Episode 50:前編
Episode 50:前編
「エドワード朝の怪異と、書棚から消える頁(B-O-O-K)」
美しき書店の、美しくない異変
ベーカー・ストリート駅から徒歩数分。
メリルボーンの格式高い街並みに佇む「ダウント・ブックス(Daunt Books)」は、エドワード朝時代の美しい建築をそのまま残す、ロンドン屈指の美しい本屋である。
天井のガラスから差し込む柔らかな光、長く伸びるオーク材の回廊、そして壁一面を埋め尽くす世界各国の旅行書。
「あー、やっぱりここの雰囲気は最高ね! このオリジナルのキャンバスバッグ、久しぶりに新しい色を買い足しちゃおうかしら」
ハート刑事は非番の日、かつてよく通っていたこのお気に入りの書店に、ポケット・ビーグルのホームズを連れて久しぶりに足を運んでいた。
しかし、お馴染みの店長は、トレードマークの笑顔を消し去り、青い顔をして回廊の隅に突っ立っていた。
「おぉ、ハート刑事! 久しぶりですね……。実は、警察に届けるべきか迷っていたのですが、この店で『奇妙な怪異』が起きているのです」
店長が指差した棚には、装丁の美しい歴史書やミステリー小説が並んでいた。
「本が……消えるのです。それも、ただ盗まれるのではない。朝になると棚から完全に消え失せ、私たちが頭を抱えていると、翌朝には『全く同じ場所』に何事もなかったかのように戻っているのです。ですが、戻ってきた本を開くと……」
店長が震える手で一冊の小説を開いた。
ホームズが横から鋭い目で覗き込むと、その本の**「特定のページだけ」**が、綺麗にカッターで切り取られたように消失していた。
名探偵の鑑定眼と、白いインク
(……ふむ。本そのものを盗むのではなく、特定の情報だけを抽出し、本自体は元の位置に戻す。それも店員に気づかれずに、だ。これは単なる本マニアの嫌がらせではないな)
ホームズはトコトコと回廊の奥へ進み、本が消えたという「旅行書コーナー」の床に鼻先を近づけた。
オーク材の床板の隙間から、かすかに漂う洗練されたフローラルの香り。そして、棚の縁に付着した、ブラックライトにしか反応しない特殊な「白いインク」の微粒子。
(白猫の息がかかった組織の仕業か。奴らは、ダウント・ブックスが誇る100年前の古い地政学書や、ロンドンの『地下水道の古いマッピング本』から、特定の座標データだけを切り取っている。本を戻すのは、警察への発覚を遅らせるための時間稼ぎだ)
放っておけば、ロンドンの重要インフラの機密データがすべて組織に渡ってしまう。
ホームズは、キャンバスバッグのサンプルが並ぶテーブルの上に飛び乗ると、散らばっていたロゴ入りのアルファベットチャームを4つ、前足で素早く整列させた。
[ B - O - O - K ](ブック / 消える本)
ハート刑事の「ブック(BOOK)超翻訳」
「ちょっとホームズ、お店の商品で遊んじゃダメよ……って、あら?」
ハート刑事は、テーブルの上のチャームを対面(逆さま)から網膜(写真記憶)にロックオンした。事故の衝撃から完全に復活し、彼女の脳細胞は「1000%のカオス」を伴って再覚醒していた。
「『K』『O』『O』『B』……クォーブ! 空間お盆!! ……あーーーーっ!」
(お、お盆……!? 本(BOOK)の話をしているのに、なぜ突然和風な配膳器具が出てくるんだ!! 普通に『BOOK』と読みたまえ、ハート君!)
「分かったわ、ホームズ! これは、犯人がこのエドワード朝のオーク材の回廊全体を**『四次元の空間お盆(KOOB)』**に見立てて、本を乗せたまま別の次元へスライド移動させてるっていう、オカルト・万引きコマンドね!?」
(違う! 次元は大移動していない! ……いや、待て。
ハート君の言っている『空間お盆』……。
この書店の美しきオーク材の書棚は、エドワード朝時代の隠しギミック(二重底)が施されている。犯人は本を外へ持ち出しているのではない。
棚の裏側の『隠し空間』へお盆のようにスライドさせ、夜間に店内でページを切り取って、朝に再びスライドして戻しているんだ……! ハート君、君の四次元お盆妄想はSF小説の読みすぎだが、犯人の『トリックの構造』の特定だけは、やはり世界一の名探偵(私)と完全に一致している!)
深夜の書店に潜む影
「店長、今日の夜、この店をヤードの管轄で完全封鎖させてちょうだい。犯人は、まだ店の中にいるわ!」
ハート刑事のポニーテールが、ダウント・ブックスの美しいガラス天井の下で激しく揺れる。
(フッ……。世界で最も美しい書店を、泥棒の作業場にさせるわけにはいかないからね。モリアーティ、貴様のテープの跡まで、すべて剥ぎ取ってやろう)
「ワン!」と、静かな書店に響き渡る、世界一知的な生の声が一鳴き。
美しき本屋の夜に隠された、凸凹バディの夜間潜入作戦が幕を開ける!




