣には、臨時の「刑事補佐(兼・警察犬)」として赤い首輪をつけたポケット・ビーグルのホームズが、トコトコと真面目な顔で歩いている。
(……やれやれ、私が19世紀に培った論理的思考を、警察犬学校のカリキュラムごときと同列に語ってほしくはないな、ハート君。
だが……あのドバイの要人たちの警護となれば話は別だ。
彼らの持つ広大な競馬牧場やイギリス中の一等地は、白猫のような電脳犯罪者にとって、格好の『チェス盤(標的)』だからな。それにしてもコートを脱いだ君のキックの可動域は、いつもより広そうだ)
散策路に潜む、冷徹な砂の罠
その時、ハイドパークの美しい池のほとりを、大勢のSPに囲まれたドバイの要人一行が、リラックスした様子で歩いてくるのが見えた。
周囲の観光客たちは、本物の王族の登場に歓声を上げている。
だが、ホームズの超一級の嗅覚と、警察犬学校仕込みの「危険物察知能力」が、風に乗って運ばれてきた異様な匂いを捉えた。
(……クンクン。おかしい。このハイドパークのバラの香りの裏に混ざる、極微量の『電磁ノイズ』と、ドバイの砂漠に生息する猛毒サソリの成分(ペプチド毒)……。間違いない。モリアーティの残党が、要人たちの歩行ルートに、スマホの電波で一斉起動する『自律型・ナノドローン毒針トラップ』を仕掛けたな!)
もし、要人があと数歩進めば、草むらに潜む無数のナノドローンが一斉に飛び立ち、SPの隙を突いて王族の命を奪うだろう。国家間の重大な外交問題へと発展する、冷徹な電脳暗殺計画だ。
ホームズはすぐさま、ハイドパークのカフェのテラス席に転がっていた、観光客用のアルファベット型木製コースター(6文字)を、前足で猛スピードで並べ替えた。
[ S - H - E - I - K - H ](シェイク / 首長・王族)
(時間が無い! ハート君、要人たちの足元、あの不自然に枯れている芝生の座標をロックオンするんだ!)
ハート刑事の「シェイク(SHEIKH)超翻訳」
「ちょっとホームズ、本番中に国際色豊かなブロック遊びなんてして……って、あら!?」
ハート刑事は、並べられた6つの文字を対面(逆さま)から網膜(写真記憶)に完全同期した。彼女の美しい黒髪のウェーブが、ハイドパークのそよ風に激しく揺れる。
「『H』『K』『I』『E』『H』『S』……フキエス! 吹き荒べ、砂塵の嵐!! ……あーーーーっ!」
(砂塵の嵐……!? ロンドンのド真ん中で、なぜ突然ドバイ風の砂嵐を巻き起こそうとするんだ!! 普通に『SHEIKH(シェイク首長)』と読みたまえ、ハート君!)
「分かったわ、ホームズ! これは、ドバイの王族の皆さんの前で、私たちが**『砂漠の情熱的なサマーダンス(フキエス)』**をノーリミッツに踊り狂って、歓迎の熱気で周囲の不審者を全員ハイドパークの池まで吹き飛ばせっていう、国際交流・ダンスコマンドね!?」
(違う! 歓迎のダンスではない! ……いや、待て。ハート君の言っている『砂塵の嵐(吹き飛ばす)』……。あのナノドローンの電磁波リンクを遮断するには、周囲の空気を猛烈な風圧で『ジャミング(攪拌)』し、物理的にドローンの飛行軌道を狂わせるしかない。トレンチコートの呪縛から解き放たれ、身軽になった彼女の規格外の脚力による連続キックなら、人工的な突風を巻き起こしてトラップを確実に強制無効化できる……! ハート君、君の情熱ダンス妄想は相変わらず国際指名手配犯レベルの暴走だが、ドローンを無力化する『風圧のベクトル』の特定だけは、やはり世界一の相棒(ハート君)の直感そのものだ!)
ハイドパークの迎撃カウントダウン
ナノドローンが起動するまで、あとわずか数秒――。
「ドバイの気高き鷹の皆さん、そこから一歩も動かないで! ロンドン警察の『熱烈なサマー・歓迎』をお見舞いするわ!」
ハート刑事の凛とした叫び声が、ハイドパークの静寂を破った。
(行くぞ、警察犬ホームズの初陣だ! 夏の暑さも、白猫の暗殺ドローンも、すべてそのルブタンの風圧で叩き潰せ!)
「ワン!」
ホームズが草むらへ猛烈に突進し、ドローンの潜む座標へ向かって一吠え!
その刹那、タンクトップ姿のハート刑事の、地表の空気を丸ごと竜巻に変えるような凄まじい空中連続回し蹴り(砂嵐ジャミング)が、草むらのトラップへと炸裂した!
「てりゃぁぁぁーーーーっ!!!」
ドバババババババアン!!!




