Episode 7:前編
Episode 7:前編
P-O-I-S-O-Nの不協和音、進化した名探偵の「武器」
犬の体になって数ヶ月。シャーロック・ホームズは、
自らの知性をハート刑事に伝えるための
画期的なアイテムを手に入れていた。
それが、リビングの絨毯の上に散らばる
「知育用の木製アルファベットブロック」である。
(フフフ……。言葉が通じぬなら、文字を使えばいい
。この短い前足と鼻先を器用に使えば、
大英帝国の高潔な言語を紡ぐことなど造作もない!)
朝のコーヒーを淹れているハートの背中を見ながら、
ホームズは鼻先でブロックを一つずつ丁寧に押し並べた。
カチャ、カチャ。
完成したのは、完璧な6文字の英単語──
『 P - O - I - S - O - N 』。
今朝、ハートが警察署から持ち帰ってきた
「未解決の連続体調不良事件」の捜査資料。
その被害者たちの共通点から、
ホームズが導き出した決定的な結論──
「毒物」である。
「ワンッ!」
ホームズは胸を張り、自信満々にハートを呼び寄せた。
加速するバディの誤解
「なーに? ホームズくん。
あ、またブロックで遊んでるの?
どれどれー?」
ハートはマグカップを片手にしゃがみ込み、
ホームズが並べた文字をじっと見つめた。
彼女の驚異的な「写真記憶」が、
並んだアルファベットを瞬時に網羅する。
「えーっと……『P』でしょ、次が『O』……。
あ、分かった!」
ハートはポンと手を叩き、満面の笑みを浮かべた。
「あなた、自分の名前に不満があるのね!
『ポチ(POCHI)』って呼ばれたかったんだ!」
(……は?)
ホームズは思わずズッコケそうになった。
どこをどう読んだら『POISON』が
『POCHI』になるのだ。文字数すら違うではないか。
(違う! よく見たまえハート君!
私は『ポイズン(毒)』と言っているんだ!
『P・O・I・S・O・N』だ!)
ホームズは焦って、
鼻先で『 I 』のブロックを激しくトントンと叩いた。
「え? 『I』?……あぁ! 『ポチ、アイ(愛)』!
自分はみんなに愛されるポチだって言いたいのね!
もう、可愛いんだから〜!」
(違う、愛ではない! 猛毒だ!
なぜ君の脳内はそう、
常にピンク色のハッピーオーラで満ち溢れているんだ!)
ホームズは頭を抱えた。
文字が並べられるようになっても、
バディの致命的な「認知の歪み」の前には、
名探偵の論理的思考も虚しく霧散するだけだった。
「ポチの愛」が暴く、現実の毒
「はいはい、ポチくん。そろそろお仕事行くわよ。
今日は高級住宅街のデパートで
、原因不明の集団食中毒の臨検があるんだから」
ハートはホームズ(自称ポチ)を抱き上げ、
慌ただしく部屋を飛び出した。
現場となったデパートの地下食品売り場は、
騒然としていた。
特定の高級輸入ワインを試飲した客が、
次々と激しい腹痛を訴えて搬送されたという。
「うーん、おかしいわね。保健所の簡易検査では、
一般的な食中毒菌は検出されなかったみたい。
ただの『恋の病』にしては、みんな顔が青白すぎるし……」
(恋の病で人が救急搬送されるか、バカ者!)
ホームズはハートの腕からすり抜けると、
立ち入り禁止のテープを潜り抜け、
問題の試飲カウンターへと忍び込んだ。
床にこぼれた紫色のワイン。そこに鼻を近づけた瞬間、
ホームズの嗅覚が、アルコールを突き抜ける「ある臭い」を嗅ぎつけた。
(……む!? この微かな、アーモンドに似た臭気……。
間違いない、シアン系化合物(毒物)だ!)
まさに、今朝自宅で並べた『POISON』そのもの。
ホームズは即座に周囲を見渡した。カウンターの陰のゴミ箱に、
不自然に捨てられた防護手袋。そして、その表面には──
あの、甘ったるくも冷徹な、白い毛並みの主の匂いが残されていた。
(モリアーティ……! 奴はデパートのワインに毒を混入し、
無差別テロを企てたのか!)
ホームズは確信した。この事件の背後には、
あの白猫が仕掛けた巨大な悪意が潜んでいる、と──。




